最初はSAH

2000.11にくも膜下出血(SAH)発症。無事後遺症もなく生還。今興味あること:脳のこと,教育のこと,テニスのこと

勝浦

2015-06-01 15:09:04 | Weblog
5月29日から31日まで、千葉の勝浦に行ってきました。
29日、金曜日は予報が外れ、海ほたるまで行ったらもう雨が降り始めました。
たこ焼きならぬアサリ焼きが美味しそうだったので、ちょっぴりだけ食べてみたらおやつにとてもよかった。

雨はどんどん本降りになり、風も強く吹き、最悪。
雨なら、アジサイがもう咲いているかと日運寺という寺に行きましたが、
まだ早すぎて、あと10日もすれば綺麗になるだろうにという感じ…
日蓮は安房小湊生まれだそうで、この辺りは日蓮宗の寺ばかりです。
天気がよければ、鋸山でも登ろうかと思ったけど、
最悪の天気なので、さっさと勝浦に行って、
夜は寿司やに行って地場産の握りを食べました。
鰹、クロムツ、金目、あわび、マカジキ、タコ、シメサバ、スルメイカ。
高級魚ではなかったけど、地場産だけあって、新鮮で美味しかったです。

夫と二人旅だったので、お互いに
「どうも、あなたと行くと天気が悪い。雨男(女)でしょ」
と、責任のなすりつけ合い。

仏オープンテニスのテレビも観られないので、さっさと寝ました。
ところが翌日の土曜日は素晴らしい天気。
養老渓谷に行くと、前日の雨の影響で、足下は滑って危険でしたが、
水量が豊富で、素晴らしい景色でした。

その後勝浦に戻って、勝浦城跡に行きました。
家康の側室養珠院お萬の方は、
紀州藩祖徳川頼宣、水戸藩祖徳川頼房を生んだ人ですが、
勝浦城主、正木頼正の娘だったとは知りませんでした。

養珠院像の建つ岬は素晴らしい景色でしたが、自殺の名所のようで、
沢山の卒塔婆が建っていて、まだ真新しい花束が置かれていました。

勝浦灯台も真向かいに見えます。
その後、官軍塚に廻りました。
官軍塚とは、戊辰戦争の末期、五稜郭の榎本武揚に手こずった津軽藩主津軽承昭が
実兄の熊本藩主細川護良に助けを求め、
細川護良は、横浜で米国汽船を雇い、加勢に向かうが、この辺りの沖で嵐で遭難し、
この土地の人たちが救助に当たったが、
沢山の死傷者が出、記念碑が建てられたとか…

そして、勝浦海中展望塔で、海底を泳ぐ魚を観て、
眼鏡岩を捜し廻って漸く見つけました。
(写真では素敵な景色のように見えますが、本当に狭い海岸にこの岩だけがあります)
夜は奮発して伊勢エビ料理を食べました。
といっても、東京では考えられないお安さ。
伊勢エビは、今は季節ではなく、水槽にいるもので小さなものでしたが、
跳ね回るのを料理してくれて、その他のお造りが超新鮮だったので、満足でした。
最後の日は、勝浦朝市に行って干物や野菜を買って、
行きにも寄った富浦の道の駅で、今が旬のびわを買って帰ってきました。

房総ってなかなかいいところでしたよ!
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 甦りの会 | トップ | 紫陽花 百合 そして杏 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事