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さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

今村均『幽囚回顧録』  短歌採集帖( 1 ) 

2016年05月05日 | 現代短歌 文学 文化
 本を読んでいると、思わぬ人が若い頃に短歌を作っていたりして、驚くことがある。そういうものを見つけておもしろいなと思っても、つい読み流してしまっていたのを、昨年あたりから意識して書き留めるようにして、その一部は砂子屋書房の連載ブログに書いたりしたのだが、私は思い付いたことが長続きしない。それで、こういうコラムのような小文を続けて書いてゆくことにする。

 今村均の『幽囚回顧録』(昭和四十一年刊)をとりだしてみる。第一部 ラバウル幽囚録、第二部 ジャワ裁判の記録、第三部 マヌス島回想録と、二百七十六ページになる書物の全十八章の各章冒頭には、短歌が二首ずつ掲載されている。南方にいた陸軍の司令官で、処刑されずに禁錮十年で済んだのは運が良かった。オランダ人の占領軍とのやり取りや、スカルノとの交渉の回想を見ても、温和で公平で、現地の人々に好かれたようだ。文章も読みやすく、ところどころに切れのいい文言がみえる。軍事法廷や収容所の様子、処刑されることになった同胞についての記述は、本書の価値を高いものとしている。文庫本などに加えられるべき書物であろう。次に短歌の一部を示す。括弧の中は振り仮名。

獄(ひとや)脱(の)がす術(すべ)はあらざり慰めの言葉もなくて掌(て)をにぎりしむ

‶左様なら逝(ゆ)きます〟と友は笑顔もて刑場に向かう細雨(そぼ)降る朝(あした)

座禅組み壁にむかえどもの思う心やまざり死刑囚房

遺書の紙のところどころに斑点(しみ)の見ゆ書きつつ垂れし涙のあとか

激流のごとくにそそぐスコールに胸のつかえも洗い流さる

歳の暮思いもよらず罪なしと裁かれ爪哇(ジャワ)の地を離れ去る

なつかしき椰子の島根のインドネシア独立(ムルデカ)の実よ弥や栄えあれ

  ※ カッコ内は元の本にあった振り仮名。一部は省いた。

 今村元大将らの判決が出るのは一番遅くなった。その間に獄中で出会った多くの年若い将士たちが、処刑されてゆくのを見送った。自分もいずれは同じ運命を避けられないと覚悟していたが、判決は思いがけないことに死刑ではなかった。

土方歳三の発句

2016年05月04日 | 現代短歌 文学 文化
以下の文章は、二〇一一年一月刊の「美志」復刊一号にのせた文章に手を入れたものである。

草森紳一の『随筆 本が崩れる』(文春新書)という書物は無類におもしろい。私は愛書家もしくは蔵書家の苦労話を読むのが結構好きだ。本とどう暮らしているか、ということに、その人の仕事や性格の質があらわれているからである。今の時代は、読書家のブログをチェックしたら相当におもしろい文章が見られる。でも、私の見るところネット上の書き手の姿勢は、概して親切すぎ、サービス精神が旺盛にすぎる。それが、私などにはかえってめんどうに感じられる。草森紳一の文章がいいのは、妙に親切そうな口ぶりをしない点だ。

 草森は、自分の生活のどうにもならない成り行きを、どこまでも我が儘に描きだしている。誰が何と言おうと、自分はこのやり方で貫くほかはないという意地の張り方。その滑稽さを、書き手はよくよく自覚しながら文章をつづっている。床に積んだ本の塔が倒れて風呂場の中に閉じ込められ、どうやったら脱出できるかをあれこれ思案して、まあいい、一風呂浴びてから考えよう、と思って取りあえず風呂につかることにする、というくだりなど本当にばかばかしくて楽しいのだが、延々と私事をのべていく文章が、一種のリズムを持っていて、駄目なことが芸に近いものになっている。

 ページをめくっていくと、筆者は何となく秋田に旅行することになり、平田篤胤の墓に詣でることになるのであるが、その五百何十段あるという石段を上るのに、こちらも読みながらいっしょに息をきらすことになる。本がいっぱいつまった手荷物を置く場所を教えてくれる店の人の親切がうれしく、階段のぼりの途中で耳に入るウグイスの声がうれしく、老躯に鞭打って上がり終えてから、うとうとする居眠りが、訳もなくうれしい。要するに、スタイルがあるから読ませることができる文章なのである。

