人からよく能天気だと言われる。いや能天気とは直接言われないが長生きしそうだ、とか悩みがなさそうだ、とか遠回しにお前は能天気だというようなことを言われる。こう言ってはあれだけれども、結構辛い人生を送ってきた。勿論もっと大変な思いをして生きている人はたくさんいるだろうし、人なんて楽に生きているように見えて苦労を微塵も見せずに生きている人だっているだろう。
離婚しているので旦那は居ないし、母は認知で老人ホームに入ってしまったので辛いことがあった時に愚痴ったり感情を吐き出せる人がいない。まあ本当に辛いことは例え身内でも人には言えない類のことだろうから、家族に言えるのは愚痴程度のことなのかもしれない。もちろん子供には会社でのちょっとした人間関係程度の愚痴は喋ることはあるけれど、それも滅多に言わない。職場で色々あって憤懣やるかたない時も家に帰ると喋る気が失せてしまう。やはり私は能天気なのかもしれない。
それでも、どうしようもなく、本当にもうどうしようもない位に辛い時もある。正直子供みたいに「そうかそうか」と頭をなでて私の話をただただ聞いて肯定してくれる誰かがほしいと思う時もある。当たり前だけれどそんな人はいない。それでどうしても辛いときは布団を頭から被り涙を流してしくしく泣く。というか辛すぎる時って何故だか泣けてくるのである。でも人に(勿論子供にも)そんなところは見せられないので電気を消した布団の中で泣く。
これはなかなか効果がある。次の日の朝には、なんとかなるだろう、という気分になる。もしかしたら泣いたせいでなく元来の呑気な性格だからかもしれない。
離婚しているので旦那は居ないし、母は認知で老人ホームに入ってしまったので辛いことがあった時に愚痴ったり感情を吐き出せる人がいない。まあ本当に辛いことは例え身内でも人には言えない類のことだろうから、家族に言えるのは愚痴程度のことなのかもしれない。もちろん子供には会社でのちょっとした人間関係程度の愚痴は喋ることはあるけれど、それも滅多に言わない。職場で色々あって憤懣やるかたない時も家に帰ると喋る気が失せてしまう。やはり私は能天気なのかもしれない。
それでも、どうしようもなく、本当にもうどうしようもない位に辛い時もある。正直子供みたいに「そうかそうか」と頭をなでて私の話をただただ聞いて肯定してくれる誰かがほしいと思う時もある。当たり前だけれどそんな人はいない。それでどうしても辛いときは布団を頭から被り涙を流してしくしく泣く。というか辛すぎる時って何故だか泣けてくるのである。でも人に(勿論子供にも)そんなところは見せられないので電気を消した布団の中で泣く。
これはなかなか効果がある。次の日の朝には、なんとかなるだろう、という気分になる。もしかしたら泣いたせいでなく元来の呑気な性格だからかもしれない。
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