さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

伝田幸子『冬薔薇』

2021年12月12日 | 現代短歌
 深夜に書物を繰っていて、はっとすることがある。この本の歌には、そういうなかで出会った。たとえば、こんな歌。

  忘れむとしてゐるものを時として追ふことのある雑踏のなか

 この歌を読んでいる時は、別に特段の感興を覚えはしなかった。しかし、次の歌を並べて見出したときに、また別種の真実味のようなものを感じてしまったのである。

 水楢の落ち葉にあそぶ猿たちに笑顔のあらず 冬がまた来る

 一種の嘱目なのだろうけれども、結果として出来あがった歌には、何か得体のしれない気配が醸しだされている。

  雨の日にうしろ姿を見送られ永遠に燐寸を擦ることのなし

 この歌の理解は、とても難しい気がする。そういう路傍で煙草を吸うような人を折々隣人として目にした、というように、いま解釈してみたい。

 雪掻きのコツを覚えてメモリーの結晶のごと雪積み上ぐる

 ぺちや豆をふつくらと煮て供へたり瞑目しつつ雨音を聞く

 こうした習俗の気配のまつわる日常詠が、なかなかいい。一首目の歌は、地味だが清新な響きを持っている。

  歳月は唯に流れてきたのでなくわれとふ冬芽を育みくれたり

 「冬芽」という一連のさいごの歌。冬芽なら、これからまた新たに育ちゆくのだろうかと、この歌はいっしょに読んだ人たちが面白がった。

 『星の王子様』伏せて暫くアール・グレイに浮かびゐるキラ星を呑む

 同じ一連のこの歌も、その場で感覚がするどくなっている人の幾人かが、読んですぐに笑い声をあげた。私も思わず笑った。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