goo blog サービス終了のお知らせ 

つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡町での初めて物語⑤

2012年07月07日 17時04分44秒 | 初めて物語
シリーズ津幡町での極めて個人的初体験”その5。

以前にも投稿したとおり、現在の津幡中学校の校舎には、
僕が通っていた頃の面影は殆ど残っていない。
故に、建物から感銘を受ける事は皆無に等しいのだが、
数少ない例外の一つと言えるのは「今日の一枚」。
…昔と変わらぬデザインの「校章」である。
そして、この校章を身につけていた中学2年生当時、
初めて「英語詞の歌」を覚えた。

あれは音楽の授業での一幕。
お名前は失念したが、
教鞭を取っていたのは、セミロングの黒髪が印象的な女性教師。
教壇に立つのがどこかまだ不慣れな様子で、
顔にはニキビもあったように記憶している。
彼女が一枚のLPレコードを持参して登場した。
そのジャケットがコレ。

       

赤いドレスに身を包み、ギターを抱えた女性の名は「Joan Baez」。
1960年代に“フォークの女王”と呼ばれたアメリカのシンガーソングライターの
日本公演ライブ音源盤である。
女性教師は、レコードに針を落とす前、黒板に歌詞を書いた。

We shall overcome, we shall overcome, We shall overcome someday
 Oh, deep in my heart, I do believe, We shall overcome someday.
We'll walk hand in hand, we'll walk hand in hand, We'll walk hand in hand someday
 Oh, deep in my heart, I do believe, We shall overcome someday.
We are not afraid, we are not afraid, We are not afraid today
 Oh, deep in my heart, I do believe, We shall overcome someday.

『この歌は「We Shall Over Come~勝利を我らに」と言います。』
…と口火を切って、その意味を説き、曲の背景を説明してくれた。
『「Joan Baez」のデビューは、昭和34年(1959年)。
 当初、トラディショナルフォークやスタンダードナンバーで
 ヒットを飛ばしたが、ベトナム戦争が激化する中で作風が変化し、
 反戦メッセージソングを数多くリリース。
 安保闘争に揺れる昭和42年(1967年)初来日を果たし、
 各地を熱狂に包んだ…』云々。

そして、レコード盤が回り始めると、シンプルで力強いセンテンスのつながりは、
繊細でいて艶やかな伸びのあるソプラノになって耳を打ち、心を撃ち抜いた。

授業が終わった後、
僕は、頭の中で「We Shall Over Come~勝利を我らに」を何度も反芻した。
美しいセンセイの面影と共に。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする