さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

米川千嘉子『牡丹の伯母』

2018年10月06日 | 現代短歌
  二〇一五年から二〇一八年までの作品だという。この間の世間の出来事や、それに重ねて思われる自身や家族の変化に伴う感慨は、どれもあまり意気の上がるようなものではなさそうだ。「先の歌集刊行から三年足らずの間ながら、じつに、瞬く間に社会の何かが変わったような気がします。」と「あとがき」にある。歌人には、感性を拠りどころとした社会の定点観測と批評という、大事な仕事・役割がある。米川が感じ取っている「変化」とは、何だろうか。

車椅子のひとと木椅子のひと語る むかしの童話になき車椅子

ひかり濃きもののたたかひ沼を蹴る白鳥をつかむ一月の水

ドローンも白きおほきな牡丹もしんしんと闇をみがきて飛ぶや

 ※「牡丹」に「ぼうたん」と振り仮名。

「今はわかりません」と言ひつつアレクサの学ぶ速度のなかにある夜

 四首とも、作品に詠まれた事象と、言葉によってそれをつかもうとする詩的なひらめきとが強く触れ合っているところが魅力的である。一首目のような不思議な肯定感のある歌を続けて探してみようと思って、本のなかを往復するうちに、あちこちで立ち止まってよみふけってしまう。そうすると、やはり風刺の効いた次のような歌が、目に入って来て、こっちもいいなあ、と呟いてみたりしている。

子に見せてならないものは死にあらず性ならずこのうす笑ひの答弁

ゲームのなかに女いよいよ気持ち悪く大き乳房と幼き顔もつ

朝が来て次期大統領映りをり この人を見ない権利がない

 三首めなどは、世界中で共有されそうな歌だ。電車の女性用車両に乗っている歌も悪くない。一巻を通じて、女性性や女性が女性であるということの意味を考えているのが伝わってくる。それは、抽象的に考えるのではなく、あくまでも実感に照らして、鋭い観察眼に立脚したところであらわれてくるテーマなのだ。

疲れたる女の顔は疲れたる男の顔とちがふ 桃の日

女性車輛の人らおほかたわれよりも若くて痩せてわれよりも疲る

 次に引く歌には、「堤防決壊の日、わが家と道を挟んだ住宅地には避難勧告。」と詞書がある。鬼怒川に関連して、長塚節の『土』を読み返す一連もある。

防災無線豪雨のなかに音にごり耳とほ母の孤独おもへり

ほかに、あと一首だけ引くと、

人は人をそんなに知つて幸せか 好きなうた、降りた駅、舌打ち

 引いてみたい歌は数多いのだけれども、ここまでにして、あとは読者の楽しみのためにとっておこう。「人は人をそんなに知つて幸せか」という言葉の含意がしみてくる。


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