さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

宮沢賢治と花盗人

2017年11月25日 | 近代詩
 すぐれた文学者の作品というものは、時代の推移によってその重要度が変わってくるということがある。宮沢賢治の作品も、そういう余地を内包している。たとえば、今回私がここに引いてみようと思う詩はどうか。
 これは手元にあるちくま文庫の『宮澤賢治全集3』の「補遺詩篇Ⅱ」の十六番目に収録されているものだ。詩は、タイトルの脇に身分が示されている森林主事と農林学校学生とのやりとりから始まる。

 花鳥図賦、八月、早池峰山巓
   森林主事、農林学校学生、      宮沢賢治

(根こそげ抜いて行くやうな人に限って
それを育てはしないのです
ほんとの高山植物家なら
時計皿とかペトリシャーレをもって来て
眼を細くして種子だけ採っていくもんです)
(魅惑は花にありますからな)
(魅惑は花にありますだって
こいつはずゐ分愕いた
そんならひとつ
袋をしょってデパートへ行って
いろいろあるものを
片っぱしから採集して
それで通れば結構だ)
(けれどもこゝは山ですよ)
(山ならどうだと云ふんです
こゝは国家の保安林で
いくら雲から抜け出てゐても
月の世界ぢゃないですからな
それに第一常識だ、
新聞ぐらゐ読むものなら
みんな判ってゐる筈なんだ、
ぼくはこゝから顔を出して
ちょっと一言物を言へば、
もうあなた方の教養は、
手に取るやうにわかるんだ、
教養のある人ならば
必ずぴたっと顔色がかはる)
(わざわざ山までやって来て、
そこまで云はれりゃ沢山だ)
(さうですこゝまで来る途中には
二箇所もわざわざ札をたてて
とるなと云ってあるんです)
(二十方里の山の中へ二つたてたもすさまじいや)
(あなたは山をのぼるとき
どこを見ながら歩いてました)
(ずい分大きなお世話です
雲を見ながら歩いてました)
(なるほど雲だけ見ていた人が
山を登ってしまったもんで
俄かにシャベルや何かを出して
一貫近くも花を荷造りした訳ですね
それもえらんでこゝ特産の貴重種だけ
ぼくはこいつを趣味と見ない
営利のためと断ずるのだ)
(ぼくの方にも覚悟があるぞ)
(覚悟の通りやりたまへ、
花はこっちへ貰ひます
道具はみんな没収だ、
あとはあなたの下宿の方へ
罰金額を通知します)
(ずゐぶんしかたがひどいぢゃないか
まるで立派な追剥だ)
(まだこの上に何かに云ふと
きみは官憲侮辱罪にもなるし
職務執行妨害罪にもあたるんだ)
(きみは袋もとるんだな)
(これも採集用具と看做す
最大事な書庫品だ)
(袋はかへせ!)
(悪く興奮したまふな
見給へきみの大好きさうな入道雲が
向ふにたくさん湧いて来た)
(失敬な)
(落ちつき給へ
きみさへ何もしなければ
ぼくはこゝから顔も出さなけりゃ
声さへかけはしないんだ
わざわざ君らの山の気分を邪魔せんやうに
この洞穴に居るんぢゃないか
早く帰って行き給へ)

