シリーズ津幡町での極めて個人的初体験”その5。
以前にも投稿したとおり、現在の津幡中学校の校舎には、
僕が通っていた頃の面影は殆ど残っていない。
故に、建物から感銘を受ける事は皆無に等しいのだが、
数少ない例外の一つと言えるのは「今日の一枚」。
…昔と変わらぬデザインの「校章」である。
そして、この校章を身につけていた中学2年生当時、
初めて「英語詞の歌」を覚えた。
あれは音楽の授業での一幕。
お名前は失念したが、
教鞭を取っていたのは、セミロングの黒髪が印象的な女性教師。
教壇に立つのがどこかまだ不慣れな様子で、
顔にはニキビもあったように記憶している。
彼女が一枚のLPレコードを持参して登場した。
そのジャケットがコレ。

赤いドレスに身を包み、ギターを抱えた女性の名は「Joan Baez」。
1960年代に“フォークの女王”と呼ばれたアメリカのシンガーソングライターの
日本公演ライブ音源盤である。
女性教師は、レコードに針を落とす前、黒板に歌詞を書いた。
We shall overcome, we shall overcome, We shall overcome someday
Oh, deep in my heart, I do believe, We shall overcome someday.
We'll walk hand in hand, we'll walk hand in hand, We'll walk hand in hand someday
Oh, deep in my heart, I do believe, We shall overcome someday.
We are not afraid, we are not afraid, We are not afraid today
Oh, deep in my heart, I do believe, We shall overcome someday.
『この歌は「We Shall Over Come~勝利を我らに」と言います。』
…と口火を切って、その意味を説き、曲の背景を説明してくれた。
『「Joan Baez」のデビューは、昭和34年(1959年)。
当初、トラディショナルフォークやスタンダードナンバーで
ヒットを飛ばしたが、ベトナム戦争が激化する中で作風が変化し、
反戦メッセージソングを数多くリリース。
安保闘争に揺れる昭和42年(1967年)初来日を果たし、
各地を熱狂に包んだ…』云々。
そして、レコード盤が回り始めると、シンプルで力強いセンテンスのつながりは、
繊細でいて艶やかな伸びのあるソプラノになって耳を打ち、心を撃ち抜いた。
授業が終わった後、
僕は、頭の中で「We Shall Over Come~勝利を我らに」を何度も反芻した。
美しいセンセイの面影と共に。
以前にも投稿したとおり、現在の津幡中学校の校舎には、
僕が通っていた頃の面影は殆ど残っていない。
故に、建物から感銘を受ける事は皆無に等しいのだが、
数少ない例外の一つと言えるのは「今日の一枚」。
…昔と変わらぬデザインの「校章」である。
そして、この校章を身につけていた中学2年生当時、
初めて「英語詞の歌」を覚えた。
あれは音楽の授業での一幕。
お名前は失念したが、
教鞭を取っていたのは、セミロングの黒髪が印象的な女性教師。
教壇に立つのがどこかまだ不慣れな様子で、
顔にはニキビもあったように記憶している。
彼女が一枚のLPレコードを持参して登場した。
そのジャケットがコレ。

赤いドレスに身を包み、ギターを抱えた女性の名は「Joan Baez」。
1960年代に“フォークの女王”と呼ばれたアメリカのシンガーソングライターの
日本公演ライブ音源盤である。
女性教師は、レコードに針を落とす前、黒板に歌詞を書いた。
We shall overcome, we shall overcome, We shall overcome someday
Oh, deep in my heart, I do believe, We shall overcome someday.
We'll walk hand in hand, we'll walk hand in hand, We'll walk hand in hand someday
Oh, deep in my heart, I do believe, We shall overcome someday.
We are not afraid, we are not afraid, We are not afraid today
Oh, deep in my heart, I do believe, We shall overcome someday.
『この歌は「We Shall Over Come~勝利を我らに」と言います。』
…と口火を切って、その意味を説き、曲の背景を説明してくれた。
『「Joan Baez」のデビューは、昭和34年(1959年)。
当初、トラディショナルフォークやスタンダードナンバーで
ヒットを飛ばしたが、ベトナム戦争が激化する中で作風が変化し、
反戦メッセージソングを数多くリリース。
安保闘争に揺れる昭和42年(1967年)初来日を果たし、
各地を熱狂に包んだ…』云々。
そして、レコード盤が回り始めると、シンプルで力強いセンテンスのつながりは、
繊細でいて艶やかな伸びのあるソプラノになって耳を打ち、心を撃ち抜いた。
授業が終わった後、
僕は、頭の中で「We Shall Over Come~勝利を我らに」を何度も反芻した。
美しいセンセイの面影と共に。