17 早蕨未遍
みよしのゝみすゞが下は風さえてまだ萌出でず春のさわらび
六七 みよしのゝみすゞがしたは風さえてまだ萌いでず春のさわらび
□めづらしき時分なり。此歌古体にしていやみ少し。以前の「たがゆかりより」の歌は七百年以来の歌になるなり。常世になるなり。此歌は古体になるなり。「みすゝ」、すゝ竹とてかたき竹なり。多く水涯にはえる故、「水(ルビ、片仮名でミ)すず」といへり。「焉(編集の都合により代字、たけかんむりに焉)」の字を書くなり。「みすゝ刈る信濃(ルビ、片仮名で「濃」にヌ)」と云へり。「しなぬ」の枕にするなり。
吉野の「焉(前出、代字)」の下はいつも蕨の盛の時は蕨所ぢやに、「まだ」「風冴えて」となり。其外の一目千本のあたりには、ちらちら見えるに、となり。さて又「焉が下」と云ふにて、風の冴えて春まだ寒き気色あるなり。「下は」の「は」で持つてあるなり。味ふべし。
○好ましい時分である。この歌は古体でいやみが少ない。以前の「たがゆかりより」の歌は、七百年以来の歌になるのだ。(ほとんど)永遠のものとなっている。この歌は、古体になるのである。「みすず」は、すす竹といってかたい竹である。多く水際に生えるので「水すす」といっている。焉(編集の都合により代字、たけかんむりに焉)の字を書く。「みすゝ刈る信濃(※ヌは、江戸時代の万葉仮名の訓)」と云っている。信濃の枕詞にする。
吉野のみすずの下は、いつも蕨が盛んな時は蕨所じゃに(であるのに)、また「風冴えて」と言ったのである。その外の一目千本のあたりにはちらちら見えているのに、という意味である。それで又「みすずが下」と言うのであって、風が冴えて春まだ寒い気配があるのである。「下は」の「は」で持つて(その春の気配が)あるのである。味わうべきである。
※「持つてある」は、「以つてある」の当字ととり、「「は」で以て春の気配があるのだ」ととるか、送り仮名の「つ」を補って「持つ〈つて〉があるのだ」と解釈するか、わからないが、主語を補って上のように解釈した。
15では「便」という語が用いられている。〈つて〉は、辞書では〈たより、てがかり〉といった意味である。ある事柄(題の風情)を言うのに、それを引き出すのに不自然ではない語の斡旋の仕方が、「調べをなす」ということであり、ここはその具体的な例と言ってよいだろう。 ※後日文末の訳を少し手直しした。
18 春月
春の夜をおぼろ月夜といふことはかすみのたてる名にこそありけれ
※この歌6番と同じ。別の機会の講義か。
□「おぼろづく夜」、「つきよ」とよむもよし。まことは「おぼろづく夜」なり。万葉時代、藤原より飛鳥までは、「つく夜」といふなり。調のまゝに「つくよ」といふなり。古の調のよきにつく事、しるべし。又後に「月夜よし、夜よし」といふもあれば、「月夜」とよむ事一向かまはず。別て、今では「つき夜」といふ也。又「つく夜」といふ事は今も云ふなり。春の夜を「おぼろ月夜」と云ふやうに云ひふらすは、霞が立てたのぢや、と也。「おぼろ」、おぼおぼしき也。無覚束、おほれる、おほゆる、又おもとも云ふ也。「おもひ」しかとせぬなり。胸のくもりて、はきとせぬが「おもひ」也。むしやむしやとして確ならぬを「思」と云ふなり。「思」は人の胸の不明事也。歌は「思ひ」をのぶる故義理々々しき事はなきなり。
○「おぼろづく夜」は、「つきよ」と読んでもよい。ほんとうは「おぼろづく夜」である。万葉時代、藤原から飛鳥までは、「つく夜」と言った。調べのままに「つくよ」というのである。古の調べが良い方につく事を知るべきである。又後に「月夜よし、夜よし」と言うこともあるので「月夜」とよむ事はまったくかまわない。別して今では「つき夜」という。又「つく夜」という事は今も言うのである。春の夜を「おぼろ月夜」というように言いふらすのは、霞が(うわさを)立てたのじゃというのである。「おぼろ」は、おぼおぼしいのである。おぼつかず、「おぼれる」「おぼゆる」又「おも」とも言う。思いがはっきりとしないのである。胸がくもってはっきりとしないのが、「おもひ」である。むしゃむしゃとして確かではないのを「思(ひ)」と言うのである。「思(ひ)」は、人の胸の不明事である。歌は「思ひ」をのべる(ものな)ので、義理々々しい(あまり理路の筋につく)事はないのである。
19
詠めてもおもはぬ誰かはるの夜のかすみを月にゆるしそめけん
六九 詠(なが)めても思はぬ誰(たれ)か春の夜の霞を月にゆるし初(そめ)けむ 文政三年
□「ながめ」は、物思の形なり。きよろりとしたる形なり。眼のきよろつくなり。物思ひある時なり。それ故目がうつとりとなるなり。目が長くなるなり。横に長くなるなり。「古事記」景行紀に長目とあるなり。目細くうつとりとなるなり。「源氏」に「父君に別れたまひ、ながめがちにて暮らしたまふ」とあり。物思あることなり。
さて夕暮に雲を見て、物思が出づるなどは、目に見るよりして物思ひとなるなり。しかし眺める事は見ることとかたづくべからず。目に見る事にかけて、物思の事に入るゝなり。