(あゝいふやつがあるんでね)
(結局やっぱり罰金ですか)
(まああゝ云っておどしただけさ)
(大へんてきぱきしてゐましたね)
(きみがたまたま居たからさ
向ふはきみも役人仲間と思ってゐた)
(すっかり利用されました)
(どうです四五日一所にゐたら)
(あなた一人ぢゃないやうですね)
(高橋といふ学士が居る)
(やつぱり植物監視ですか)
(いや雷鳥を捕るんだと)
(こゝに雷鳥が居るんですか)
(高橋さんは居ると見込をつけてゐる)
(でも雷鳥は
雪線附近に限るさうではありませんか)
(ところがそれが居るんだと
一昨日ぼくが来た晩も
はひ松の影を走るのを
高橋さんが見たんだと)
(でもほんたうの雷鳥なら
そんなに急に遁げたりしないんでせう
大へんのろいといふやうですよ)
(ははは
ところが大将
雷鳥なんか問題でない
背後のもっと大きなものをねらってゐる)
(あゝあゝそれだ
何か絶滅鳥類でせう)
(どこからそれをききました)
(今朝新聞へ出てました)
(ぢゃあ高橋さん昨日の記者へ話したな
だが鳥類ぢゃないんだね
鳥類ならばこゝが最後に島だったとき
自由によそへ行けたんだから)
(こゝが最後に島だった……?)
(高橋さんがさう云ふんだよ
何でも三紀のはじめ頃
北上山地が一つの島に残されて
それも殆ど海面近く、
開析されてしまったとき
この山などがその削剥の残丘だと
なんぶとらのをとか`````とか
いろいろな特種な植物が
この山にだけ生えてるのは
そのためだらうといふんだな)
(なるほどこれはおもしろい)
(もし植物がさういふんなら
動物の方もやつぱりさうで
海を渡って行けないもので
何かがきっと居るといふんだ)
(一体どういふものなんでせう)
(哺乳類だといふんだね)
(猿か鹿かの類ですか)
(いゝや鼠と兎だと)
(とれるでせうか)
(大将自費で
トラップ二十買ひ込んで
もうあちこちへ装置した
一ぺんぐるっと見巡るのに
四時間ばかりかゝるんだ)
           了

  まずこの詩は、前半と後半に大きく分れている。前半は、東京からやって来たらしい森林主事の役人と、現地の取締官とのやり取りである。後半は、その取締官が立ち去ってしまってから、横でずっと沈黙していた農林学校学生と、高山植物を盗もうとした森林主事の役人との会話である。その話題の中で高橋という学士が、この高級官僚と同道していることが明らかにされる。さらに一行には記者まで付いて来ているらしい。しかも高橋の調査の一部は現地の新聞にまで報道されている。

 読みながら思い出したのは、チェーホフの戯曲の対話である。つまり、この詩は、すでにして一篇の戯曲である。多少の力量のある人なら、この詩をもとにして芝居の台本のひとつも書けるだろう。作者の分身と思しい盗掘を取り締まる人物には、どんな哲学を語らせるか、戯曲作者なら腕の見せ所である。未発見の生物の新種、山谷の危険と犯罪の匂い。正義漢と小悪人。記者までがいる。登場人物の丸眼鏡。ゲートルとリュックの扮装。山中の焚火とテント。山のこだま、風の音。ドラマの種はぜんぶそろっている。

 この詩から「注文の多い料理店」を思い出す人も多いだろう。あの童話で「ハンター」として形象化されていた人物の現実的なモデルに、このような希少種の植物を根こそぎ持ち去ろうとする不心得者がいたかもしれない。しかし、童話やファンタジーの種としてはともかく、この詩は、新聞記者や、いるかどうかもわからない第三期の生き残りの哺乳類を探索する学士まで登場させたところで、特にそれが新聞に報道されたという内容を書き加えた時点で、話の筋が多少あやしくなってしまったとも言える。だから、この詩は別の作品の下書きとも成り得る性格を持って居たものだ。作家はたいていこのような構想案をたくさん持っている。

 この対話の丸括弧は、宮沢賢治がものを書きながら考える時に採用していた形式である。内的な対話を外化する時に、たいていこの丸括弧があらわれる。賢治の詩において、丸括弧は一人の語りを多声化するための重要な技法である。口に出して言われていなくても、賢治がそう判断すれは、それは話された言葉としてあらわれる。また、この詩のように一種便宜的に、対立する話者の言葉の区切りを明示するためにも用いられた。

 賢治の作品の構想の中に、このような植物泥棒、今で言うなら遺伝子ハンターへの憤りがあったのは、おもしろい。