時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(五百八十七)

2011-11-20 05:44:12 | 蒲殿春秋
伊賀で発生した平家家人の蜂起は活発化していった。
この様子に紀伊国の平維盛、忠房はほくそえんでいる。
彼等にもう一つ朗報が入っていた。

彼等の兄弟の平資盛の鎮西での活動が上手く言っているらしいという話が舞い込んできた。
一の谷の戦いの直前に戦線を離脱した資盛は小松家の郎党平貞能を頼って鎮西の地に上った。
鎮西では貞能の影響力は未だに根強く資盛は貞能に保護されて地盤を固めつつあった。

この時期、九州には平貞能が勢力を保持し、平家に近い筑前の原田種直、肥後の山鹿秀遠などの勢力が未だに強大であった。

一方、一旦は小松一族が見切りをつけた平家二位尼派ー平宗盛らは屋島に安徳天皇を擁しながら瀬戸内海に再び勢力を蓄えつつあった。

さらに、小松一族に接触してきた旧義仲派の信濃源氏井上光盛は東国武士への調略を行なおうとしている。

このような折に彼等の家人達が伊賀で蜂起したのである。

現在都を制圧している鎌倉方の大半の軍勢は東国に戻っており、西国に来ている鎌倉方の軍勢も播磨、備前、備中で平家方の攻撃にさらされ苦戦してい身動きが取れない。

この状態ならば都の制圧も直ぐになされると思った。

だが、事は紀伊国の二人の思惑通りには進まなかった。

蜂起が伊賀に封じ込められてしまったのである。
伊賀から都に抜ける笠置を通ることができない。
彼の地を固めるものが存在したのである。

寺社勢力の面々だった。
強大な力を有する彼等は、伊賀の者達を容易に通そうとはしない。
屈強の武者たちも地の利のある寺社勢力には苦しめられた。

大和国を通って都へ進む道は容易には開かない。

この路を塞がれた蜂起勢力は、近江に抜ける道を選択する。

だが、近江にも既に軍勢が待ち構えていた。
鎌倉御家人でもある近江国住人の佐々木秀義と、園城寺の軍勢が待ち構えていたのである。

七月十九日夕刻、近江国において激しい戦いが始まった。
あたりに漆黒の闇が広まっても激しい矢の嵐が双方から飛び交った。
暗闇を炎と鮮血が染める。

ここで鎌倉方の指揮を取るのは老齢の佐々木秀義。
保元の乱、平治の乱を戦った古武士である。
秀義は死に物狂いで戦った。
平治の乱で敗れ本領の近江国佐々木荘を追われて二十数年、この治承寿永の乱に乗りやっとの思いで佐々木荘を回復したのである。
こんなところで再び所領を失ったあの思いを再び味わってたまるものか、と心に誓っている。

鬼神の如き老齢の武者に鼓舞されて鎌倉方は必死に戦った。

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