「月をながめて」とは、月を物思して見るなり。調度目による縁故「眺めて」とつかふなり。春月をつくづくとながめてゐても物思ある故、月を月とも思はぬなり。月を見て居ながら月を何とも思はぬ人がある、誰か、となり。誰か古へ霞を何とも思はず居たぞや、となり。霞を厭ふ心はなくて、誰か許しそめけんぞや、と云ふなり。許すまじき事をあたら月に霞む事にしたわい、となり。
○「ながめ」は物思いの形である。きょろりとした形だ。眼がきょろつくのだ。物思いがある時だ。だから目がうっとりとなる。目が長くなるのだ。横に長くなる。「古事記」景行紀に「長目」とある。目細くうっとりとなるのだ。「源氏」に「父君に別れたまひながめがちにて暮らしたまふ」とあり、物思いのあることである。
さて夕暮に雲を見て物思いが出るなどというのは、目に見ることがきっかけとなって物思いとなるのである。しかし、眺める事は見ることと片づけてはいけない。目に見る事に掛けて物思いの事に入れるのである。
月をながめてとは、月を物思いして見るのだ。ちょうど目による縁故に「眺めて」と使うのだ。春月をつくづくとながめて居ても、物思いがあるせいで月を月とも思わないのである。月を見て居ながら月を何とも思わない人はいるだろうか、(それは私以外の)誰だろうか、という(意味)である。誰が昔から霞を何とも思わないで居たでしょうか、というのである。霞を厭う心はなくて、「誰か」「許しそめけむ」(誰がそんなことを許しはじめただろうか)というのである。許すことができない事を、あたら(惜しいことに)月を霞ませて(見えなくして)しまう事にしたものじゃわい、というのである。
※「きよろりとしたる」なんて、おもしろい言い方だ。語尾の「~じゃ」というのは宣長の「遠鏡」にならったものだが、この「講義」は基本が口述筆記だから、口語資料としての価値もある。
20 春月朧
おぼつかなおぼろおぼろと我妹子がかきねも見えぬ春の夜の月
七〇 おぼつかなおぼろおぼろと我妹子が墻ねもみえぬはるの夜の月
□此体景樹に限るなるべし。「春夜行」の気色なり。
「おぼろおぼろ」と重ねたること古来なきなり。「平がな盛衰記」に「おぼろおぼろと白玉か」とあるなり。「おぼつかな」、おぼおぼしくてつきなきなり。つきとなきなり。「我妹子か垣ね」、里でも宮女の宮つかへのやしきでも云ふべし。「いも」、男より女をさして云。女より男をさして「せ」と云ふなり。「いもせ」の中、即夫婦なり。男女の中がもとなれども、夫婦ほど朝夕立並ぶものはなきなり。故に「いもせ」といへば夫婦の中なり。たゝ離して「いも」と云へば家内の事ではなきなり。男が女をよぶ名なり。天照大神弟のすさのをの尊を「わがせの君」と仰せられたり。是男をさすなり。夫を兄の字か書きてある故、兄弟を取違へたる説あり。字によるではなきなり。「せ」は男をさす名なり。
「いもと」は妹人(ルビ、いもと)なり。姉から「いもと」と云ふ事はなきなり。「古今集」に「女のおとうと」とあるなり。「女の弟」といふ事なり。男ではなきなり。女の下をやはり「おとと」と云ひたるなり。「乙人」なり。
「わぎもこ」、こは女の通称になるなり。「こらが手を」など女の手なり。今も女に「何子」とつけるなり。「わがいも」と云ふは、親みて云ふなり。「わが」とは、もろこしわが朝の類なり。「わが」と云ふは(一字アキ)天子一人仰せらるゝでなくて、わが生れたる国、又「わが里」と云へば岡崎を云ふなり。一人の事ではなけれども云ふなり。「国」、里にもいへば人にも云ふべし。必契りし人をのみ「わがいも」とは云はぬなり。親しきあまりに云ふなり。たとへばいつも呼ふ舞子を云うてもよきなり。
かき根と云うても必垣のもとに限らず。されども垣根の塵草と云へば垣の裾なり。
○この(歌)体は、景樹に限ったものであろう。「春夜行」の気色(様子)である。
「おぼろおぼろ」と重ねたことは、古来ないのだ。「平仮名盛衰記」に「おぼろおぼろと白玉か」とある。「おぼつかな」は、おぼおぼしくて(ぼんやりとしていて)月が見えないのである。「月と」ないのである。「我妹子が垣ね」は、里でも宮女の宮仕えの屋敷でも言うだろう。「いも」は、男から女をさして言う。女から男をさして「せ」と言うのだ。「いもせの仲」すなわち夫婦である。男女の仲が元であるけれども、夫婦ほど朝夕立並ぶものはないのである。故に「いもせ」と言えば夫婦の仲のことをさす。ただ離して「いも」と言うと家内(いえぬち)の事ではない。男が女を呼ぶ名である。天照大神が弟のすさのをの尊を「わがせの君」と仰せになった。これは男をさすのだ。「夫」を「兄」の字が書いてあるので兄弟を取違へたという説がある。字によるのではない。「せ」は男をさす名(語句)である。
「いもと」は妹人(ルビ、いもと)である。姉から「いもと」と言う事はない。「古今集」に「女のおとうと」とある。女の弟といふ事だ。男ではないのだ。女の下をやはり「おとと」(弟)と言ったのだ。(つまり)「乙人」である。