 その草森の『歳三の写真』(昭和五三年刊・新人物往来社刊)という本を先日手に入れた。七百円也。インクの文字が薄くなっていて、あまり状態のいい本ではなかったのだが、私のように買う者がいそうなタイトルの本ではある。巻末に「歳三の写真」ノートという文章がある。新選組の土方歳三には、『豊玉発句集』という句集があり、それについてこう書いてある。

 春ははるきのふの雪も今日は解    土方歳三                    

 ばかばかしいような句だが、ほかほかしてよい。  (※「解」は「とけ」と読むのだろう。さいかち注。)
    (略)
この世の物ごとは、ありがたいことにすべて曖昧であり、その人の見たいように見えてくるところがある。死の意識といったところで、すべて人間は死ぬのであってみれば、なにも特殊なことではなく、意識などというものは、なによりも予定調和の活動でしかない。時代が時代であって見れば、死を意識することなどは、なんの不思議もでもない。清川八郎の率いる浪士隊にくわわって京に向かうということは、当然、死の覚悟でのひとつ位はあるのだから、句の中にその意識が見え隠れていても、驚くにたらない。

  手のひらを硯にやせん春の山

 見ようによっては、どのようにも見えてくる句である。これも、ほかほかした句である。心に余裕のない時には、生れない情動であるが、歳三の句は、総じて素朴なまでにこの余裕がある。」    草森紳一

 土方の句について、「ほかほかしてよい」という言葉が出る。とても敵わないなと思えるようなこういう文章を見つけるのが、私は好きである。

匂いの歌

2016年05月04日 | 現代短歌 文学 文化
 以下は、短歌雑誌「未来」のコラム「伏流水」に書いた短文である。データの日付が二〇一〇年七月となっている。この文章にはまだ続きがあるのだった。そのことを書けるかどうかはわからないが、とりあえず本文をここに引いて、間違いを訂正し、字数の関係で思うにまかせなかった文章そのものに手を入れて、ここに再掲してみたいと思う。

 志賀直哉の小説『和解』に、妻の出産に産婆が間に合わなくて、語り手である夫が一人で立ち会うことになってしまうという場面がある。そこでついにお産が始まってしまい、羊水が「噴水のように」吹き出したという空前絶後の一文があって、私は以前、それを読んだ時に言いようのない感銘を受けた。
 匂いの文化について書かれたある本(書名を失念)によると、最近の若い女性の羊水は、シャンプーの香りがするそうだ。さもありなん、という気がするが、かつての羊水は、たぶん、しばらく水が動かなかった潮溜まりのような生臭い匂いがしたのだろう。志賀直哉は、羊水の匂いについては書いていなかったと思う。視覚に集中していたのだ。昔の暮らしは、生活環境がさまざまな匂いに満ちていたので、かえって異臭は当たり前だったのではないかと思われる。

 ここで思い出したのは、岡本かの子の『花は勁し』という小説である。そこには、主人公が大切に思う男の体臭を、「傍に居ずとも頭に想うだけで(略)心が和められた」と書いてあった。作者はそれを、「ネルのように柔い干草のように香ばしい体臭」と表現している。同じ描写の続きを引いてみよう。

 「桂子は殆ど地球の裏と表とに距たる大西洋を渡る帰朝途上のアメリカ近くの汽船中で彼を嗅ぐことができた。」

 すごいなあ。ある本によると、女性は相手の白血球の匂いをかぎ分ける能力を持っているのだそうだ。いつだったかNHKの番組で子供に目隠しをして嗅覚だけでママを当てさせる実験をしていたが、子供たちはみごとに自分の母親を当てていた。女性も子供も、人間の生き物として持っている本源的な能力が高いのだろう。それで女性は、もしかしたら相手の匂いをかいで、その相手と子供を作っていいのかどうかを本能的に見分けて、体が自然に反応するのではないだろうか。だから、男の魅力は外見だけではないとも言える。もっとも、<匂い>というのは、声や外見のイメージによって増幅されるものだから、純粋に匂いだけで女性を魅了する男なんているわけがないという事もできるだろうとは思うが。

 さらに話が拡散していくが、「源氏物語」の薫大将や匂宮には、いったいどんな匂いがしたのだろうか。たぶん、練り香の原料である蜂蜜の香をベースにして、幼少の頃からさまざまな香を焚きしめられて育ち、それが体の隅々にまで染み付いて、微生物の作用で発酵した甘い匂いがしたのだろう。だから、それは決して自然の体臭だったのではなく、徹頭徹尾人工的な環境の中で産まれ育った者にのみ可能な洗練された香りだったのである。

