ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

たった一人

2011-12-22 22:07:33 | Weblog
最近、いろいろな人と一緒に仕事をするようになって、よく思う。
個性を表現することと、独りよがりになることを勘違いしている人が
多いんじゃないだろうか。

例えば「自由にアイデアを出してね」という前提で話しが始まると、
「私はこれが好き」もしくは「私がこれが悩みなの」という意見が出てくる。

でも、本当はもう一歩踏み込んで、
「私がこれが好きだから、その魅力を知ってもらいたい」
「私はこれを悩んでいるけれど、こうしてみたらどうだろう」と言ってほしい。

「私はこれが好き」「私はこれが悩み」は、「私を見て」ということ。
そんな人と話しをしていると、私は、
「別にあなた個人に、そこまで興味ないんだけど」という気持ちになる。

誰にでも、評価されたいという欲求はある。
ここでいう評価は、「すごい」「えらい」というものだけではなくて、
「苦労してる」「他にはない体験をしてる」もある。
みんなたった一人の人間というものになりたくて、あがいている感じ。

基本的に、出発点は中国人と日本人は同じだと思うけれど、
少し違うと思うところがある。
中国人は、競争しながら自分を認めさせようとあがいている。
日本人は、自分はもともとオンリーワンのはずなのに、
どうしてみんな自分を尊重しない、と思っている。

成功しようが、どうであろうが、
いずれにせよ、自分の人生を生きることができるのは、自分しかいない。

2011-12-21 23:49:36 | Weblog
中国人の同僚に日本のガラパゴス携帯を見せたら、
「日本の携帯は、きれいだね」と言われた。

確かにデザインは洗練されていると思うし、
少しキラキラしてたり、ライトが光ったりして、オシャレだと思う。
遊び心もあると思う。

でも、もうすっかりiPhoneに慣れてしまったので、
いまさらガラケーには戻らないと思う。というか、戻れない。
スマホ専用の手袋というやつがほしいくらいだ。

身の回りのものを改めて見てみると、
どうやら、いろいろな物に対する好みが固まってきたようで、
白い物が周囲にあふれるようになった。
気がつくと、数種類ある色の中から白を手にしている。
携帯電話は、ガラケー、iPhoneいずれも白だ。

白は漢民族にとっては、あまりおめでたい色ではないけれど、
モンゴル人にとっては吉祥の色。
チンギス・ハンもフビライ・ハンも白い服を来ているし、
青い空と白い雲、緑の草原とゲルの白いテントは、
コントラストが本当に美しい。

そして、チベット人にとっては、白は在家者の色だったか。
まさにその通りだ。
それに、白ターラー菩薩という方もいらしたな。

そういえば、私は五行思想で「金」の性質を持っていると言われた。
「金」は「白」と結びついていたように思う。

「だから何?」という気もするのだけれど、
これでしっくりきているあいだは、これでいい。

ただし、白酒は、積極的に飲みたいとは思わない。
あれは、白い色の酒というよりは、透明な酒だし。

耳ざわり

2011-12-20 23:46:52 | Weblog
すっかりヒートテックと湯たんぽのお世話になっている。
上海には、こたつがない。
そして、けっこう底冷えする。
ただ、湿度はわりと高め。
ノドの負担が少なくて助かる。

今日は、夕方から上海の地下鉄に乗って出掛ける用事があり、
帰り道、ちょうどラッシュにあたった。

ラッシュといっても、日本のように後ろから押してもらえないと
乗ることができないほど混むことはあまりない。
ただ、乗り降りが終わるまで車掌さんは待ってくれず、
無慈悲に扉が閉まってはさまるので、みんなが我先にと乗り込むだけ。
という状況だったので、車内には結構の人数がいた。

中国の人は、電車の中でも、エレベーターの中でも、
闊達に会話をする。
しかも、なぜか男性も女性も、舌打ちをする人が多い。

今日、私の左耳と後頭部の近くに立っていた会社の同僚らしき男女は、
社長室にいる「美女」について熱く語り(上海語ではなく普通語で話していた)、
なぜか2人とも、口を開く際に必ず舌打ちをするという共通の癖を持っていた。

男「チッ、どうやら社長はお気に入りのようなんだけどさあ」
女「チッ、誰?」
男「チッ、ほら、あの美女だよ」
女「チッ、ああ、あの美女かあ。なんだか変だよね」
男「チッ、まあ美女と呼べるかどうかは別だけどさあ、相当なお気に入りじゃん」
女「チッ、美人の部類には入ると思うけど、ふふふ、チッ、ほんとに変だよねえ」

