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つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡川沿いで見つけた、別れの手紙。

2012年07月12日 00時17分59秒 | 日記
「今日の一枚」は、津幡川沿いに建つ「牛村歯科医院」の正面玄関。
…いや正確に言うなら「牛村歯科医院だった建物」の正面玄関である。
看板の左横、出入り口のガラス面に貼られた小さな紙に、
別れを告げる手書きの筆文字が綴られていた。

『☆謹告☆
 この度 7月2日をもちまして
 閉院する事となりました。
 長年 地域の皆さまには大変
 お世話になり本当に感謝申し
 上げます。有難うございました。
                 院長』(※☆印・文字配列、原文ママ)

きのうの朝、散歩中に発見した。

後継者問題なのか?
健康問題なのか?
過当競争の産物なのか?
あるいは何か他の理由があるのか?
暖簾を下ろす訳は、不明だ。
しかし、また一つ、僕にとっての昭和の思い出の灯が消えた事は明らかである。

昭和40年代、津幡の街中に歯医者と言えばここだけ。
小学校の歯科検診は、こちらが担当だった。
当時の先生は白髪交じりであまりお若くはない様子。
検診の折には保健室の椅子に座り、児童の列を捌いていた。
白衣姿で額に丸い反射鏡を付けた出で立ち。
右手に持った金属製のヘラで口の中を押し広げ、口中を覗きこんでは、
『ハイ、D4!○○○…Gの6○○○…』などと虫歯チェック。
子供には理解不能な専門用語だけに、物怖じが募った。
また、冷たく無機質なヘラの感触と、
そこから漂う消毒液の匂いが、怯えを増長させた。

子供の頃、戦きの存在だった歯医者さんが閉院。
それは、ちっとも嬉しくないニュースである。
何故なら「思い出の触媒」が消える事を意味しているからだ。
さようなら「牛村歯科医院」。
何度か治療をしていただき、記憶を彩る一つになってくれて、
ありがとうございました。

     
コメント (2)
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