雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

昨日、今日とNPO関連です

2009-11-09 07:14:08 | NPO The Good Times
昨日は、NPO The Good Times の運営委員会でした。

このNPOも、あまり世の中に存在しない『初めての試み』みたいなモノでしたので、
なかなか説明も難しく、理事さんたちにも理解してもらうのが難しいままに進んできましたが、
最近になって、やっと少し理解して貰えるようになりました。

吉川の夏祭りやナメラアートのお手伝い、潮流発電の応援や古代の窯のプロジェクト、など具体的な事例が続いて、具体的な活動になると『イメージが湧く』ようです。

このNPO自体は、『仕組みそのもの』ですから、何もしません。
NPOのメンバーたちが、具体的に動くと、NPOのシステムは上手く機能します。
『より上手く使うと』 『より上手く機能する』ように仕組んでいるシステムです。

ようやく幾らか、利用してみようかというムードが生まれ始めました。
そんな感じが見られる運営委員会でした。


メンバーの一人、kwakkyさんは、私にとって有力メンバーの一人です。
kwakkyさんの昨日のブログは、『緑が丘の今昔展』ですが、この年表はkwakkyさんの力作です。

kwakkyさん関連で、今、こんな緑が丘のお医者さんや車椅子ダンスなど、ホントに異種、異質なユニークなところの話もあります。
いつか、NPOの仲間になって貰えたらと思っています。



今日は、東京から雷神マッハさんともうお一人が、わざわざ関西にお見えになります。
川崎重工を訪ねてそれこそマッハのレーサーをご覧になりたいそうです。
折角の機会ですから、NPOの団体会員でもあるグリーンピア三木にお泊りで、バイク関係のメンバーたちでのオフ会もやります。
『古代の窯』のあるmiki ANNEX PARKの山田さんも、ひょっとしたら神戸fフルーツフラワーパークの『ぼっけもんの修さん』も来られるかも知れません。

雷神マッハさんのご紹介で、今関東は活発です。
先週も歯医者さんと、こんな新進デザイナーの方が、参加されました。

『The Good Timeに受け入れていただきました御蔭で以前より見識が広くなったように感じており皆様には感謝しております。
私の友人知人で賛同できる方を1地域 1業種の会員さんを集めたら、 面白い事が出来るのでは?と考えています。 いわば私の野望です。』 とメールを頂いたりしています。



雷神マッハさんとの出会いのきっかけは、昨年の12月19日ことでした

ちょっと長いですが、お読み頂ければネットの面白さがよく解ります。
雷神マッハさんの『お礼のコメント』も載っています。

それから半年以上の空白があって、今回のNPOの関係で繋がりました。
そして、今日、明日三木や明石でご一緒します。

ホントに不思議なご縁だと思っています。
今後、大きく発展する予感を持っています。


今日は、お昼に川重明石に伺います。
営業の方、カワサキモータースジャパンの方、よろしくお願いします。

にほんブログ村 シニア日記ブログへ最後までお読み頂いて有難うございました。
お手数ですが、ちょっとクリックして頂けますか?






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カワサキのモトクロスの始まりは?

2009-11-09 04:56:48 | M/Cレース
先日、カワサキのレースは青野ヶ原が初めてだと言われているが、もっと以前に走っているのではと、『何となくそう思っていた』と書いた。

もう一度、再録してみると。

『カワサキのレースの初戦は1963年5月19日兵庫県青野ヶ原のモトクロスということになっている。確かに、明石工場の人たちが初めてレースに参加したのは間違いなく、青野ヶ原が最初である。


然し、何となく、ホントに何となくだが、
もう少し前からカワサキも、レースに参加していたのではないか?
それにもし関係した人がいるとすれば川崎航空機では井出さん、
カワサキ自販では故小野田滋郎さんだと、私は思っているのである。

その理由は、井出さんは『三吉一行君』をよく知っていて可愛がっておられたのである。
彼は元々ヤマハで三橋実君などとともに東京スリーホークスのメンバーだった。
カワサキにも一時関係はあったが、彼を知っているというのは、青野ヶ原より前ではなかったのか?

『新明和にレースのプロみたいな人がいたでしょう』
『いたな、名前は忘れたけど』
三吉一行君のリンクの写真の『富士の朝霧高原のレースも懐かしいな』
こんな会話が出来るのも、もう井手さんぐらいになってしまった。
残念ながら、井出さんは、正確には覚えておられなかった。

小野田滋郎さんは、青野ヶ原で大勝したとき、
今までレースに反対だった部長さんたちが競って記念写真に納まる様を、
『今までの苦労を知らずにーー』と言われたのである。
三橋実君をヤマハからカワサキに連れて来たのは、間違いなく小野田さんで、
青森であったレースのときである。
青森の八戸や厚木や福岡の雁ノ巣などの米軍基地の周辺から日本のレースはスタートしている。
その青森のレースなどは、多分青野ヶ原より前だったような気がするのである。』


とこんな風に記述したのである。

このブログに、60おじさん、山本隆君がこんなコメントを寄せてくれたのである。

『私が始めてMX出場したのが1961年1月4日の第1回兵庫県MXです青野ヶ原でMCFAJでした。
記念すべし初レースに2位となり、有頂天で次のレースを待ち望んでいました。

第2回が5月21日新明和工業宝塚工場敷地内で行われました。
この時にカワサキB7MXレーサーを東京の三吉選手が乗っていました。

ちなみに私は両レースともホンダCB95元浅間レーサーでした。
二戦目は散々な結果に終わり、心入れ替えた事を覚えています。 』


B7のMXレーサーがあって、61年5月21日に三吉一行君が乗っている。
新明和のレース場、これに小野田さんや井手さんがかんでいたに違いない。
私は61年5月は入院中なのだが、井手さんは61年は日本ジェットから川航に間違いなく戻られている。
当時私は財産課に所属していて、日本ジェットから戻られた井手さんや、大槻さんの机は、私が60年に準備したのでよく覚えているのである。

私の『何となく』も当たっているような感じである。
もう少し確りと詰めてみたいが、
『60おじさん、貴重なコメント』 有難う。

その後、60おじさんと電話でちょっと話をして、幾つか解ったが、
今日は、NPOのオフ会でご一緒する。
またいろいろ聞いてみたい。


にほんブログ村 シニア日記ブログへ最後までお読み頂いて有難うございました。
お手数ですが、ちょっとクリックして頂けますか?










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする