さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

『大野一雄 稽古の言葉』

2017年01月22日 | 舞踏
『大野一雄 稽古の言葉』という本がある。

大野一雄の言葉を読んでいると、そもそも価値観の基準というようなものを置いている場所が、ぜんぜん凡百の人間とはちがっているのだ。こんなふうに生きられたら、われわれはもっとしあわせなのだと思う。ラスコーの壁画のえがかれた先史時代、それから縄文時代などは、大野一雄みたいな人がたくさんいて、この本に書いてあるような言葉を、みんなに話しかけていたのだと思う。

そこでは詩が現実で、人間の生は、詩や舞踏と不可分だったのだ。

最近思うのは、クリアな映像、画像、写真が、人間をしあわせにするとは限らないということだ。特にハリウッドの特撮映画を見ていて、そう思う。繊細緻密にして非情だから、敵はあっという間に死に、主役は最後まで生きのびる。

「目がこうあるでしょう。そうするとあなたの魂が目を通してすうっと外側のほうに出かけていく。すると外側のほうから、何か鳥のようなものが飛んできてて、魂の鳥のようなものが飛んでくる。そして魂のなかにすっと入ってきますか。そのために目が通りやすいようにしてありますか。」
                 『大野一雄 稽古のことば』より

ずいぶん前にアトリエのレッスンに一度だけ参加して、大野一雄のことを歌に作ったけれども、歌人からはほとんど反応がなかった。

百萬年タンポポの絮は舞つてゐた大野一雄の額につきて
                『東林日録』(1998年2月刊)

いま読むと、楷書の歌だ。当時はこれがせいいっぱい。