今日の続きは、また明日

毎朝、カメラ片手の散歩で撮った写真を気の向くままに・・・

自殺

2007年01月25日 | 徒然なるままに
自殺が毎日のように記事になっていますが、本当の原因なんて本人にも分かっていない場合が多いのではないでしょうか。私自身、母親と弟を自殺で亡くしています。
自殺は良くないですよ・・・残された人に酷です。母が亡くなったのが40年以上昔、弟が亡くなったのが10年以上昔ですが、未だに釈然とせず、心に澱のように疑問や後悔が残っているし、自殺のニュースや記事を見るたびに思い出します。

母はうつ病で治療をしていましたが、いつも寝たい寝たいと言っていました。寝ればいやな事を考えないで済むからとの事らしいですが。うつ病の原因は、事業の失敗でした。手広く商売をしていましたが、母の一寸した失敗から倒産してしまいました。債権者が押し寄せ、お店の品物を持ち出すの唖然と見ていた記憶があります。その後母は死にたいと騒ぐようになり、入退院を繰り返しました。私たちは東京から離れた郊外の狭い長屋に移りましたが、二間しかない狭い家は、それまで豪華な家にいた母には耐えられなかったのかもしれません。当時浪人中だった私も父も仕事に出るため、家を空ける為、睡眠薬を隠していたのですが、とうとう見つけ大量に服用して死に至っています。多分たくさん寝たかっただけで、死ぬ気は無かったと思います。破産とはいえ、それなりの資金を父が持ち出していたので、生活に困ると言う事ではありませんでしたが、母には耐えられなかったんでしょうね。

弟はカッターナイフで首の頚動脈を切断していました。このときはまるで自分がドラマの中で演じているような気がしました。

初日
最初は彼が勤めているお店からの「弟さんから連絡はありませんか」との電話でした。
事情を聞くと、前日から出社していないとの事でした。連絡が無い旨、答えておきましたが、無断欠勤するような子ではないので、一寸気にはなりましたが、そのままにしておきました。
その日の夕方だったと思いますが、弟と付き合っていて半同棲している女性から突然電話がありました。付き合っているのは知っていましたが、面識も無く戸惑いましたが、興奮した声で絶対おかしい、何かあったと言う。突然の連絡だった事と、弟に事件・事故が降りかかる事なども想像出来なかったので、一日待ちましょうとと答え、その場は終わりにしました。

2日目
彼女から電話がきました。部屋を見てくれと熱心に云うし、尋常では無いと考え、弟のアパートで落ち合う事にしました。お店の同僚にも立ち会ってもらう事にして、弟のアパートに。
お店の人の説明を聞くと、その日、朝早くに出社し、仕事が一段楽した段階で、食事に出るような感じで、お店を出たとの事。彼女に聞くと、彼の部屋には経理の伝票がばら撒かれていて、すごい状況だったらしい。そして、彼女宛てに「ありがとう」と書かれたメモがあったらしい。
話を聞いたときは伝票は片付けられていて何か事件がおきたようには思えませんでした。
弟がお店を出たとき、途中で同僚に会い、つり銭の準備をお願いされ、普通に分かりましたと答えていたとの話もあり。失踪するとは考えられず、何かの事故かと考え、警察署にいき、事件・事故の関係者に弟らしき人は居ないか確認しましたが居ませんでした。取りあえず、失踪届けを出しておきました。
この段階でも、弟がひょっこり現れると思っていましたが、後になって考えると、確かにおかしい事がありました。

1.伝票が部屋中に撒かれていた→税務調査があり、不備が指摘され毎日遅くまで作業をしていたらしい。その伝票を部屋にばら撒いていったのは、戻る気が無かったんだろう。
2.「さよなら」と書かれたメモ→彼女宛だったので、何か喧嘩でもして書いたのかと思ったが、違った
3.生命保険証書→机の上の目立つところに置いてあった。