その会話が楽しいことはわかる。
舌打ちをしたくなる気持ちもわかる。
ただ、あまりにも、「チッ」「チッ」とうるさい。耳ざわりだ。

中国人には舌打ちをする人が多い。
そして電車のシートに座ったときでも貧乏揺すりをする人が多い。

地下鉄に乗って通勤するのでなくてよかったと、今日はつくづく思った。

ループ

2011-12-20 00:02:35 | Weblog
今日は、TVタックルが見たかった。

ということで、しょうがなく、久しぶりに中国のテレビをつけてみた。
CCTV4では、仰々しい追悼の辞が述べられていた。
そういえば、社会主義の盟友だったか。

とにかく、暴発しないように。これ以上飢餓が深刻にならないように。
そして、拉致問題が解決するように。

さて、今日は仕事中につくづく思ったのだけれど、
年配の女性には、万国共通なところがある。

それは、主語を抜かして話す、ということ。
中国語は、文法上は、主語の次に述語が来るけれど、
文章の構造上、必ずしもそんなに明確だとは限らない。
「あれ」「それ」が多い人はいるし、
ぐるぐると同じ話しをループする人も、やっぱりいる。

そして、よくよく考えてみると、
その人と私は、たいして年齢が違わなかったりする。
年配の女性という言葉に、自分で傷ついたりする。

私も、あんなふうにループしながら話してるのかなあ。
仕事の話をしているときだけは、キレがあるといいなあ。

願い

2011-12-19 01:41:44 | Weblog
白い雲は、彼が乗っている船。
魂の船。

小さいとき、いつもブランコをこぎながら、
どれだけ高く行けるだろうかと思っていた。

あそこまで行ったら、会えるだろうかと思っていた。
ゆるしてほしかった。
私が無事に生まれて、彼が短命だったことを。

会うことが、かなわなかった大切な弟。
会えることをずっと楽しみにしていた彼。

母が書いた文字のなかで、一番印象的だったのは、
光明皇后の子どもの「基(もとい)」のこと。

あの想いを超えるような文章を、私は書くことができるのだろうか。
あの一文の、最後に残された空白を超えるような文章を、
私は、書けるのだろうか。
記号にしたら、たったの二倍ダーシなのに。
あれを超える何かを書くことは、出来ないような気がする。

言葉は、文字が書かれている世界がすべてなのではない。
その言葉の端々にある空白にこそ、真実がこもっている。
言葉にならない声だからこそ、胸に響くんだ。

そして、言葉を凌駕するのは、音だと思う。

ああ、お願いだから、私の呪縛を解いてほしい。
これをお願いするのは、まったくのお門違いだとわかっているけれど、
私には、母が弟が大切なだけに、自分では解くことができない。
だからこそ、救いを求める。

心の底からひざまづく。

時間の浪費

2011-12-19 00:37:20 | Weblog
どうやら年末年始にかけて、中国のインターネット規制が、
一段と厳しくなってきている模様。

自分のブログになかなかつながらない。
AmazonもiTunes Storeも、まともに繋がったら感動するくらい。

中国のツイッター「微博」も実名が義務づけられるみたいだし、
なんだかすごくあがいているっぽい。

そうなると、私もわざわざあがいて、
時間がかかる写真のアップ等がしたくなる。
先日、従弟が上海に来た時に、とまったホテルの一室から撮った写真。



上海のこの光景は、すでにここが都会だと訴えているようだけれど、
上海に住む中国人は、ネット規制に諦め気味。
「そんなもんだから、諦めました」と。
でも、それじゃ日本からの進出企業は仕事にならない。

というより、日本でネットに繋ぎたい放題だった人は、
上海に来たら「不便きわまりない!」と思う。
中国は、「最初からなければ、不便だなんて思わないでしょ」という愚民政策を、
こんな都会でも続けるつもりなのだろうか。
だって、規制をかいくぐる方法は、いくらでもあるのに。

日本では暴力団の排除が加速しているようなのだけれど、
暴力団のような必要悪が目に見えないところに潜ったら、
共産主義国家のようなことになると思う。

共産主義国家で、賭博も売春もないはずで、格差もないはずで、
上海では路上でみんながお金をかけてマージャンをやっているし、
売春はおおっぴらに行われていてエイズのキャリアも増えているし、
路上にも地下鉄にも乞食がいて、物乞いしている。

暴力団が悪を生み出しているのか、
悪を担って、コントロールしてくれているのか、
本当に考えたほうがいいんじゃないか。
日本は近視で、そして甘過ぎる。

いい週末

2011-12-18 17:29:48 | Weblog
さてと、今日はゆっくり自宅で読書三昧。

『生きるとは、自分の物語をつくること』
(小川洋子、河合隼雄、新潮文庫)

小川さんと河合先生の対談に同席できる編集者って、
そんな企画ができる人って、うらやましいなあ。
ただただ、うらやましいなあ。

いつラッキーにあたるかはわからないけれど、
あたらない確率のほうが高いのだろうけれど、
でも、アンテナを合わせる努力をしていないといけないんだなあ。

物語がそこにあるのなら、
それに気づけるかどうかは自分次第だから。

『神のロジック 人間のロジック』
(西澤保彦、文春文庫)

