星を見ていた。

思っていることを、言葉にするのはむずかしい・・・。
良かったら読んでいってください。

知り合ったときには・・・(6)

2006-10-01 02:30:28 | 知り合ったときには・・・
(6)

 私の心の中の変化とは裏腹に、毎日は単調に、同じように過ぎていった。朝起きて電車に乗り仕事に行って、たまに残業をしてアパートに帰る。週末は彼が泊まりに来たり、または来なかったりした。そして月に数回は遠出のデートをしたりした。相変わらず私は、付き合っている彼に対しては淡々とした態度を崩さず、あの日以来、親に会わせる、とか結婚、という文字は、二人の間にはまったく上ってこなかった。反対に、職場の主任の彼に対しては、職場が同じ社員同士、という間柄以上の関係ではないにも関わらず、心の中を占める割合はどんどんと増大していった。毎日職場で顔を合わすというのも、その要因のひとつかもしれないが、絶え間ない思考に、ほんの少しでも隙間が出来ると、そこを割り込んでくるかのように、彼のことが頭に浮かんでくるのだった。そして、そんなことを四六時中考えている自分に気付いて、愕然とするばかりだった。私は、自分のこの気持が、自分でも止められないくらいの速さと勢いで、あまりにも募っていくことに、どうしていいのか分からなくなっていた。一回り程歳が離れていて、どう考えても自分とはつり合わない人だと、そんなことは考えなくても分かることだったし、勿論、彼は子持ちの既婚者であるということは百も承知だった。

 単調だと思っていた毎日に、あることが起こった。
 秋になった。秋になっても、毎日は何も変わらなかった。ただ、寒くなると、一人でいるのが耐えられないという気分になることが多く、そのため彼が泊まっていくといっても、あえて断ることをしなかった。けれども本心では彼を要求していないのに、寂しさを紛らわすために彼に優しくしている自分が、嫌だとも思った。彼は相変わらず私には寛容だった。私は彼に夢中では無かったし、むしろ違う人のことを考えていて心ここにあらず、ということも多々あった。どうにもならない気持を、自分の中で消化することが出来ず、それでイライラすることも度々あった。その度に自己嫌悪に陥り、そして彼に対して不誠実である自分に嫌気が差した。私は彼を利用している、そう思い始めた。私はどうにもならない人を好きになりかけている。既婚者で子持ち。どうして主任の彼は既婚者なんだろう、と恨めしく思うこともあった。なぜもっと早く知り合わなかったのだろう。私が同世代だったらよかったのに、等と思った。既婚者でなければ、正々堂々と正面からぶつかっていけるのに、手も足も出せない。けれども嘆いたところで彼と私の立場は変えようがなかった。そもそも、私の気持や感情はともかく、主任の彼が私のことをどう思っているのか、それさえ分からないのだから、よくよく考えれば、彼が既婚者かどうかなんて、そんなことは二の次のような気がした。主任の彼と私の関係が、にっちもさっちもいかない以上、付き合っている彼に対してはせめて誠実にならないといけないと思った。そうするにはどうすべきか。それは、職場の主任の彼のことを抜きにして、付き合っている彼自身に対して、私がどういう気持を持っているかをはっきりさせることだった。そしてそれは、深く考えなくてもすぐに結論がでることだった。

