花の公園・俳句 ing

日本は素晴しい花の国。美しい花々と公園、四季折々の風景を記録したいと思います。我流の俳句は06年3月12日からです。

意外! ローマに大戦略なし

2019年01月28日 09時54分15秒 | 本、HP制作、写真のアップ       
古代ローマと、隣り合うパルティア帝国の関係史を分析した「ローマとパルティア」 ローズ・マリー・シェルドン著、三津間康幸訳、白水社 2013年。

地中海世界を統一したローマは政治・軍事的に優れており、征服した諸民族を文化的にも同化したすばらしい社会を作った、といわれ、「ローマ人の物語」ではローマ街道の整備と異民族の同化力などが絶賛されています。

たしかに素晴らしいことでした。しかしこの本によると、ローマには「大戦略」を探し出すのは難しい。「現代の歴史研究者は、ローマ人が卓越した戦略家であり、(中略) 防衛可能な境界線を引き、緩衝地帯を設定した。と考えたがる。(237P) (中略) このような考えは全くの幻想である。(238P)」

ローマはパルティアをほとんど知らず、単に蛮族としてとらえ、時には現地司令官が名誉欲で独走して大敗北を喫し、皇帝が取り組んだ場合も戦略目的があいまいなままで決定的な勝利は得られなかった。著者は現代アメリカの戦略との対比を考えているのですが、私はつい太平洋戦争の関東軍と大日本帝国を想起してしまいました。

ローマの将軍の独走は関東軍のそれとよく似ています。パルティア帝国は広大で人口も多く、完全征服には軍がいくつあっても足りなかったと思われるのに、数個軍団で攻撃する。ローマの威力を恐れさせる「衝撃と畏怖」戦略は、結局失敗に終わります。

関東軍は大戦略もなく現地軍が独走し、日本の10倍の人口をもつ中国を押さえつけ、屈服させようとしたのですが、抗日の意欲は衰えず、完全征服はできませんでした。中国人は惰弱だから武力でたたけば屈服すると侮っていたのは、大帝国パルティアをバルバロイと軽侮したローマ人と同じです。

英米と開戦し、中国戦線が膠着すると関東軍を引き抜いて南方に配備します。それは、対パルティア戦のためにゲルマニア方面の軍団を配転したローマと似ています。ローマの北方防衛線は弱体化し、経済的にも疲弊し、ゲルマン民族の侵入を許すようになっていくわけです。張り子の関東軍はソ連の侵入にひとたまりもなく撃破され、ヤルタ密約によりシベリア抑留が実行されました。

パルティアはローマに対してほぼ平和的で、パルティアから侵攻したのは300年間にわずか1回ほどで、ほとんどがローマ軍の侵攻。本格的な戦争の第1回は共和制時代の紀元前53年、クラッスス率いるローマ軍42,000人がスレナス将軍にカルラエで惨敗し、クラッスス自身を含む3万人が戦死しました。このためシリア以東ではローマの威信は地に落ちたと言われます。
ローマはその後も大戦略を立てることなく何度も対パルティア戦争を起こしました。大戦略とは、パルティアとどう決着をつけるか、その見通しを立てるということでしょう。共存か、征服するならどのくらいの戦力をいつまで投入するのか。どう戦争を終結させるのか。戦闘で勝っても征服ではないのです。

中国は日本に侵攻しておらず、攻めたのは日本。大日本帝国は、優位な武力で中国人民を畏怖させれば何とかなると考え、戦争の終結方策を考えなかった。中国では負けていなかった、というのが講和反対の理由の一つになってしまいました。
   (わが家で  2019年1月28日)

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