「わぎもこ」これは女の通称になるのだ。「こらが手を」などと(いうのは)女の手のことだ。今も女に「何子」とつけるのだ。「わがいも」と言うのは親しんで言うのだ。「わが」とは、「もろこし、わが朝」の類である。「わが」と言うのは(一字アキ)天子一人がおっしゃるのではなくて、わが生れたる国、又わが里と言えば(この)岡崎を言うのだ。一人の事ではないけれども言うのである。国里にも言えば人に言うのもかまわない。必ず契った人だけを「わがいも」とは言わないのである。親しさのあまりに言うのである。たとえばいつも呼ぶ舞子(のこと)を言ってもいいのである。
「かき根」と言っても必ず垣のもととは限らない。そうであるけれども「垣根の塵草」と言えば垣の裾をさすのである。
*ここでの景樹の古語についての知識や考証は、かなり正確なものではないだろうか。「此体景樹に限るなるべし」と言って自信作であることがわかる。「おぼつかな」で初句切れ。それを二句めの「おぼろおぼろと」というオノマトペで受ける。語呂が良くて、しかもそんなに俗な感じはしない。人口に膾炙した作品。
21 春暁月
うぐひすのあかつきおきの初こゑに今はとしらむ春のよのつき
七一 鶯のあかつきおきのはつこゑにいまはとしらむ春のよの月 文政二年
□鶯は早く起る鳥なり。暁起をするなり。人の早く起るを暁おきといふなり。それを鶯につかふなり。僧の修行などには大にあるなり。「暁起」まだほのぼの位なり。「いまはと白む」、やがても夜があけるさうな、となり。短夜の気色なり。
○鶯は早く起きる鳥である。暁起きをするのだ。人の早く起きるのを暁起きと言う。それを鶯に使うのである。僧の修行などでは多くあることだ。「暁起」まだほのぼの(明ける)ていどである。「今はとしらむ」、すぐにも夜があけるそうな、ということである。短夜の気色だ。
*四句め「今はとしらむ」の四三調、関東アクセントで読むとどことなく気ぜわしくなる。
22 春夕月
あまりにも春の日かげのながければくるゝもまたで月は出にけり
七二 あまりにもはるの日影のながければ暮(くる)るもまたで月は出にけり 文化四年
□「ゆうべ」は、「ようべ」なり「よべ」なり。「ゆ」と「よ」と通ふ(な、の脱字か)り。「よひ」「ゆひ」「浦ゆ」「浦より」など通ずるなり。七ツ時分から初夜位迄をいふ。ひろきなり。
「ゆうべの月」といへば、夕に出る月なり。「ゆふ月」は日の内より出でゝあるなり。いつでも半月なり。それ故におぼつかなき事の枕につかふなり。「夕月のおぼつかなくも」などある。日のうち故見えかぬる意なり。これが「ゆふ月」なり。「ゆふべの月」といへば夕方に出づる也。
○「ゆうべ」は「ようべ」である。「よべ」だ。「ゆ」と「よ」と通うのである。「よひ」「ゆひ」「浦ゆ」「浦より」など(と)通ずるのである。七ツ時分から初夜位迄を言う。広い(時間の幅)だ。
「ゆうべの月」と言えば、夕に出る月だ。「ゆふ月」は日の(ある)内から出ているのである。いつでも半月である。それ故にはっきりしない事の枕に使うのだ。「夕月のおぼつかなくも」などと(古歌に)ある。日があるうちだから見えかねるという意味である。これが夕月だ。「ゆふべの月」と言うので夕方に出たのである。
※「春霞たなびく今日の夕月夜覚束なくもこひ渡るかな」「古今和歌六帖」二五二九。念のため三句目までが同じ歌は「万葉集」一八七八。下句「-きよくてるらむ-たかまつののに」。
23 山家春月
世の中の春にはもれし山里の月のひかりもかすむころかな
七三 世中のはるにはもれし山ざとの月の光も霞むころかな 文政九年 三句め「山里モ」を訂す。四句目「光ハ」を訂す。
□「世の中の春にもれたる」としたるがよみたてなりしを、紀州の安田が「もれし」をよしといひたり。
「世の中」にかゝづらはぬ山里なり。大空の月にはもれぬかと見えて、のがれず世中の春と同様にかすむとなり。
○世の中の春にもれたとした所が、「よみたて」であったのを、紀州の安田が(この)もれたのを良いと言った。
世の中にかかづらわない山里である。大空の月の光にはもれないかと見えて、のがれず世の中の春と同様にかすんでいる、というのである。
※この「よみたて」という語については、黒岩一郎がその著書で景樹の重要な技巧のひとつとして論じている。いわゆる〈見立て〉ということだが、事物を言語によって比喩的にとらえる際の知的な仕掛けのようなものを景樹は広く「よみたて」と言っている。
24 柴の戸に鳴きくらしたるうくひすの花のねくらも月やさすらん
七四 柴の戸に鳴(なき)くらしたる鶯の花のねぐらも月やさすらん 文化十二年
□一日花を見くらしてその所に月を見る、長閑なる気色なり。前よりは此方おもしろきなり。すべて春夏の月は横からさすなり。さしこむ月を多くいふなり。こちに月かさすより鶯の花の塒もさすであらう、といふなり。
