★5月31日は母の命日である。 母は、2年前の今日、103歳で天寿を全うした。
100歳ぐらいまでは元気に歩いていたし、意識も確りとはしていたのだが、だんだんと自分の思うように物事が出来なくなって「早く死にたい」が口癖の毎日だったから、そんなに長く病床に臥せることもなく死ねて本望だったろうと私は思っている。
昨年1周忌で、今年は3回忌なのである。
私は長男なのだが、そんなことには無頓着だったのだが、妹たちがそれはやらねばと云うので、明石の長寿院の本堂をお借りして法事をすることにしたのである。
妹たち4人とそのご亭主たちが集まってくれての法要であった。みんな相応の年だし、7回忌など出来るかどうかは解らない。
★このような日本の法事の習慣も、墓も 今後一体どのようになっていくのだろうか?
長寿院は松平家の菩提寺で、かっては氏族しか檀家になれなかったそんな格式を重んじていたが、今は当たり前のことだが、沢山の新しい墓が立っている。 私がまだ小学生のころは伯父がその檀家総代をしていて、お前が跡取りだからと先代のお上人がおられたころは、小学生1、2年のころからよくお寺に連れていかれたものである。
それが返って私にとっては大層すぎて負担になったような気もするし、父は一切そのようなことを云わなかったので、私自身は結構今でもフリーな考えなのである。
息子は今は鎌倉だし、三木ならともかく明石などそんなに関係はないのである。私は本籍は明石上ノ丸にしているが、多分息子の本籍は明石でも、三木でもないだろう。 結婚したての頃の本籍が全日空の寮の住所になっていてびっくりしたことがある。息子には仏事など一切言ったことがないので、母の戒名に院号をつけたら結構かかったと云ったら、そんなことは一切知らずにびっくりしていた。
墓も、院号なども私の場合は、どうなっても息子の好きなようにすればいいと思っている。明石の長寿院の墓を守れなどと云ったら、それは大変な負担になってしまうだろう。
★ 今日の法事のお経のあとの法話はなかなかオモシロかった。
ご住職はわざわざ奥までこんな『松ぼっくり』を取りに行って頂いて、私に贈呈して頂いたのである。
長寿院は、明石の天文科学館のすぐ下に位置していて 、その上には人丸神社があり受験生が列をなすらしい。
その人丸神社でこんな『オクトパス』が人気らしい。
それに対抗して、境内にある松の松ぼっくりから、『ぽっくり涅槃』
元気で、長寿 そしてぽっくり大往生 がいいと、こんな本物の大きな松ぼっくりなのである。
これは、多分、売り物なのだと思うが、幾らなのか?
贈呈して頂いたので、有難く頂戴してきた。
そんな話の中で、ご住職が放たれた一言、横に座っていた息子を指して『弟さん』と仰ったのである。
息子とは30歳ほどの年の差だが、私が若いのか?息子が老けて見えたのか?
弟は、ちょっと息子がかわいそうである。
これは長寿院の本堂の天井である。
廣い天井のご住職がお経をあげられる その真上の一番いい位置に、施主古谷錬太郎とある。
多分、先代のお上人が伯父に気を遣ってのことだと思いたい。
いい加減なことを云ってはいるのだが、一応の檀家の並のお付き合いはしているのである。
これは、母の3回忌法要をまとめた動画である。
折角の機会にみんな集まったので、その会食は、明石大橋も、孫文記念館も一望に見渡せる絶景の『舞子ビラ』で2時間いい時間を過ごしたのである。
天気もよかったし絶好の眺望にもあってなかなかの楽しい法事とはなった。
息子が鎌倉から来てくれたので、昨日はサッカーを見に行ったし、昨日今日とその送迎で車で走り回った。
これで、長男の役目も何とか一通りは果たせたような気になっているのである。