ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

中国人との会話

2012-02-20 21:47:46 | Weblog
キリンの一番搾りを飲んでいる。
だんだん担当している仕事の内容が複雑になるにつれて、
日本でそうしていたように、家に帰ってから缶ビールを飲みたくなる。
またしても、私には仏教の戒律が守れない。
いっそのこと下戸ならよかったのに。

昨日、仏教関係の本を読んでいたおかげで、
今日は月曜日にもかかわらず、比較的、心が穏やかに過ごせた。

初めて会話をした上海人とも、比較的スムーズに話せたと思う。
相手が何を心配していて、何を私に伝えたいのか、
非常にわかりやすかった。

中国人は、会話の仕方がハデなことが多く、
日本人はまずその雰囲気にのまれてしまうけれど、
相手の気持ちの流れを冷静に眺めれば、
言葉上の強弱とは違うものが見えてくる。

そういう意味では、中国人のほうが、日本人よりもわかりやすい。
日本人は、とにかくまったりしていて、読みづらい。
中国人は、声が大きいからと言って強調したいとは限らず、
その目の動き、ちょっとした頬の筋肉の動かし方で、
言葉が先なのか、思考が先なのかがわかる。
お互いに相手の目を見つめながら話すだけに、明解だ。

ただ、この「ガン見」しあうことに、日本人はあまり慣れていない。
思わず目を背けてしまうので、
相手の手振りや声の高ぶりだけが印象に残り、
相手の真意を汲むことが難しくなってしまう。

ということで、中国人が大声を上げている時、
それが本当の「大声」なのかどうか、ちゃんと見極める必要がある。
意外と、ポイントは日本人が思っているところとズレていることが多い。

2012-02-20 01:14:22 | Weblog
咳が出るので、早めに休もうと思い、
一度は寝るつもりになったものの、結局最後まで読んでしまった。
『ブータン仏教から見た日本仏教』(今枝由郎著、NHKブックス)

日本、フランス、ブータンで、本当の仏教に接した人だけが書ける、
外から見た日本の仏教、仏教の本当のあり方を模索する本だった。

私は仏教徒でありたいと思うけれど、戒律が厳しくて守れない。
ウソと言うか、自分に都合のいいストーリーを捏造するし、
他人を誹謗中傷するし、お酒も飲むし、
もしかしたら結婚するかもしれない。
ストレスがたまると買い物しちゃったりするし、まったくのダメ人間だ。

でも、本当につらかった時期に、
日本の仏教でなんで救われないんだろうと思って読み始めた
チベット仏教の本は、本当によかった。
なかでも秀逸だったのが、マチウ・リーカルの
『僧侶と哲学者』『掌の中の無限』だ。
植物状態で寝ている母の横で、むさぼるように読んだ。
フランス人で、マチウ・リーカルのように仏教と向き合っている人がいるなんて、
本当に驚きだった。

そして、仕事でもイライラすることがあると、
チベット仏教の本を読むようになった。
次第に、小さいころからの仏教に対するイメージが
大きく変化するようになった。

そんなときに会社で出会ったあるお寺さんの娘は、
「実家がお寺だと、庭が広いのとお墓が大きいのがいい」と言っていた。
冗談かと思ったら本気で、
「うちは地元の名士だから、注目されちゃうから困っちゃう云々」と言っていた。
まるで、公家かなにかのつもりのようだった。

その人に、
「私は、チベットに行った時、
冬の未明、凍るような空気の中、読経をあげる僧侶たちの声で感動した」と
本気で話したら、鼻で笑われた。
日本人から「フン!」という音つきで鼻で笑われたのは、
あのときだけだと思う。(中国人からなら、よくある)

自分の寺は、どこの流派なのか、どれだけ由緒が正しいのかを
彼女から延々と聞かされるハメに陥り、閉口したことを思い出す。
ああ、日本の仏教は、人を導くものではないな、
ましてや死んだ人の魂が、無事に旅立てるための精神的な柱になることなんて、
もうできやしないんだ、と、実感させられたランチだった。

OLのランチで、そんな話しをする私が、場違いと言えば場違いだった。

孔子の「怪力乱神を語らず」を拡大解釈して、
物証がないものをすべて迷信と退ける人もいるけれど、
それもまた、偏見だと思う。

今日は読書を通じて、
中国人の祖霊信仰と、それによって中国で変化した仏教について、
共産党下で弾圧された仏教という側面とともに、
もう少し考えてみようかな、と思った。
という面白みが出てくると、明日の中国人上司との交渉も、
少しは楽しめるかもしれない。

仏教は、私にとって、現実を見つめるための大切な柱だ。