○一日花を見て暮らして、その(同じ)場所に月を見るという長閑な気色である。前(の歌)よりはこっちの方がおもしろい。すべて春・夏の月は、横から射すものである。射し込む月を多く歌にして言うのである。こっちに月が射すやいなや鶯の花の塒(ねぐら)にも射すであろうというのである。
25 題不知
旅にして誰にかたらんとほつあふみいなさ細江の春のあけぼの
七五 旅にして誰(たれ)にかたらむ遠(とほ)つあふみいなさ細江(ほそえ)の春の明ぼの
□「題不知」の事、山脇道作など、一番にいうて来たり。秋山もいへり。詩でいはゝ(ば)無題なり。題は端書なり。はしがきの書様がなきなり。題に書かれぬは書ずともよし。又書にくい、書きともない、皆「題知らず」でよきなり。「古今集」にも撰者が自貫之躬恒などの歌に「題知らず」があるなり。又此「桂園一枝」は門人の集めたるとしたる故、猶又「題知らず」としてよきなり。たとひ序文に景樹あらはす、とありても苦からぬなり。
又「よみ人知らず」も心ある事なり。「古今」に歌合の歌に「よみ人知らず」のあるは、撰者が一緒に歌合をしておきて居ながら「よみ人知らず」があるなり。
此歌、題には一向書かれぬなり。実景なり。遠江灘を舟にてはいやでありし故に、ぬけ道を行きたらば、山の出たる所に引佐細江がありしなり。古人も「心あらん人に見せばや津の国のなにはわたりの春けしきを」と同様なり。
関東往来の第一番のけしきなり。夢島の景色など、別して妙なり。春の夢島の歌もあれども、返ていふと悪しきやうに覚ゆるなり。
〇「題不知」の事(は)、山脇道作など一番に言って来た。秋山も言った。詩で言うと「無題」だ。題は端書である。「はしがき」の書き様がないのである。題に書くことができないのは書かなくともよい。又書きにくい、書きたくもないのは、皆「題知らず」でよいのである。「古今集」にも撰者みずから貫之、躬恒などの歌に「題知らず」があるのだ。又この「桂園一枝」は門人が集めたものとしてあるのだから、なおさら「題知らず」としてもよいのである。たとえ序文に「景樹著す」とあっても苦しからぬことである。
又「よみ人知らず」も心ある事なのだ。「古今」に歌合の歌に「よみ人知らず」の歌があるのは、撰者が一緒に歌合をしておいて居ながら「よみ人知らず」の歌があるのである。
この歌、題にはまったく書けないことである。実景である。遠江灘を舟では嫌だったために、ぬけ道を行ったら山を出た所に「いなさ佐細江」があったのだ。古人も(歌っている)「心あらん人に見せばや津の国のなにはわたりの春(※「の」、脱字)けしきを」と同様だ。
関東に往来(した時の)の第一番の気色(景色)である。夢島の景色など格別に玄妙である。春の夢島の歌もあるけれども、思い返して言うと(それほど)よくないように思われる。
※「ふじのくに文化資源データベース」によれば、この歌は石碑となって「気賀関所の隣りに整備された文学広場にあります」とのこと。 2017.8.17追記
※引例は『後拾遺集』所収の能因法師の著名歌。この歌は景樹の畢生の名歌のひとつ。
☆以下、拙著『香川景樹と近代歌人』より。
「ここには『桂園一枝』編集の舞台裏や、「題知らず」の扱い方についての景樹の柔軟な考え方が、飾りなく語られていて興味深い。座談の雰囲気までも彷彿としてくる臨場感あふれる口述筆記となっている。一般的な習慣にとらわれている弟子たちは、「題知らず」についての他流からの非難に不安になることもあっただろう。ここで「秋山」と言っているのは、かつての論敵村田春海の弟子の秋山光彪が『大ぬさ』と題した桂園一枝評を板行したもののことだろう(※)。しかし、歌集に従来の部立てに存在しない「事につき時にふれたる」の章を別に設けたぐらいだから、景樹はそこのところではまったく自由だった。掲出歌は、旅行記として切り離されて流布するテキストのうちの一首であるし、旅行中の嘱目なのだから題などいらない。まさに「実景」の歌だ。ここからわかることは、題詠の題の形骸化と和歌の具体的な内実の獲得とが相関関係にあり、発表する場に左右される恣意的なものとなっているということである。
景樹の講義は、歌そのものよりもそれにまつわる古典和歌についての理解が正確なことに驚かされる。景樹は「古今集」研究については大家であり、現代の研究者もそれは認めている。景樹の『古今和歌集正義』は、当時可能な限り厳密なテキストについての考証を行った『古今和歌集』の注釈書である。たとえば大岡信との対談で和歌研究者の奥村恒哉が、「下手な新しい注釈書はいらない」ほどに優れたものだと言ったことがある(『海とせせらぎ 大岡信対談集』)。
景樹の注釈は、解釈やテキスト本文の校訂をめぐって細部に論争的な観点を提示している事が多く、これを読んでいると、和歌好きの門人たちには、おもしろくてたまらなかっただろうと思われる。」
(※) 「現在にものせし集に題しらずとかくべきことかは」『大ぬさ』より
