さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

小池光『梨の花』

2019年10月06日 | 現代短歌
 名前を隠して作品十首ほどのコピーを手渡されて、さあ、これは誰の作品でしょう、と問われた時に、小池光の歌なら、すぐにわかるのではないかと思う。それほどに、事物に対する歌の詠み口に独特のものがある作者なのだが、愛妻をなくして以後は、独自のアイディア・計らいのようなものを案出することへのこだわりを、全部捨てたわけではないが、それがすっかり主要な関心事ではなくなってしまった、という「自己」縮小への願望が濃厚になっている。大きな喪失感によって、人生が長い余生になってしまったかのような気配があり、そう言ってしまうには、七十歳という年齢は、平均寿命の伸びた現代では創作者としてはまだまだ現役の歳だから、読みながらそぞろにさびしく、同情に堪えないのである。作者には茂吉の歌についての本があったが、あれはたしか五十代の茂吉の歌についてであった。今度は六十代から終焉までの茂吉の歌について書いてもいいのかもしれない。それにしても、なべては空々寂々である。

  妻の死後われに一切の射幸心なくなりたりしはなにゆゑならむ

ということなのだ。十五年飼った愛猫も死ぬ。いたわって対坐しながら、曇っていた眼鏡を拭いてくれた小高賢も逝く。百六歳という高齢の母を施設に入れる。子供達はおのおのの人生を送っている。過ぎてゆく時間を、ただに「観」じている作者がそこにいる。折々に思い出すものをうたった歌がいい。そこでは事物に即して自然にことばがうごく。

  ただ一羽のみなるすずめけふも来てゆきやなぎの枝にしばらく遊ぶ

  野洲小山の駅のホームの立ち食ひそば慈悲のこころの沁みてうましも
    
    ※「小山」に「おやま」と振り仮名。

  めんどりの腹を割らけば順々に生まれるたまご連なりありき

    ※「割」に「ひ」と振り仮名

  いつぽんの煙草尽きるまで聞いてゐる坂本冬美のうたふポップス

  引退の記者会見に浅田真央うしろをみせてなみだをぬぐふ

  小さくて痩せつぽちの猫なりき水のむおとのいまにひびきて

  足の爪赤く塗りたる姉むすめ青く塗りたる妹むすめああ

 おしまいの歌の結句に胸を衝かれるものがある。こんな歌もあった。大島史洋歌集『ふくろう』読後、と詞書のあとに、

  「未来」金井秋彦選歌欄にわづかの人が居たりしをおもふ

選歌欄にいた渡辺良さんは、のちに『金井秋彦歌集』を編集した。そこには渡辺さんと馬淵美奈子さんが生前の金井さんにインタヴューした記事も載っている。

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