3日目
お店に伺い、上司や同僚に話を聞くが、税務調査の対応で連日朝早くから遅くまで働いていたらしい。ミスがあって、経営者から叱責を受けたらしい事が分かりました。お店の対応もおかしくて、まだどうなっているか分からないのに、弟の私物が纏められて箱に収められいました。今なら、過重な勤務によるうつ病とか、いじめが思い浮かんだんでしょうが、当時は考えもしませんでした。弟をかわいがってくれ、一緒にゴルフもした役員とも話をしましたが、どこか奥歯に物の挟まったような話し振りで、釈然としないまま分かれました。

4日目
警察から連絡がありました。
朝、弟のアパートの近くのお寺の境内で、犬の散歩をしていた奥さんが見つけたとの事でした。
弟が自殺をするなんて考えてもいませんでしたから、当然事件に巻き込まれたと思い、警察にいきました。担当の刑事さんと話すと、自殺の可能性が高いとの事。首の頚動脈を切っていると聞き、そこまで勇気があると思えず、ためらい傷など自殺の特徴があるか確認をしましたが、間違いないとの事で、釈然としないまま、検視が終わり本人確認をするのを待ちました。
検視が長引き、刑事さんからは遺体を見るのは大丈夫ですかとしつこく聞かれ、大丈夫ですと答えても、中々検視の部屋に案内をしてくれません。結局、刑事さんから遺体の写真を見せられ、確認をしました。私としてはそれほど惨い姿には見えなかったのですが、その写真を見せるときも、大丈夫ですかと何度も聞いてからおもむろに、見せてくれました。後で、葬儀屋さんに聞いたら、死後2日程、経っていて傷口の損傷が激しくそこの手当てに時間がかかったようでした。
検視を待つ間、お店の社長さん等が警察に来て事情聴取をされていましたが、私が兄と分かっていても、何の挨拶も無く通り過ぎていきます。いかにも弟の自殺が迷惑という感じが見て取れ、一人憤慨をしていました。

5、6日目
まさか、自分が弟の葬式をするとは考えてもいませんでした。
御通夜、告別式とあわただしく時間が過ぎていきました。

お骨になり骨壷を抱いた家内が一言「暖かい」と云いました。なぜかその一言でほっとした記憶があります。

弟に関して云えば、死亡推定日が私がアパートに行った日でした。
という事は、お店から連絡があったときは、まだ近くにいたはずです。夜もどこかに泊まったか、徹夜が出来るところにいたはずです。アパートに行ったときも、まだ近くをうろついていたかもしれません。頚動脈を切るのに使ったカッターナイフはアパートの近くのコンビニで購入していました。近くを探せば会えたかもしれません。等々自分を責めるような考えが今でも浮かびます。
警察に、原因と思われる事は何ですかとたずねましたが、答えてくれませんでした。検視をした先生に死亡診断書をもらいに行ったときにも、たずねましたが、本人にしか分からないのだから、そんな事は考えずに供養をしたら、といわれました。邪推ですが、職場での問題だったのだろうと思い、今でも会社の幹部の人たちを恨んでいる私がいます。

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うなぎ

2007年01月25日 | 徒然なるままに
ある程度の大人にならないと、ひとりで食べられないものってたくさんありますよね。
私的にはうなぎがそうでした。実は未だにうなぎ屋には一人では入れません。
今から40年程昔、浪人中でしたから19歳だったと思います。
親が店を閉め、その後始末を私がしました。お店の掛売りが残っていてその集金を私がやりましたが、集金したお金は生活費に回して自由に使っていました。そんな時でした、お昼に何かを食べようと思い、目に入ったのが、うなぎ屋さんです。その時、初めて一人でお店入って、うなぎを(それも肝吸い付きで)食べましたが、お店のおばさんが注文取りに来て、うなぎが出てくるまでの、場違いなところに居る、居心地の悪さと緊張感をいまだに覚えています。それがトラウマになって、苦手なのかもしれません。トラウマといえば、この時、お店を閉めて、色々な人に迷惑をかけましたが、夜、無言電話がかかってくるのには閉口しました。結局布団にくるんで寝たんですが、それ以来電話が苦手なんですよ。
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