みよしのゝみすゞが下は風さえてまだ萌出でず春のさわらび
六七 みよしのゝみすゞがしたは風さえてまだ萌いでず春のさわらび
□めづらしき時分なり。此歌古体にしていやみ少し。以前の「たがゆかりより」の歌は七百年以来の歌になるなり。常世になるなり。此歌は古体になるなり。「みすゝ」、すゝ竹とてかたき竹なり。多く水涯にはえる故、「水(ルビ、片仮名でミ)すず」といへり。「焉(編集の都合により代字、たけかんむりに焉)」の字を書くなり。「みすゝ刈る信濃(ルビ、片仮名で「濃」にヌ)」と云へり。「しなぬ」の枕にするなり。
吉野の「焉(前出、代字)」の下はいつも蕨の盛の時は蕨所ぢやに、「まだ」「風冴えて」となり。其外の一目千本のあたりには、ちらちら見えるに、となり。さて又「焉が下」と云ふにて、風の冴えて春まだ寒き気色あるなり。「下は」の「は」で持つてあるなり。味ふべし。
○好ましい時分である。この歌は古体でいやみが少ない。以前の「たがゆかりより」の歌は、七百年以来の歌になるのだ。(ほとんど)永遠のものとなっている。この歌は、古体になるのである。「みすず」は、すす竹といってかたい竹である。多く水際に生えるので「水すす」といっている。焉(編集の都合により代字、たけかんむりに焉)の字を書く。「みすゝ刈る信濃(※ヌは、江戸時代の万葉仮名の訓)」と云っている。信濃の枕詞にする。
吉野のみすずの下は、いつも蕨が盛んな時は蕨所じゃに(であるのに)、また「風冴えて」と言ったのである。その外の一目千本のあたりにはちらちら見えているのに、という意味である。それで又「みすずが下」と言うのであって、風が冴えて春まだ寒い気配があるのである。「下は」の「は」で持つて(その春の気配が)あるのである。味わうべきである。
※「持つてある」は、「以つてある」の当字ととり、「「は」で以て春の気配があるのだ」ととるか、送り仮名の「つ」を補って「持つ〈つて〉があるのだ」と解釈するか、わからないが、主語を補って上のように解釈した。
15では「便」という語が用いられている。〈つて〉は、辞書では〈たより、てがかり〉といった意味である。ある事柄(題の風情)を言うのに、それを引き出すのに不自然ではない語の斡旋の仕方が、「調べをなす」ということであり、ここはその具体的な例と言ってよいだろう。 ※後日文末の訳を少し手直しした。
18 春月
春の夜をおぼろ月夜といふことはかすみのたてる名にこそありけれ
※この歌6番と同じ。別の機会の講義か。
□「おぼろづく夜」、「つきよ」とよむもよし。まことは「おぼろづく夜」なり。万葉時代、藤原より飛鳥までは、「つく夜」といふなり。調のまゝに「つくよ」といふなり。古の調のよきにつく事、しるべし。又後に「月夜よし、夜よし」といふもあれば、「月夜」とよむ事一向かまはず。別て、今では「つき夜」といふ也。又「つく夜」といふ事は今も云ふなり。春の夜を「おぼろ月夜」と云ふやうに云ひふらすは、霞が立てたのぢや、と也。「おぼろ」、おぼおぼしき也。無覚束、おほれる、おほゆる、又おもとも云ふ也。「おもひ」しかとせぬなり。胸のくもりて、はきとせぬが「おもひ」也。むしやむしやとして確ならぬを「思」と云ふなり。「思」は人の胸の不明事也。歌は「思ひ」をのぶる故義理々々しき事はなきなり。
○「おぼろづく夜」は、「つきよ」と読んでもよい。ほんとうは「おぼろづく夜」である。万葉時代、藤原から飛鳥までは、「つく夜」と言った。調べのままに「つくよ」というのである。古の調べが良い方につく事を知るべきである。又後に「月夜よし、夜よし」と言うこともあるので「月夜」とよむ事はまったくかまわない。別して今では「つき夜」という。又「つく夜」という事は今も言うのである。春の夜を「おぼろ月夜」というように言いふらすのは、霞が(うわさを)立てたのじゃというのである。「おぼろ」は、おぼおぼしいのである。おぼつかず、「おぼれる」「おぼゆる」又「おも」とも言う。思いがはっきりとしないのである。胸がくもってはっきりとしないのが、「おもひ」である。むしゃむしゃとして確かではないのを「思(ひ)」と言うのである。「思(ひ)」は、人の胸の不明事である。歌は「思ひ」をのべる(ものな)ので、義理々々しい(あまり理路の筋につく)事はないのである。
19
詠めてもおもはぬ誰かはるの夜のかすみを月にゆるしそめけん
六九 詠(なが)めても思はぬ誰(たれ)か春の夜の霞を月にゆるし初(そめ)けむ 文政三年
□「ながめ」は、物思の形なり。きよろりとしたる形なり。眼のきよろつくなり。物思ひある時なり。それ故目がうつとりとなるなり。目が長くなるなり。横に長くなるなり。「古事記」景行紀に長目とあるなり。目細くうつとりとなるなり。「源氏」に「父君に別れたまひ、ながめがちにて暮らしたまふ」とあり。物思あることなり。
さて夕暮に雲を見て、物思が出づるなどは、目に見るよりして物思ひとなるなり。しかし眺める事は見ることとかたづくべからず。目に見る事にかけて、物思の事に入るゝなり。
