「玉葉」を読んでいると人名等の表記で面白いものがあります。
例えば
加千波羅平三→ これは梶原平三(景時)の初登場の際の記載です。(寿永三年一月二十日条)
加波冠者→ これは蒲冠者(範頼)の初登場の際の記載です。(寿永三年二月八日条)
ところで加千波羅は次回登場時(寿永三年二月八日条)には梶原平三景時ときちんと表記されています。おそらくその間に兼実が景時の正式な漢字を覚える機会があったのではないかと思われます。
となると加千波羅は 当て字 であるとしか思われません。
「玉葉」には他にも当て字と思われる人名等の表記が時折見受けられます。
そうなるのも無理はないと思います。
「玉葉」は漢文で書かれています。
漢文は全て漢字で表記されていなければなりません。
わからなければ「ひらがな」や「かたかな」を使えばいいというものではありません。
そうなると結局聞いた名前と同音の漢字をなんとか当てはめるしかないのでしょう。
現在の我々から見ると奇妙に見える表記も、兼実が一生懸命に考えて当て字をした。
そのように思うと兼実さん、かなり努力して知らない人の呼び名を書き留めていたのかもしれないと思えるのであります。
例えば
加千波羅平三→ これは梶原平三(景時)の初登場の際の記載です。(寿永三年一月二十日条)
加波冠者→ これは蒲冠者(範頼)の初登場の際の記載です。(寿永三年二月八日条)
ところで加千波羅は次回登場時(寿永三年二月八日条)には梶原平三景時ときちんと表記されています。おそらくその間に兼実が景時の正式な漢字を覚える機会があったのではないかと思われます。
となると加千波羅は 当て字 であるとしか思われません。
「玉葉」には他にも当て字と思われる人名等の表記が時折見受けられます。
そうなるのも無理はないと思います。
「玉葉」は漢文で書かれています。
漢文は全て漢字で表記されていなければなりません。
わからなければ「ひらがな」や「かたかな」を使えばいいというものではありません。
そうなると結局聞いた名前と同音の漢字をなんとか当てはめるしかないのでしょう。
現在の我々から見ると奇妙に見える表記も、兼実が一生懸命に考えて当て字をした。
そのように思うと兼実さん、かなり努力して知らない人の呼び名を書き留めていたのかもしれないと思えるのであります。