いやはや、まるでいま、会社の部内で行われている
せめぎ合いのような物語だった。
グループに新しい人が入ってくるときには、
どんなにいい人であっても、最初は必ず「異教」。

「つけるべきポジションを誤ると、チーム全体がダメージを蒙る」
という話は、
ここのところ、まさに現実で繰り返されている話。
この本の中でも、その「世界」が崩壊して幕を閉じる。
物語として、救いが残ったとも言えるし、救われてないとも言える。
そこも主観と客観の違い。

そもそも日本人って、客観性を持っているのだろうか、と、
昨日NHKの衛星放送を見ていて思った。

読書ができる週末って、いいなあ。

いい兆候

2011-12-18 01:23:34 | Weblog
久しぶりに繋がった。

今日は、中国人女性と結婚した日本人同僚の家にお邪魔してきた。
奥さんは日本語が話せないけれど、
ものすごくコミュニケーション能力が高くて、
非常に居心地がよかった。
素直でかわいい人のことは、万国共通で好きなものだ。

そして、居心地がよいなあ、と思いながら
一緒に奥さんの手料理をいただいていたとき、久しぶりの感覚がよみがえってきた。

2年くらい前に、私は今日の夢を見たことがあった。
まず、奥さんがカーテンをしめたときに、なんだかすごく印象的だった。
そして次に始まった会話の中で、
一緒に行った同僚が「傀儡」という言葉を発した時、
次に続く会話を思い出した。
そして、その通りに進行した。

テーブル、壁、カーテンの色、すべて覚えていた。
そして、当時は知らない人たちだった今日のメンバーを、
夢の中で、非常に信頼する友人と思っていて、
安心してくつろぎながら会話に参加していた。

ここまで、はっきりとイメージが重なったのは2回目。
1回目は、大学4年のときに行ったカンボジアでのこと。
友人が麦わら帽子を買おうとしたときに、
そこで交わされる会話を、すべて知っていた、というもの。

そして、今回。

そろそろ、感覚が戻ってきた。
いい兆候だ。

またもや

2011-12-17 00:42:28 | Weblog
帰宅したら、カギが壊れた。
きっと金具が摩耗しているのだと思う。

で、また大家さんに来てもらうにも、夜だし、
先日来てもらったカギ屋さんは仕事が雑だったので、
自分でやることにした。
ドライバーでカギをはずし、カギ穴とカギをうまくあうように留め直し、
とりあえず半分は直ったけれど、
どうやらシリンダーの中の金具も摩耗しているようで、
いまひとつ完璧にまではいかない。

が、先日カギ屋さんにやってもらったよりは、ずっと上手く行った。
久しぶりに、扉がまっすぐにかっちりと閉まった。

まあ、カギ屋さんのことをプロだとは思っていなかったけれど、
もう少し仕事を丁寧にやれば、いいのになあ。
見てただけの素人が、それを生業にしている人よりも上手く出来たら、
それは、儲からないよ。

それにしても、次にカギの調子が悪くなったら、
自腹でいいからカギを換えたいと大家さんに言おう。
扉は2重だから、いますぐに破られることはないだろうけど、
それにこんなに割に合わない家には泥棒も入らないだろうけど、
何か嫌がらせをされたら、後片付けが面倒だ。

仕事から帰って1時間、カギと格闘して、
手の指が真っ黒になって、荒れて、
それでもイライラしなくなったのは、中国効果だな。

足がかゆい。乾燥してる。

原点の物語

2011-12-16 00:27:14 | Weblog
ポオの『黄金虫』を読んで、
そういえば、小学生くらいのときに、
子ども向けの本で読んだことがあったことに、
物語も終盤になってやっと気がついた。

そして、シャーロック・ホームズの『踊る人形』を読んで、
自分も暗号を作りたいと思っていたときの気持ちを思い出した。

そんなことまでして隠したい秘密なんてなかったし、
暗号を作るほど頭もよくなかったけれど、
火であぶったら浮き出てくる数字の羅列や、人形の羅列に、
なんだかすごくワクワクした気持ちは今も残っている。

きっと、よく理解できないけれど、
なんとかもっと仲良くなりたいと思いつづけているパソコンも、
その「謎解き」の延長のような気がする。

むかしから、読書はどんな遊びよりも好きだったけれど、
たいてい物語の内容は忘れている。
何かのあらすじを説明するとき、私の説明はあまりにもアバウトで、
誰か近くにいるその物語を知っている人が、言葉を補ってくれる。
つまり、的確に要約することができない。

昼間は、中国人スタッフに「フランダースの犬」の
感動的な最終回の話しをしようとして、しどろもどろになり、
隣にいた日本人が、わかりやすく中国人に説明してくれた。
そして、私も、そんな物語だったっけか、と思った。
私の印象には、パトラッシュしか残っていなかったんだ。

そうか。
私に、アニメのキャラクターに萌えている男性をわらう資格はないな。