「月をながめて」とは、月を物思して見るなり。調度目による縁故「眺めて」とつかふなり。春月をつくづくとながめてゐても物思ある故、月を月とも思はぬなり。月を見て居ながら月を何とも思はぬ人がある、誰か、となり。誰か古へ霞を何とも思はず居たぞや、となり。霞を厭ふ心はなくて、誰か許しそめけんぞや、と云ふなり。許すまじき事をあたら月に霞む事にしたわい、となり。
○「ながめ」は物思いの形である。きょろりとした形だ。眼がきょろつくのだ。物思いがある時だ。だから目がうっとりとなる。目が長くなるのだ。横に長くなる。「古事記」景行紀に「長目」とある。目細くうっとりとなるのだ。「源氏」に「父君に別れたまひながめがちにて暮らしたまふ」とあり、物思いのあることである。
さて夕暮に雲を見て物思いが出るなどというのは、目に見ることがきっかけとなって物思いとなるのである。しかし、眺める事は見ることと片づけてはいけない。目に見る事に掛けて物思いの事に入れるのである。
月をながめてとは、月を物思いして見るのだ。ちょうど目による縁故に「眺めて」と使うのだ。春月をつくづくとながめて居ても、物思いがあるせいで月を月とも思わないのである。月を見て居ながら月を何とも思わない人はいるだろうか、(それは私以外の)誰だろうか、という(意味)である。誰が昔から霞を何とも思わないで居たでしょうか、というのである。霞を厭う心はなくて、「誰か」「許しそめけむ」(誰がそんなことを許しはじめただろうか)というのである。許すことができない事を、あたら(惜しいことに)月を霞ませて(見えなくして)しまう事にしたものじゃわい、というのである。
※「きよろりとしたる」なんて、おもしろい言い方だ。語尾の「~じゃ」というのは宣長の「遠鏡」にならったものだが、この「講義」は基本が口述筆記だから、口語資料としての価値もある。
20 春月朧
おぼつかなおぼろおぼろと我妹子がかきねも見えぬ春の夜の月
七〇 おぼつかなおぼろおぼろと我妹子が墻ねもみえぬはるの夜の月
□此体景樹に限るなるべし。「春夜行」の気色なり。
「おぼろおぼろ」と重ねたること古来なきなり。「平がな盛衰記」に「おぼろおぼろと白玉か」とあるなり。「おぼつかな」、おぼおぼしくてつきなきなり。つきとなきなり。「我妹子か垣ね」、里でも宮女の宮つかへのやしきでも云ふべし。「いも」、男より女をさして云。女より男をさして「せ」と云ふなり。「いもせ」の中、即夫婦なり。男女の中がもとなれども、夫婦ほど朝夕立並ぶものはなきなり。故に「いもせ」といへば夫婦の中なり。たゝ離して「いも」と云へば家内の事ではなきなり。男が女をよぶ名なり。天照大神弟のすさのをの尊を「わがせの君」と仰せられたり。是男をさすなり。夫を兄の字か書きてある故、兄弟を取違へたる説あり。字によるではなきなり。「せ」は男をさす名なり。
「いもと」は妹人(ルビ、いもと)なり。姉から「いもと」と云ふ事はなきなり。「古今集」に「女のおとうと」とあるなり。「女の弟」といふ事なり。男ではなきなり。女の下をやはり「おとと」と云ひたるなり。「乙人」なり。
「わぎもこ」、こは女の通称になるなり。「こらが手を」など女の手なり。今も女に「何子」とつけるなり。「わがいも」と云ふは、親みて云ふなり。「わが」とは、もろこしわが朝の類なり。「わが」と云ふは(一字アキ)天子一人仰せらるゝでなくて、わが生れたる国、又「わが里」と云へば岡崎を云ふなり。一人の事ではなけれども云ふなり。「国」、里にもいへば人にも云ふべし。必契りし人をのみ「わがいも」とは云はぬなり。親しきあまりに云ふなり。たとへばいつも呼ふ舞子を云うてもよきなり。
かき根と云うても必垣のもとに限らず。されども垣根の塵草と云へば垣の裾なり。
○この(歌)体は、景樹に限ったものであろう。「春夜行」の気色(様子)である。
「おぼろおぼろ」と重ねたことは、古来ないのだ。「平仮名盛衰記」に「おぼろおぼろと白玉か」とある。「おぼつかな」は、おぼおぼしくて(ぼんやりとしていて)月が見えないのである。「月と」ないのである。「我妹子が垣ね」は、里でも宮女の宮仕えの屋敷でも言うだろう。「いも」は、男から女をさして言う。女から男をさして「せ」と言うのだ。「いもせの仲」すなわち夫婦である。男女の仲が元であるけれども、夫婦ほど朝夕立並ぶものはないのである。故に「いもせ」と言えば夫婦の仲のことをさす。ただ離して「いも」と言うと家内(いえぬち)の事ではない。男が女を呼ぶ名である。天照大神が弟のすさのをの尊を「わがせの君」と仰せになった。これは男をさすのだ。「夫」を「兄」の字が書いてあるので兄弟を取違へたという説がある。字によるのではない。「せ」は男をさす名(語句)である。
「いもと」は妹人(ルビ、いもと)である。姉から「いもと」と言う事はない。「古今集」に「女のおとうと」とある。女の弟といふ事だ。男ではないのだ。女の下をやはり「おとと」(弟)と言ったのだ。(つまり)「乙人」である。