 さて、川島喜代詩の遺歌集に、階段でたまたますれ違った青年の体臭を樹液の香にたとえた歌があった。他者の体臭について言及することには、どうしてもエロティックな要素が入り込んで来るが、老年の作者にとって、ものの香に感応することは、生命の泉に触れることであったのだろう。それで、匂いを詠んだ歌を川島喜代詩の歌集『消息』から拾ってみよう。


  夏の日に苦き香のするペンギンは身の重ければ水にゆくらし      川島喜代詩

  きのふけふすさみし風のしづまりてゆふべ躑躅の花の辛き香

  手ざはりののこりがたきをものの香にあふことあればうごくこころや


 一、二首とも匂いを味覚的な表現でとらえている。最後に引いた歌は、老年の淡い性欲に関わるもののようにも読める。ついでに自作を一首。


  炎熱の廊をゆく少女そのあとを少年追ひて汗の香充てり   さいかち真


おことわり

2016年05月04日 | 現代短歌 文学 文化
 先日ある政党の名前と、昔の本の名前をだしたら、いきなりアクセス数が増えたので、これはいけないと思ってすぐに消した。検索エンジンの怖さを実感した。

 当方は、左右の「事を好む」方々とは関わりになりたくないので、このあと某政党や田中〇〇、それから某氏の新著について期待されるような事は二度と書かないつもりである。

 そういうわけで、文芸に興味のない読者の方は、お帰りいただきたいと思います。


山川方夫の「海岸公園」

2016年05月03日 | 現代小説
 「毎日新聞」の「今週の本棚」書評欄に、中公文庫の『教科書名短篇 少年時代』が紹介されていた。安岡章太郎の「サアカスの馬」、山川方夫の「夏の葬列」、永井龍男「胡桃割り」などの題があがっている。なんという懐かしさだろう。中学校の教科書に載っていた「サアカスの馬」のおもしろさは、鮮明に覚えている。あの時の国語の先生の声まで浮かんで来るのだ。特に主人公のポケットの中身の描写が、おもしろかった覚えがある。安岡章太郎の主人公の情けない姿は、愚図・のろま・勉強不振といった、自分の駄目な部分についての劣等感や鬱屈を覚えている中学生の心を癒す作用があったのだろうと思う。

 それで、今日は倉庫のなかから山川方夫の「夏の葬列」を取り出して読んでみた。1991年刊(1997年第七刷)の集英社文庫版で、この本には昔の旺文社文庫のような年譜と解説がついており、代表的な作品のダイジェストとして、新しい読者を意識して編集されたものだったようだ。いま出ているかどうかは知らない。「夏の葬列」は、いかにも学校の教材向きという気がした。私が感心したのは、同書のいちばん最後に収録されている「海岸公園」という作品である。主人公の「私」は、八十九歳になる祖父を、その世話をしてくれるという祖父の妾の養子の家に預けようとするのだが、そのためには当時のお金で月々一万円を支払わなけれはならず、それに反対して一緒に住もうと主張する自分の母親とその祖父との間で骨肉の争いが起きてしまうのを、何とか収拾しなければならない立場に追い込まれる。この小説については、巻末の山崎行太郎のすぐれた解説がなされていた。「海岸公園」は一種の姥捨物語である、というのである。

「ここではじめて山川は、「家」への愛着を拒絶し、「家」からの解放と自立を決意する。(略)それが家族全員を、「家」という物語から救う唯一の方法だったからである。(略)それは生きるために、悪に手を染めることであった。」   山崎行太郎「解説」

 家族の問題というのは、一人一人が異なった困難な内容を抱えている。家族だから仲がいいとは限らない。家族だから相互に自由を尊重し合うことができるとは限らない。むしろ逆の場合が多いだろう。それに生活の面倒をみて、世話をする、介護するという義務が付随して来ると、さらに事態はのっぴきならないものになって来る。

 山川方夫のこの小説は、学校や読書サークルで家族や介護の問題を考えるための演習にも使えるかもしれない。ただし、こういう内容の小説を我慢して最後まで読める学生が何人いるだろうか、という問題はある。もっと短いもので内海隆一郎の短編などを使用した方がいいのかもしれない。内海の短編は、私は高校の教室で試してみたことがある。おすすめである。