さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

身めぐりの本

2017年11月29日 | 
※ しばらく消してあったが、復活させることにした。五月十二日。

久しぶりに、身めぐりの本。 検索機能のために飛んできてしまった関係のない方には、書名だけのものは失礼します。

・山上たつひこ『大阪弁の犬』(新刊)
 話題は多岐にわたり、文章もいい。
・白洲正子『遊鬼』
 新潮文庫。何度読んでもおもしろい。
・吉行和子『ひとり語り』
 私の部屋には、吉行の顔が写った「新劇」の表紙が、額に入れて飾ってある。たまたま同じことをやっている知人がいて驚いたのだった。ちなみに、この号には唐十郎の「ナジャ姫」の戯曲が掲載されたことが、表紙の文字からわかる。
ついでに思い出したので書くと、高校生の頃、吉行理恵の四行詩を自分の描いたコクトーばりのデッサンに(当時コクトー展があってそれを見た)くっつけて文化祭で展示したら、ひとつ下の下級生が感動していた。戦後詩は、日本文化の財産だから、もっときちんと顕彰される必要がある。

・里見弴『文章の話』
 太字の文字を書き抜くと…
 「むずかしいことはやさしい。」これをいいかえて、
 「むずかしさのやさしさを知ることはやさしい。」さらに言い換えて、
 「やさしいことはむずかしい。」
 「やさしいことのむずかしさを知ることはむずかしい。」
 これは文章を書くことについて言ったものである。

・鶴見俊輔『期待と回想 上』
 少し書きぬいてみる。
「(柳宗悦の父親の柳楢悦は)十代から藤堂藩で和算を研究して、和算の本を書いている。そういうティーンエイジャ―として長崎に送られて、「長崎伝習所」の学生になって、オランダの海軍の軍人カッティンデイケに代数と幾何を教わる。和算とは記号がちがう。けれども頭の訓練ができているから代数幾何が解けるんですよ。代数幾何は船の航海術に必要な実際的なものですからスッとわかってくる。藤堂藩にいるとき、イギリスの軍艦が近くの海の海図を計測する。かれは「自分も同じ計測をさせてくれ」と頼んで、自分たちの船で同じことをやつて海図をつくる。イギリスの軍艦を訪問して、むこうがつくった海図を見せてもらったら、自分にもほぼ同じものがつくれていたので安心したという話がある。
 (略)
 アメリカにケネス・バーグがいたから、アメリカの英文学者にはロシアのバフチンがわかった。日本でわかる人は少なかったと思いますよ。
 (略)
 カーニバルというのは闇の生活であって、そのときに昼の関係が逆転する。長い時間をかけて祭そのものが記号論的な行動になっている。帝政ロシアがひっくりかえって、古いイコンの世界が湖底の闇の中に置かれたロシアと似ているじゃないですか。スターリンの下で、そのような見方でバフチンはドストエフスキーを読んだ。
(略)
 カッティンデイケと柳楢悦の関係は、ケネス・バーグとバフチンの関係と似ていると思う。…。
 (略)
 耄碌(もうろく)の中には、さまざまな方法、記号の使い方を統合させるきっかけがあると思うんです。」

 ※書き写しながら、そうだったのか、と膝を打つ。話はかわるが、日本の高校生は、いまだに「理系」とか「文系」とか言っている。某社が出している分析シートなどは、いくつかの質問に答えると、コンピューターが診断してくれて、左右に文系、理系と矢印がふれるようなシートが届けられることになっている。現場の固定観念に業者が合わせざるを得ない現実があるのである。この際、「理系」「文系」という言葉を禁句にしたらどうだろう。現場は大混乱。…てなことは、ないだろうな。

・宮台真司『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』(2014年刊)
 引いてみる。
「なぜ近代国家では外交機密文書が一定の時を経て公開されるのか。趣旨はこうです。公共性のために政治家は国民に嘘をつかねばならぬ場合がある。だが嘘が本当に公共的だったのかどうかを事後に検証する必要があるということ」です。(略)
「我々は、政治家が、-マイケル・ウォルツァー流に言えばー「手を汚す」ことを辞さぬ存在であるべきことを、徹底的に理解せねばなりません。理解したうえでチェックするべきなのです。手を汚さぬようチェックするのではなく、汚し方の適切さをチェックするのです。
 こうしたウェーバーの立場は、「個人レベルのカタルシス(すっきりするか)」と「社会レベルの実効性(有効に機能するか)」の区別に結びつきます。」(略)
「複雑な社会における ゛<引き受ける>ことによる自立゛は「当事者」が「ガバナンス視座(治者の論理)」をとれるようになることを必須条件とします。間違っても「ガバナンス視座」を拒否して「当事者主義」に立つことではない。昨今そうした愚昧な当事者主義が溢れています。」 

・『楠公遺芳』(昭和十八年 小学館刊)
 第一部漢詩、第二部漢文、第三部和歌、第四部雑纂の構成で、楠木正成関係の作品が網羅されている。
・佐々木信綱『歌の志を里』(明治三十三年第十三刷)
・『和歌詞の千草』上・下(明治二十六年刊)
・『水甕論考の歩み』(2013年刊)
・ティンベルヘン『動物のことば』
・養老孟司、隈研吾『日本人はどう死ぬべきか?』
・山中智恵子『存在の扇』(昭和五十五年小沢書店刊)
・吉井勇『相聞歌物語』(昭和十五年十一月刊)
・『新選小池光歌集』(砂小屋書房刊)
・『去来抄・三冊子・旅寝論』(岩波文庫)
・『中村憲吉全歌集』(昭和五十七年第二刷)
・小林紀晴『メモワール写真家・古屋誠一との二〇年』
・桶谷秀昭『正岡子規』(1993年刊)
・湯川豊『本のなかの旅』(中公文庫2016年刊)
・木俣修『煙、このはかなきもの』(昭和五十年三月書房刊)
・N・ルーマン『信頼』(1988年)
引いてみる。
「法一般が信頼という構成事実にどれほどその出生を負うているものかということは、今日、もはや法からは読み取ることができず、少なくとも、法的概念性の内に適切に反映されてはいない。」(略)
「実際のところ、信頼という思考が、法全体を、つまり他者との交渉全体を基礎づけており、そして逆に信頼表明は法による危険の低減という基礎の上にのみ成立しうるのである。」