「わぎもこ」これは女の通称になるのだ。「こらが手を」などと(いうのは)女の手のことだ。今も女に「何子」とつけるのだ。「わがいも」と言うのは親しんで言うのだ。「わが」とは、「もろこし、わが朝」の類である。「わが」と言うのは(一字アキ)天子一人がおっしゃるのではなくて、わが生れたる国、又わが里と言えば(この)岡崎を言うのだ。一人の事ではないけれども言うのである。国里にも言えば人に言うのもかまわない。必ず契った人だけを「わがいも」とは言わないのである。親しさのあまりに言うのである。たとえばいつも呼ぶ舞子(のこと)を言ってもいいのである。
「かき根」と言っても必ず垣のもととは限らない。そうであるけれども「垣根の塵草」と言えば垣の裾をさすのである。
*ここでの景樹の古語についての知識や考証は、かなり正確なものではないだろうか。「此体景樹に限るなるべし」と言って自信作であることがわかる。「おぼつかな」で初句切れ。それを二句めの「おぼろおぼろと」というオノマトペで受ける。語呂が良くて、しかもそんなに俗な感じはしない。人口に膾炙した作品。
21 春暁月
うぐひすのあかつきおきの初こゑに今はとしらむ春のよのつき
七一 鶯のあかつきおきのはつこゑにいまはとしらむ春のよの月 文政二年
□鶯は早く起る鳥なり。暁起をするなり。人の早く起るを暁おきといふなり。それを鶯につかふなり。僧の修行などには大にあるなり。「暁起」まだほのぼの位なり。「いまはと白む」、やがても夜があけるさうな、となり。短夜の気色なり。
○鶯は早く起きる鳥である。暁起きをするのだ。人の早く起きるのを暁起きと言う。それを鶯に使うのである。僧の修行などでは多くあることだ。「暁起」まだほのぼの(明ける)ていどである。「今はとしらむ」、すぐにも夜があけるそうな、ということである。短夜の気色だ。
*四句め「今はとしらむ」の四三調、関東アクセントで読むとどことなく気ぜわしくなる。
22 春夕月
あまりにも春の日かげのながければくるゝもまたで月は出にけり
七二 あまりにもはるの日影のながければ暮(くる)るもまたで月は出にけり 文化四年
□「ゆうべ」は、「ようべ」なり「よべ」なり。「ゆ」と「よ」と通ふ(な、の脱字か)り。「よひ」「ゆひ」「浦ゆ」「浦より」など通ずるなり。七ツ時分から初夜位迄をいふ。ひろきなり。
「ゆうべの月」といへば、夕に出る月なり。「ゆふ月」は日の内より出でゝあるなり。いつでも半月なり。それ故におぼつかなき事の枕につかふなり。「夕月のおぼつかなくも」などある。日のうち故見えかぬる意なり。これが「ゆふ月」なり。「ゆふべの月」といへば夕方に出づる也。
○「ゆうべ」は「ようべ」である。「よべ」だ。「ゆ」と「よ」と通うのである。「よひ」「ゆひ」「浦ゆ」「浦より」など(と)通ずるのである。七ツ時分から初夜位迄を言う。広い(時間の幅)だ。
「ゆうべの月」と言えば、夕に出る月だ。「ゆふ月」は日の(ある)内から出ているのである。いつでも半月である。それ故にはっきりしない事の枕に使うのだ。「夕月のおぼつかなくも」などと(古歌に)ある。日があるうちだから見えかねるという意味である。これが夕月だ。「ゆふべの月」と言うので夕方に出たのである。
※「春霞たなびく今日の夕月夜覚束なくもこひ渡るかな」「古今和歌六帖」二五二九。念のため三句目までが同じ歌は「万葉集」一八七八。下句「-きよくてるらむ-たかまつののに」。
23 山家春月
世の中の春にはもれし山里の月のひかりもかすむころかな
七三 世中のはるにはもれし山ざとの月の光も霞むころかな 文政九年 三句め「山里モ」を訂す。四句目「光ハ」を訂す。
□「世の中の春にもれたる」としたるがよみたてなりしを、紀州の安田が「もれし」をよしといひたり。
「世の中」にかゝづらはぬ山里なり。大空の月にはもれぬかと見えて、のがれず世中の春と同様にかすむとなり。
○世の中の春にもれたとした所が、「よみたて」であったのを、紀州の安田が(この)もれたのを良いと言った。
世の中にかかづらわない山里である。大空の月の光にはもれないかと見えて、のがれず世の中の春と同様にかすんでいる、というのである。
※この「よみたて」という語については、黒岩一郎がその著書で景樹の重要な技巧のひとつとして論じている。いわゆる〈見立て〉ということだが、事物を言語によって比喩的にとらえる際の知的な仕掛けのようなものを景樹は広く「よみたて」と言っている。
24 柴の戸に鳴きくらしたるうくひすの花のねくらも月やさすらん
七四 柴の戸に鳴(なき)くらしたる鶯の花のねぐらも月やさすらん 文化十二年
□一日花を見くらしてその所に月を見る、長閑なる気色なり。前よりは此方おもしろきなり。すべて春夏の月は横からさすなり。さしこむ月を多くいふなり。こちに月かさすより鶯の花の塒もさすであらう、といふなり。
