★ 三木市に移り住んだのが1973年からだから、もう50年にもなる。
人生で一番長く住んだ町になった。
私が三木のまちに初めて来たのは大学2回生の頃でまだ三木市にはなっていなかったと思う。
大学の野球部の球友のお父さんが亡くなってそのお葬式に来たのだが、
棺をみんなで担いで山の坂道を登って行ったのにはびっくりした。
今の三木市からは想像もできない田舎町だったのである。
そんな三木市の今年は『市政70周年』になるようである。
こんな市の広報誌が送られてきた。
★ 私が三木市に移り住んだのは前述したように50年も前の1973年前のことなのだが、
当時は日本国中が住宅開拓期で、一般の人々が自分の家を持つのがブームになっていた時期なのである。
そんなことで、私も当時大和ハウスが大規模開拓をして出来た
『三木市緑が丘町』に自宅を持つことになったのである。
70坪の土地に家を建てて1000万円は掛からなかった時代なのである。
土地を買って4年後に家を建てたのだが、
土地を買った時の給料が15万円ほどだったが、家を建てた4年後には30万円になっていたという、今では考えられない世の中だったのである。
これが今の三木市で、北の方の吉川町も併合したので、
広大になっているが、かっての『三木町』はホントに小さな城下町だったのである。
いまは旧い三木の街に匹敵するような大きな新興住宅地が出来て、
大きな公園などもいっぱいできて、そのイメージは一変しているのである。
ずっと以前からあったのは今は緑が丘町に隣接する『名門・廣野ゴルフ倶楽部』だけだと言っていい。
★私が三木市に移住してきた50年前はもう三木市だったのだが、
今年はその『市政70周年』だという。
『住めば都』とはよく言うが、緑もいっぱいだし空気もいいし、
ホントに三木に住めて良かったなと思っている。
私は生まれ故郷も本籍も明石で、川崎重工業の明石工場に勤めていたのだが、
その現役時代も三木に住んで車で明石まで通っていた。
いま思っても、住むには明石よりも三木がよかったかなと思っている。
ただ、お墓は明石にあるので、最後は明石に戻って眠ることになるのだが、
あと何年だろう? ホントにお世話になった三木市なのである。