 11月になった。私の誕生日が近づいてきた。付き合っている彼と、食事に行くことになっていた。彼に対しての自分の気持を、はっきりと確認してからは、もう無闇にアパートに彼を泊めるのを控えていた。私のアパートで話をしても良かったが、外のほうが客観的に話ができ冷静な態度を崩さずにいられると思った。それで、食事の予約をしてある、私の誕生日に話をつけようと思った。
 席に着き、食前酒が運ばれてきた。お酒を飲む前に、話を済ましてしまわなくては、と思った。
「あのね、」「話たいことがあるの。」
 私は微笑していた。私の心の中では、もう事は終わっていたも同じだった。ただそれを、この目の前にいる彼に話して納得してもらえばいいだけのことだった。
「なに?」
 彼はこれから私が話すことと、正反対の内容を予測していたようだった。優しい微笑みが、返ってきた。
「別れてほしいの。」
 私は、自分が誰かを振るような女だとは、今まで考えたことがなかった。振られることはあっても、振るようなことには縁が無いと、そう思っていた。だが、自分と、そして相手に対して正直になる、ということは、こういうことなんだと、今思った。彼にまったく不備がないのに、こうして私からこの話を持ち出すのは、自分がとても高慢になったような気がしていい気分ではなかった。だが、このまま彼と何食わぬ顔して付き合っていくことは、さらに酷いことだというのが、私なりに考えた末の結論だった。
彼は私の、ど真ん中を見つめた。そして、私が今言ったセリフの意味を、頭の中で懸命に考えているような顔をした。私の口から、なぜそんな言葉が出るかを、本当に信じられないような表情をしていた。
「結婚は考えてないと言うのは、この間よく分かった。でも、別に、今すぐ結婚してくれなんて、俺は全然考えてないよ。」
 彼には、私が近いか遠いかわからないが、将来的に結婚を考えなくてはいけないことを苦にしての別れ話なんだろうと思われているようだった。私は彼に、もう少し詳しく心の経緯を話さなくてはならない必要があると感じた。そうするのが誠意のように思われた。
「そうじゃない。そうじゃなくて・・・」
 私は、結婚を考えていないことも多少は理由になるが、そんなことよりも、私が彼に対して、情熱や強い愛情をもてないでいることが、これから付き合っていく自信がない理由だと説明した。貴方といる時間は、私にも心地よい時間には変わりがないけれど、それが真の愛情であるかどうかは確信が持てないこと、それでは貴方に対して失礼であること、そういったことを説明した。興奮する様子もなく、最後まで私の話を聞いていた彼は、静かにこう言った。「結婚を強要するのじゃないのに、なぜそんなに、真の愛、とか本当の愛情、なんてこと言うのかな。確固たる愛情がなければ、付き合うこともできないのかな。そういうのは、付き合いをしていく中で、徐々に培われていくものじゃないのかな。それとも俺のことが嫌いなのか?じゃあなんで、俺と一緒にいる時間が心地よい、なんて言うのかな。それはどういうことなのかな。」
 誰かと話をしていると、相手の言うことに簡単に同調してしまうところが、私のよくないところだとは日頃から自覚しているのだが、今も簡単に、彼の言うことはもっともだな、と思いそうになった。
「嫌いじゃないの。ただ、狂おしく好きという訳でもない。あなたがいないと生きていけないというくらいではない。いなくても生きていけると思う。」
 言いながら、私は何て酷いことを言っているのだろうかと思った。また別れ話の理由としては、こんな言い方ってあるのだろうかとも思った。狂おしく好きでないから別れようなんて、言う女がいるだろうか。それはもう一方の想いと、対比しているからこそ出てくる表現だった。当然彼にはそこまで分からなかったと思うが、どうしたら自分の考えを分かってもらえるのだろうと思った。私の要領を得ない説明に、彼は静かにこう続けた。
「狂おしく好きでなくてはだめなのかな。愛情って、狂ったように好きだから、本当に愛していることだ、とは限らないと思うのだけれど。静かにひっそりと存在する愛情というのもあるかもしれないし、そんな映画か何かじゃないんだから、本当の愛が狂気の沙汰のようだとは限らないよ。そう思わないかな。」
 好きな人がいる、こう言ってしまえば、ことは簡単だった。あなたの他に、好きな人が出来たと。それは本当だし、そう言えば彼は一も二もなく納得するに違いなかった。けれど私の勝手な言い分だというのは充分わかっているのだが、それを言うことはどうしても憚られた。既婚者に恋をしたから、俺を捨てるのかと、そういう反応が目に見えているからだった。勿論相手が既婚者だとは絶対に言うつもりはない。それに、職場の彼のことがなくても、私は付き合っている彼との関係に疑問を感じていたのだから、そのことを切り離して考えたうえでの結論だったのだ。そのことを抜きにしても、別れようと判断したのだから、それは言わなくてもいいことだと勝手に思っていた。
「そうだけれど・・・」
 彼の言っていることはもっともなことだった。結婚を前提としていないのであれば、義務のように、本当の愛情、なんてことにこだわらなくてもいいのではないか。本来そうやって、迷いながら疑問に思いながら、それを探求しながら愛情とは深まっていくものなのかもしれない。それに結婚する人でさえ、明確に愛情なんて持っていると思うものなのだろうか。私は、何がなんだかわからなくなって来た。そしてそんなごちゃごちゃした思いを振り切るように、先ほどの決意はどこへやら、この言葉を発してしまった。
「好きな人ができてしまったの。」
 テーブルの上で手を組んで、視線を食前酒のグラスに落としていた彼は、その一言ではっとまたこちらを向いた。先ほどの微笑ではなく、それは悲しいような、疑うような、蔑むような、なんともいえない表情だった。一瞬だけ私の目と焦点が合い、すぐにそれはずらされた。
「そうだったのか。」
 もうそれ以上、彼は何も言わなかった。逆上もせず、それはどこの誰なんだと詰問するわけでもなく、それ以上私を説得するわけでもなく、ただ、そうだったのかと、ひとこと言ったきり、すべて受け止めたようだった。

 その後、静かに食事をした。彼は予想以上に紳士的で大人だった。怒って席を立つわけでもなく、何とか私を繋ぎ止めようと説得を試みるわけでもなく、また私を罵るわけでもなく、ただ淡々と、コースの始めから終わりを、行儀よく食べた。会話は無かった。まったくなかった。お互いに胸のなかで、それぞれの渦巻く感情を思う存分味わいながら、それでも何も言わなかった。考える時間はたっぷりとあったので、コースの間中、ほんとうにこれでよかったんだろうか、と何度も思ったが、本心をさらけ出してしまった以上、もう後には戻れないと、そう思った。

 会計が済むと、彼は持っていた紙袋を私に差し出した。誕生日プレゼントだと言った。こんな話をした後に、そんなものは受け取れないと私が言うと、俺が持っていても仕方が無いから、と半ば強引にそれを持たせた。駅まで戻って来ると、これで終わりだな、と言いながら不意に抱きしめられた。手にはいつもよりも力がこもっていた。私は少し苦しくなった。自分の所為で彼と別れることになったのに、なぜか涙が出てきてしまった。
「さよなら。」
 それだけ言って、それぞれのホームに向かった。夜のホームに、まだこれだけの人がいるのが、今は鬱陶しいと思った。あれだけ考えて決断したのにも関わらず、これでよかったのかという思いが浮かんでは消え、浮かんでは消えた。でも、私は彼に対して不誠実であってはいけないのでは、という疑問から、そもそも決断したことだったのだ。そう思うと、やはりこれでよかったんだと、そう思った。

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