今日、久し振りに「ジャクソン・ブラウン」のボーカルを聴いた。
午後、FMラジオから流れてきたのは「Running On Empty」。
1977年に発表された同名のアルバム冒頭に収められていて、
ライブテイクを採用したカッコいいナンバーだ。
歌詞の一部、歌のサビの部分を引用してみると…
『Running On Empty ガス欠でも走り続ける。
Running On blind 先など見えないまま走り続ける。
Running On Into The Sun 太陽の中へと走り続ける。
But I'm Running Behind 遅れはとっているけれど。』
…とでも訳せばいいだろうか?
季節は寒くなって来たが、聞いていると心が熱くなってきた。
僕も「今日の一枚」…夜の散歩中に津幡の街角で撮影したような
オフロードバイクに跨り、よくあちこちへ出かけた頃を思い起こした。
そして続いてもう一曲、同じ「ジャクソン・ブラウン」の
「Late For The Sky」も聞いた。
シンガーソングライターが、冷え切ってゆく家庭内の悲哀を綴るバラード。
こちらは切ないスライドギターのイントロから始まり、
こう歌われているはずだ。
『君は僕の愛を理解できない。僕にしても何故、愛されたか判らない。
多分、君が愛していたのは、心の中で作り上げた理想の僕。
お約束の囁きとベッドの明かりに包まれ、僕らはウソを積み重ねてきたね。
Late For The Sky…空への旅立ちに間に合うことなく。』
むむむ…改めて名曲だなと感心した。
そして、僕には携帯型音楽プレーヤーよりも、
ラジオの方がしっくりくるなと再認識した。
ラジオから流れてくる音楽は、聞き手が選ぶわけはない。
まれにリクエストをして聞き手の意思が介入するケースはあるが、
殆ど、接するのは偶然性が高い。…それがいい。
新たな発見や出会いがある。運命すら感じることもある。
また、音楽だけでなく「語り」が入るのがいい。
やはり、声はコミュニケーションの基本だ。
好きな声質の方の語りは、聞いていて心地がいいし、
想像力がかき立てられて刺激になる。
今度、携帯電話のラジオを聞きながら散歩へ出かけてみよう。
午後、FMラジオから流れてきたのは「Running On Empty」。
1977年に発表された同名のアルバム冒頭に収められていて、
ライブテイクを採用したカッコいいナンバーだ。
歌詞の一部、歌のサビの部分を引用してみると…
『Running On Empty ガス欠でも走り続ける。
Running On blind 先など見えないまま走り続ける。
Running On Into The Sun 太陽の中へと走り続ける。
But I'm Running Behind 遅れはとっているけれど。』
…とでも訳せばいいだろうか?
季節は寒くなって来たが、聞いていると心が熱くなってきた。
僕も「今日の一枚」…夜の散歩中に津幡の街角で撮影したような
オフロードバイクに跨り、よくあちこちへ出かけた頃を思い起こした。
そして続いてもう一曲、同じ「ジャクソン・ブラウン」の
「Late For The Sky」も聞いた。
シンガーソングライターが、冷え切ってゆく家庭内の悲哀を綴るバラード。
こちらは切ないスライドギターのイントロから始まり、
こう歌われているはずだ。
『君は僕の愛を理解できない。僕にしても何故、愛されたか判らない。
多分、君が愛していたのは、心の中で作り上げた理想の僕。
お約束の囁きとベッドの明かりに包まれ、僕らはウソを積み重ねてきたね。
Late For The Sky…空への旅立ちに間に合うことなく。』
むむむ…改めて名曲だなと感心した。
そして、僕には携帯型音楽プレーヤーよりも、
ラジオの方がしっくりくるなと再認識した。
ラジオから流れてくる音楽は、聞き手が選ぶわけはない。
まれにリクエストをして聞き手の意思が介入するケースはあるが、
殆ど、接するのは偶然性が高い。…それがいい。
新たな発見や出会いがある。運命すら感じることもある。
また、音楽だけでなく「語り」が入るのがいい。
やはり、声はコミュニケーションの基本だ。
好きな声質の方の語りは、聞いていて心地がいいし、
想像力がかき立てられて刺激になる。
今度、携帯電話のラジオを聞きながら散歩へ出かけてみよう。