Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

南アイルランドの旅(2)ロス・タペストリー

2010-09-22 18:31:28 | 南アイルランド旅行 2011



ロンドンのボンドストリートの裏側にアイルランドの観光局のオフィスがある。出発の前日ここでアイルランドに関する資料をもらいに行って、キャンプサイトのガイドブックをもらった。
9月に入ればキャンプ場もシーズンオフの料金になる。それでも英国やフランスの盛夏の頃よりも高い。おまけにほとんどのキャンプ場がシャワーも別料金を払わねばならない。

アイルランドも英国と同じように経済危機で物価が高く、特に食料が高い。スーパーマーケットも小売店も値段は変わらない。これというのも小売店を保護するため大量仕入れで値段を安くできるスーパーがダンピングできないようになっているとか。
5年前にここアイルランドを回ったときは、値段がユーロとアイリシュ・ポンドの二本立てで書かれていた。ユーロもすっかり定着して今ではどこにもアイリシュ・ポンドの表示は見えない。相変わらず頑固なイギリスはEU 加盟は長いながら通貨をユーロに変えない。

アイルランドは日本や英国と同じように右運転だが、ガソリンやディーゼルの値段だけはずいぶん違う。燃料タンクを満タンにすれば毎回10ポンド近くの差が出てくる。これというのも英国では燃料に対する税金がやたらと高いせいだ。

  

さて初日のキャンプ場はロスレヤーの港から近いSt Margaret'sというところで過ごしたが、そこまで行く道路のひどいこと。一車線の田舎道で一応舗装はしてあるのだが、いたるところに大きな穴が開いていてキャンパーの中の家具がばらばらになりそうな音を立てていた。サイトの周辺は海岸や湖があってウオーキングには最適と言われたが、帰りのフェリーに乗る前ここで2泊して歩くことにして、今日はティポラリーを目指した。

  

港とティポラリーの中間あたりにアイルランドの有名なウオーターフォード・クリスタルの町がある。後に残るようなお土産は買わない主義だから見に行くつもりも無かったが、そのウオーターフォードの手前数十Kmにあるニューロス(New Ross)の町にロスタペストリーがあるとガイドブックにあった。
通り道で特に先を急ぐたびでもないから、駐車場にキャンパーを停めて行った所がこれらの写真だ。
タペストリーと謳っているが実際は精巧な手刺しの刺繍でこの地域の歴史を10枚の絵に現しそれを刺繍して展示してある。これらの写真は玄関広間の展示室で一部を見せてくれるだけで、実際の10枚の絵は入場料を払い、奥の部屋で絵の説明をイヤホーンで聞きながら見て歩くのだが撮影禁止で残念。
アイルランドは太古の昔からゲーリック人の住む農業国だったが、9世紀から12世紀はバイキングの侵略、12世紀から16世紀にかけノルマン人の侵略台頭、19世紀から20世紀は英国の支配下にあった。
これらの刺繍は色彩の美しさといい、デザインの大胆さといい、将来観光地の重要な見ものになると思う。まだ10枚の絵のうち5枚しか刺繍画が完成していなかった。

  

このロスタペストリーの建物の向かいの川淵に停留してある帆船は、英国がアイルランドを支配していた頃に発生したPoTato Famine(1845-1852)で、多数のアイルランド人がこの船でアメリカに移民したものだ。
ポテト・ファミン(Potato Famine)というのはヨーロッパ人の主食のジャガイモが薯の病原菌に犯され腐ってしまい、主食が入手されず何百万人の貧民が餓死したという。この時期支配していた英国はビクトリア女王の時代でアイルランドは英国に搾取されていたため、生き残った貧農はほとんどアメリカに移民したものだ。アメリカの人口の多数はアイルランドの末裔で今回の旅でも多くのアメリカ人旅行者に会った。



私がアイルランドのポテト・ファミンを知ったのは今から15年程前だった。一年に一度開かれるロンドン北部の陶芸展でアイルランド人の女陶芸家の作品は小さな人間の頭をぎっしり並べたもので、いろいろな顔が天を向いて叫んでいる。
これはいったい何かと聞いたところ、ポテト・ファミンの話をしてくれた。あの小さな人形たちの表情は忘れられない。



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