さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

太田一郎『殘紅集』

2020年11月07日 | 現代短歌
 キース・ジャレットの「ジャスミン」をかけてから、静かな気持で太田一郎の『殘紅集』をひろげる。この季節に何となく似つかわしい書名であるが、一九九四年砂子屋書房刊の著者が七十歳の作品集である。この秋に、このどの結社にも集団にも属さずに一人で歌を作り続けた人の歌を取り出して読んでみようと思ったのも何かの縁である。
 
  はたはたと長き弔旗のはためきて雲の奥處に滅えゆくばかり
   ※「奥處」に「おくか」と振り仮名
  
  おびただしき軍鼓のどよみ迫りきて耳底にして重くのこれる

  カドリールゆるゆる過ぎてためらへば忘れがたくも虹の浮橋

  ここに来ていかにかすらむふりそぞく秋の陽ざしの渇きゆくまま

 これが何を下敷きにしてつくられた歌かということは、よけいな検索をさけるために書かないが、詩集を愛読したことのある人ならすぐにわかるはずだ。この一連のはじめの方には次のような歌がある。

  ボロ麻か何かうづたかく捨てられて鷺の脛さへ寒き六月

  ものうきに血を吐くやうな晩夏の記憶うすれてパラソル褪せぬ
    ※「挽歌」に「おそなつ」と振り仮名

 一連は、ここに引いた二首目の晩夏の歌を起点にして、先出の詩を踏まえた連作がつづられてゆくという構造になっている。詩の世界のイメージと、それを生んだ詩人の痛苦の思いとが、太田一郎自身の経験と二重化したところで作品化されていく。これは、詩歌の作り方の一つなのだけれども、「血を吐くやうな晩夏の記憶」が作者の実感に根差しているために、言葉が浮薄なものとならない。ここの押さえ石のような部分をどう作品に盛り込んでゆくかということが、短歌では常に問われる。と言うか、読み手はほとんど無意識のうちにそこをまさぐっている。

  白き骨の一つひとつが影曳きて陽にさらさるる季とこそ言へ
   ※「季」に「とき」と振り仮名

こういう季節への鋭い感じ方が、時折さしはさまれる。

  すれちがひささめきながら會社などあてにならぬと口々に言ふ

  定年ののちのかたちか背を伸ばしビルの間を真直にあゆむ
   ※「間」に「あはひ」、「眞直」に「ますぐ」と振り仮名
  
  蒼ざめし𦾔友ひとり逝きし日に茶いろに滲むオーバーも着つ
   ※「𦾔」は「旧」。環境依存文字

  とほき日の軍靴の音もよみがへり烏むらがる路筋を行く

 この四首は同じ一連の歌である。軍楽や軍靴の音を実際に街中で聞いたことがある世代とそうでない世代の間では、軍隊とか行軍のイメージが大きく異なっているということを、こういう歌をみると改めて考えさせられる。中原の詩のいくつかについての感受の仕方もちがってくる。ここでは、それは〈重苦しさのイメージ〉、ということなのだが。それは時代によってちがうものなのだが、戦前の時代をイメージする時には欠かせないひとつの基調となる物音のイメージではある。胸を張って歩いている自分を意識したあとで、それが軍靴の列の思い出につながってゆくというのは、友人の葬儀があったせいだろう。

  輕き風からだのなかを吹き拔けてはだれのごとし日日の現は
   ※「現」に「うつつ」と振り仮名
 
  目閉づればこだはりもなく逝きしきみやさしさばかり空に溶けゆく

 これはその妻への挽歌。はだれのごとし日日の現は、という虚しさが心にしみる。作者はこのあとに母を失う。男性にとって妻と母を前後して失うというのは、とても大きな痛手なのであって、殘紅集というのは、そういう作者の紅涙をしぼるような思いを託した集名であったということがわかる。

  なにとなく日も暮れゆけば羊歯群落に胞子はびこる季もいたるか
   ※「羊歯群落」に「しだむら」、「季」に「とき」と振り仮名

  目路はるかうつろひにつつ黄櫨いろに染みし丘べに孤り子あゆむ
   ※「黄櫨」に「はじ」と振り仮名

 この「孤り子」は作者自身のことであろう。

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