平成30年(2018年)は、明治維新から150周年の節目だった。
江戸から明治へ。
鎖国から開国へ。
国際社会にデビューした新人「大日本帝国」のスローガンは「脱亜入欧」。
アジアを脱し、ヨーロッパ列強と肩を並べるべく、邁進した。
「日清 WAR」。
「日露 WAR」。
立て続けにスマッシュヒットを繰り出し注目を集めるも、
続く「満州エレジー」は、空振りに終わる。
ならばと、一大プロモーションを張り「大東亜共栄圏」興行を打つが、大失敗。
方向転換し「アメリカ万歳~ニホンはつらいよ」シリーズで世界経済に食い込み、
「愛はバブル」を経て、現在に至る。
・・・色々と解釈、ご意見はあるだろうが、明治は「近代の曙」だと思う。
当時、北陸の片田舎・津幡町はどんな様子だったのか?
その一端が窺える企画展が「津幡ふるさと歴史館 れきしる」で行われている。
企画展「明治の歩み つなぐ、つたえる」だ。

明治天皇来訪の記録や御下賜品(ごかしひん)。
赤い絹織物、菊の御紋入り朱塗りの盃。
巡行の際、町中心部は姿を一目見ようと、
黒山の人だかりとなったと紹介されていた。

尋常小学校の教科書。
実物を手に取って、閲覧できる。
中でも「萬国地理初歩」が面白かった。
編集者が諸国漫遊する紀行文で、外国を紹介している。

「赤紙」になる以前の召集令状。
わが町からも多くの若者たちが戦地へ赴いた。

会場では「津幡町史」から抜粋した、明治期の出来事一覧も配布されていた。
一部を紹介する。
明治2年(1869年) 浦上天主教徒 津幡通過。
明治4年(1871年) 種小学校設立。
明治10年(1877年)津幡大火、御旅屋消失。
明治11年(1878年)明治天皇北陸巡行、街道改修。
明治22年(1889年)津幡火消組合結成。
明治26年(1893年)津幡川・河北潟水運最盛期。
明治30年(1897年)ウンカの被害にて北海道移住多し。
津幡郵便局 電信業務開始。
明治31年(1898年)北陸線・七尾鉄道開通。
明治42年(1909年)電話開通。
展示品と見比べながら過去を振り返ると、
時代の転換点にいた先人たちの暮らしぶりが、偲ばれる。
また、「民俗資料コーナー」・・・「昭和の娯楽」展示も、なかなか楽しい。

会期は3月終盤まで。
「れきしる」では、常設展で津幡町の文化財と記録、歴史について紹介している。
機会があれば、是非どうぞ。
江戸から明治へ。
鎖国から開国へ。
国際社会にデビューした新人「大日本帝国」のスローガンは「脱亜入欧」。
アジアを脱し、ヨーロッパ列強と肩を並べるべく、邁進した。
「日清 WAR」。
「日露 WAR」。
立て続けにスマッシュヒットを繰り出し注目を集めるも、
続く「満州エレジー」は、空振りに終わる。
ならばと、一大プロモーションを張り「大東亜共栄圏」興行を打つが、大失敗。
方向転換し「アメリカ万歳~ニホンはつらいよ」シリーズで世界経済に食い込み、
「愛はバブル」を経て、現在に至る。
・・・色々と解釈、ご意見はあるだろうが、明治は「近代の曙」だと思う。
当時、北陸の片田舎・津幡町はどんな様子だったのか?
その一端が窺える企画展が「津幡ふるさと歴史館 れきしる」で行われている。
企画展「明治の歩み つなぐ、つたえる」だ。

明治天皇来訪の記録や御下賜品(ごかしひん)。
赤い絹織物、菊の御紋入り朱塗りの盃。
巡行の際、町中心部は姿を一目見ようと、
黒山の人だかりとなったと紹介されていた。

尋常小学校の教科書。
実物を手に取って、閲覧できる。
中でも「萬国地理初歩」が面白かった。
編集者が諸国漫遊する紀行文で、外国を紹介している。

「赤紙」になる以前の召集令状。
わが町からも多くの若者たちが戦地へ赴いた。

会場では「津幡町史」から抜粋した、明治期の出来事一覧も配布されていた。
一部を紹介する。
明治2年(1869年) 浦上天主教徒 津幡通過。
明治4年(1871年) 種小学校設立。
明治10年(1877年)津幡大火、御旅屋消失。
明治11年(1878年)明治天皇北陸巡行、街道改修。
明治22年(1889年)津幡火消組合結成。
明治26年(1893年)津幡川・河北潟水運最盛期。
明治30年(1897年)ウンカの被害にて北海道移住多し。
津幡郵便局 電信業務開始。
明治31年(1898年)北陸線・七尾鉄道開通。
明治42年(1909年)電話開通。
展示品と見比べながら過去を振り返ると、
時代の転換点にいた先人たちの暮らしぶりが、偲ばれる。
また、「民俗資料コーナー」・・・「昭和の娯楽」展示も、なかなか楽しい。

会期は3月終盤まで。
「れきしる」では、常設展で津幡町の文化財と記録、歴史について紹介している。
機会があれば、是非どうぞ。