○一日花を見て暮らして、その(同じ)場所に月を見るという長閑な気色である。前(の歌)よりはこっちの方がおもしろい。すべて春・夏の月は、横から射すものである。射し込む月を多く歌にして言うのである。こっちに月が射すやいなや鶯の花の塒(ねぐら)にも射すであろうというのである。
25 題不知
旅にして誰にかたらんとほつあふみいなさ細江の春のあけぼの
七五 旅にして誰(たれ)にかたらむ遠(とほ)つあふみいなさ細江(ほそえ)の春の明ぼの
□「題不知」の事、山脇道作など、一番にいうて来たり。秋山もいへり。詩でいはゝ(ば)無題なり。題は端書なり。はしがきの書様がなきなり。題に書かれぬは書ずともよし。又書にくい、書きともない、皆「題知らず」でよきなり。「古今集」にも撰者が自貫之躬恒などの歌に「題知らず」があるなり。又此「桂園一枝」は門人の集めたるとしたる故、猶又「題知らず」としてよきなり。たとひ序文に景樹あらはす、とありても苦からぬなり。
又「よみ人知らず」も心ある事なり。「古今」に歌合の歌に「よみ人知らず」のあるは、撰者が一緒に歌合をしておきて居ながら「よみ人知らず」があるなり。
此歌、題には一向書かれぬなり。実景なり。遠江灘を舟にてはいやでありし故に、ぬけ道を行きたらば、山の出たる所に引佐細江がありしなり。古人も「心あらん人に見せばや津の国のなにはわたりの春けしきを」と同様なり。
関東往来の第一番のけしきなり。夢島の景色など、別して妙なり。春の夢島の歌もあれども、返ていふと悪しきやうに覚ゆるなり。
〇「題不知」の事(は)、山脇道作など一番に言って来た。秋山も言った。詩で言うと「無題」だ。題は端書である。「はしがき」の書き様がないのである。題に書くことができないのは書かなくともよい。又書きにくい、書きたくもないのは、皆「題知らず」でよいのである。「古今集」にも撰者みずから貫之、躬恒などの歌に「題知らず」があるのだ。又この「桂園一枝」は門人が集めたものとしてあるのだから、なおさら「題知らず」としてもよいのである。たとえ序文に「景樹著す」とあっても苦しからぬことである。
又「よみ人知らず」も心ある事なのだ。「古今」に歌合の歌に「よみ人知らず」の歌があるのは、撰者が一緒に歌合をしておいて居ながら「よみ人知らず」の歌があるのである。
この歌、題にはまったく書けないことである。実景である。遠江灘を舟では嫌だったために、ぬけ道を行ったら山を出た所に「いなさ佐細江」があったのだ。古人も(歌っている)「心あらん人に見せばや津の国のなにはわたりの春(※「の」、脱字)けしきを」と同様だ。
関東に往来(した時の)の第一番の気色(景色)である。夢島の景色など格別に玄妙である。春の夢島の歌もあるけれども、思い返して言うと(それほど)よくないように思われる。
※「ふじのくに文化資源データベース」によれば、この歌は石碑となって「気賀関所の隣りに整備された文学広場にあります」とのこと。 2017.8.17追記
※引例は『後拾遺集』所収の能因法師の著名歌。この歌は景樹の畢生の名歌のひとつ。
☆以下、拙著『香川景樹と近代歌人』より。
「ここには『桂園一枝』編集の舞台裏や、「題知らず」の扱い方についての景樹の柔軟な考え方が、飾りなく語られていて興味深い。座談の雰囲気までも彷彿としてくる臨場感あふれる口述筆記となっている。一般的な習慣にとらわれている弟子たちは、「題知らず」についての他流からの非難に不安になることもあっただろう。ここで「秋山」と言っているのは、かつての論敵村田春海の弟子の秋山光彪が『大ぬさ』と題した桂園一枝評を板行したもののことだろう(※)。しかし、歌集に従来の部立てに存在しない「事につき時にふれたる」の章を別に設けたぐらいだから、景樹はそこのところではまったく自由だった。掲出歌は、旅行記として切り離されて流布するテキストのうちの一首であるし、旅行中の嘱目なのだから題などいらない。まさに「実景」の歌だ。ここからわかることは、題詠の題の形骸化と和歌の具体的な内実の獲得とが相関関係にあり、発表する場に左右される恣意的なものとなっているということである。
景樹の講義は、歌そのものよりもそれにまつわる古典和歌についての理解が正確なことに驚かされる。景樹は「古今集」研究については大家であり、現代の研究者もそれは認めている。景樹の『古今和歌集正義』は、当時可能な限り厳密なテキストについての考証を行った『古今和歌集』の注釈書である。たとえば大岡信との対談で和歌研究者の奥村恒哉が、「下手な新しい注釈書はいらない」ほどに優れたものだと言ったことがある(『海とせせらぎ 大岡信対談集』)。
景樹の注釈は、解釈やテキスト本文の校訂をめぐって細部に論争的な観点を提示している事が多く、これを読んでいると、和歌好きの門人たちには、おもしろくてたまらなかっただろうと思われる。」
(※) 「現在にものせし集に題しらずとかくべきことかは」『大ぬさ』より