本を読んでいると、思わぬ人が若い頃に短歌を作っていたりして、驚くことがある。そういうものを見つけておもしろいなと思っても、つい読み流してしまっていたのを、昨年あたりから意識して書き留めるようにして、その一部は砂子屋書房の連載ブログに書いたりしたのだが、私は思い付いたことが長続きしない。それで、こういうコラムのような小文を続けて書いてゆくことにする。
今村均の『幽囚回顧録』(昭和四十一年刊)をとりだしてみる。第一部 ラバウル幽囚録、第二部 ジャワ裁判の記録、第三部 マヌス島回想録と、二百七十六ページになる書物の全十八章の各章冒頭には、短歌が二首ずつ掲載されている。南方にいた陸軍の司令官で、処刑されずに禁錮十年で済んだのは運が良かった。オランダ人の占領軍とのやり取りや、スカルノとの交渉の回想を見ても、温和で公平で、現地の人々に好かれたようだ。文章も読みやすく、ところどころに切れのいい文言がみえる。軍事法廷や収容所の様子、処刑されることになった同胞についての記述は、本書の価値を高いものとしている。文庫本などに加えられるべき書物であろう。次に短歌の一部を示す。括弧の中は振り仮名。
獄(ひとや)脱(の)がす術(すべ)はあらざり慰めの言葉もなくて掌(て)をにぎりしむ
‶左様なら逝(ゆ)きます〟と友は笑顔もて刑場に向かう細雨(そぼ)降る朝(あした)
座禅組み壁にむかえどもの思う心やまざり死刑囚房
遺書の紙のところどころに斑点(しみ)の見ゆ書きつつ垂れし涙のあとか
激流のごとくにそそぐスコールに胸のつかえも洗い流さる
歳の暮思いもよらず罪なしと裁かれ爪哇(ジャワ)の地を離れ去る
なつかしき椰子の島根のインドネシア独立(ムルデカ)の実よ弥や栄えあれ
※ カッコ内は元の本にあった振り仮名。一部は省いた。
今村元大将らの判決が出るのは一番遅くなった。その間に獄中で出会った多くの年若い将士たちが、処刑されてゆくのを見送った。自分もいずれは同じ運命を避けられないと覚悟していたが、判決は思いがけないことに死刑ではなかった。
今村均の『幽囚回顧録』(昭和四十一年刊)をとりだしてみる。第一部 ラバウル幽囚録、第二部 ジャワ裁判の記録、第三部 マヌス島回想録と、二百七十六ページになる書物の全十八章の各章冒頭には、短歌が二首ずつ掲載されている。南方にいた陸軍の司令官で、処刑されずに禁錮十年で済んだのは運が良かった。オランダ人の占領軍とのやり取りや、スカルノとの交渉の回想を見ても、温和で公平で、現地の人々に好かれたようだ。文章も読みやすく、ところどころに切れのいい文言がみえる。軍事法廷や収容所の様子、処刑されることになった同胞についての記述は、本書の価値を高いものとしている。文庫本などに加えられるべき書物であろう。次に短歌の一部を示す。括弧の中は振り仮名。
獄(ひとや)脱(の)がす術(すべ)はあらざり慰めの言葉もなくて掌(て)をにぎりしむ
‶左様なら逝(ゆ)きます〟と友は笑顔もて刑場に向かう細雨(そぼ)降る朝(あした)
座禅組み壁にむかえどもの思う心やまざり死刑囚房
遺書の紙のところどころに斑点(しみ)の見ゆ書きつつ垂れし涙のあとか
激流のごとくにそそぐスコールに胸のつかえも洗い流さる
歳の暮思いもよらず罪なしと裁かれ爪哇(ジャワ)の地を離れ去る
なつかしき椰子の島根のインドネシア独立(ムルデカ)の実よ弥や栄えあれ
※ カッコ内は元の本にあった振り仮名。一部は省いた。
今村元大将らの判決が出るのは一番遅くなった。その間に獄中で出会った多くの年若い将士たちが、処刑されてゆくのを見送った。自分もいずれは同じ運命を避けられないと覚悟していたが、判決は思いがけないことに死刑ではなかった。