★昨日のことだが、 Facebook で加藤文博くんとひょんなことから繋がりました。
正月に息子のサッカーの記事にコメントをくれた松本さん、川重にお勤めで、三木におられて、トライアルもやるとのことで、そのFBの共通のトモダチを見ていたら、山本隆くんもいるし、加藤文博くんの名前も見つけたのです。
https://www.facebook.com/fumihiro.kato.33
加藤文博 今は世界的な有名人です。
Googleで、 加藤文博 と検索すると
こんな紹介が現れるし、こんな写真もいっぱいなのだですが、
残念ながら、カワサキに関する記述が、殆どないのです。
そんなことで久しぶりに『カワサキ単車の昔話』というカテゴリーで、加藤文博くんのことを書いてみる気になりました。
http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/c/8bb6842e242593b842929fb3d5b47071
旧い日記をひっくり返して調べてみたのです。
★ 私が初めて加藤文博くんに会ったのは、
● 昭和45年(1970)8月1日、裏磐梯の京王ロッジ横で開催された福島オート主催のモトクロスの時でした。この時も、山本隆くんとのペアでした。
東京のアラオカモータースの安良岡健さんに頼まれたのか、私が頼んだのか、その時が初対面で、なぜかよく覚えています。
私は仙台事務所で、東北と北海道を担当していた最後の年で、11月から大阪に異動したのです。
● 明けて昭和46年(1971)2月14日、大阪で野崎輪業主催のモトクロス講習会が淀川の河川敷であって、その時も山本隆くんと二人で来てくれています。 日記には、お二人高槻の自宅に来て、モトクロス談義に花が咲いた と書かれています。
このころは、山本隆くんはモトクロスライダーとしては最後の時期で、多分翌年ぐらいには引退しているのですが、カワサキがトライアル車を開発するときに、また加藤文博くんとのペアが復活しているのです。
加藤文博くんが、トライアルの世界で、文字通り世界の第1人者になったのは、ヤマハに移ってからで、金谷秀夫、星野一義、加藤文博、北川圭一, みんな『世界の・・』と呼ばれるまでに成長したのですが、カワサキにいたころは、そんなに有名人でもなかったのです。
私などは、そのころからのお付き合いなので、みんな昔のままの『くん付け』で通ってしまうのです。
二輪車新聞にも詳しく紹介された、カワサキのファクトリーOB会、これはなかなかのメンバーです。
こんなブログで紹介していますが、http://rfuruya2.exblog.jp/13553004/
加藤文博くんも勿論いるし、金谷も、星野も、その師匠の片山義美さんまで集まっています。
カワサキのマネージングメンバーも、川重元社長の田崎雅元、副社長の高橋鉄郎、Zの開発責任者大槻幸雄、Team Green初代監督平井稔男など、その肩書はスゴイのですが、こちらもみんな昔のレース担当時代の若いころに戻っての出席なのです。
後列、一番左側が、加藤文博くんです。
★ このOB会も 2010年1月23日、のことでもう4年も前のことなのですが、ここからは、昨年の話なのです。
昔からのペア、山本隆くんのブログからその抜粋です。
若い時からレーシング専門でした!ツーリングは数える位しか走っていません?
・・・・・・
それで本題です、今回 NPO The Good Times 関連のイベントで「竹田城址ツーリング」が企画され、朝来市長と会談する話が出まして、新任理事長が不参加では話にならないと言う事で、片道約100Kmのロードツーリングとなりました!
しかし朝来市に行くには、青垣町の「ロールアウトパラグライダー」校長の加藤文博の前を素通りするわけにはなりません!そこで豊岡の青木さんに、パラ初体験を進めたら是非ともと言う事で12時にロールアウトスクール事務所で落ち合う事になりました。・・・・・・・
そうこうしてるとローソン1100Rレプリカ、ビトーR&D、SPも到着!
★NPO The Good Times のホ―ムページです。
★毎日発行される NPO The Good Times 新聞です。
★English Version です。