星を見ていた。

思っていることを、言葉にするのはむずかしい・・・。
良かったら読んでいってください。

電球と柿の木と私

2016-10-10 10:32:32 | つぶやき
 離婚をするには物凄いエネルギーがいるとよく言われるが、私はあまりそうは感じなかった。色々調停やら役所や銀行の手続きやら職場の上司に説明やらあったけれども、自分が想像しているほどではなかった。まあ自分で決めたことなので自分で解決するしかないのだからそうするより仕方ない。

 しかし、日常生活の細かいところで、ああ男手が無いって、と思うことはある。まあ男は一応大学生の息子がいるのであるにはあるのだが、何か「これやって」と頼んで嫌な顔をされると腹が立つのであまり頼らないようにしている。

 で、ある日玄関の電球が切れた。玄関の外のである。椅子を置いても届かないし、うちの脚立に乗っても届かない。玄関の中の電気がつくからまあいいだろう、と思いそのままにしておいた。別のある日、玄関の内側の電球が切れた。これは下駄箱に乗ってかろうじて私でも届いたので交換できた。そしてまたある日、今度は1階の廊下の電球が切れた。これもまた椅子でも届かず脚立でも届かない。1階はもう母もいないし誰も使っていないので諦めた。息子は私よりは背が高いがそれほど高くはないので、おそらく届かないだろう。この電球を変えるためには高い脚立を買わなくてはいけないのだろうか。

 家には私が小学1年の時に植えた柿の木があるが、2階に届くくらい伸びていて2階ベランダの半分を伸びた枝が占拠していた。おかげで洗濯物を干すスペースが半分ほどになってしまっている。小さな枝はなんとか切れるがこうたくましく育っているともうこれは植木屋か何かに頼むしかないかもしれないと思っていた。ある日思い立ってホームセンターに行き、園芸用品のコーナーで鋏を買ってきた。家に帰り、一緒に買ってきたフマキラー(庭に蚊がたくさんいる)を振りまき、長靴長袖帽子日焼け止め、の完全防備で鋏を片手に柿の木と格闘した。脚立に乗り、塀に乗り、木に登り半日枝を切りまくった挙句、ベランダは明るくなり洗濯物は以前のように干せるようになった。隣家にはみ出していた枝も切れた。

 私でもやれば出来るんだ、大袈裟かもしれないが本当にそう思った。硬い枝を両腕に力を入れ切ったせいか翌日の筋肉痛が半端なかった。全身筋肉痛。しかし、この達成感は何とも言えないもので、私はその後1週間くらいはベランダの見える窓に立ち、ああきれいになった、と一人悦に入っていた。

 たぶん、何とかなるんだ。何事も。20年かもっと昔の私は、人に依存しないと生きていけない種類の人間だと思っていた。いや、人に依存しないで生きていける人間なんて多分いないので、今でもそれはあるに決まっているのだけれど、でもひとりでも何とかなることはたくさんあるんだ、と思うことは多くなった。

まあただ単に図太くなっただけかもしれない。
 

 
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