Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

キャンプ旅行 トドラ渓谷 (Gorges du Todra)

2012-01-13 16:11:18 | モロッコキャンピング 2012年



 

 

今朝まだ朝日の昇らない7時に起きて、すぐホテルの外へ出てみると、砂漠の遠くに連なる山々が朝日で真っ赤に染まってきた。朝日は遠くの岡に上にチラッと顔を覗かせたと思った瞬間あっという間にぐんぐん上って、まぶしくて写真も撮れない。
ホテルに向かって帰るのに朝日が後ろから照り輝いているから、砂漠の石も、草も、私も陰影がくっきり浮かび上がった。

夕べ同宿した英国車のおじさんはモロッコ大好き人間で、今回が5回目だという。そしてこんなに寒いことは今まで一度もなかったというから、昨年からの気象異常は今も続いているらしい。

 

 

 

 



 

 

ティネリールの町はこのサイトから50Kmほど東へ行ったところで、トドラ川に沿ったオアシスは大きく椰子の森が素晴らしい。辺り一面の土の家屋や、カスバーが連なり、急坂をぐんぐん上ってゆくと約15kmで両側に切り立った岩山が現れた。きれいな流れを右に見ながら奥行き200メータくらいの渓谷を通る。こんなところにも土産屋が数軒軒を並べていた。
普通の観光バスはここまででこれ以上を上ってゆくのは、地元の運送トラックや、村人ぎっしりのミニバス、そして私たちのようなキャンパーだけだった。

 

 

  

道路は一応舗装されているが、あちこち穴ぼこ、落石注意の山道で、あきれるほど長く渓谷が続いた。道の傍には水の干上がった川床が白く広がり、食べる草もないだろうにヤギの群れがうごめいていた。

  

トドラ渓谷をずんずん上ったところはなだらかな盆地で、結構大きな村に行き着いた。たくさんの子供たちが狭い通りの両側で遊んでいて、ボンボン(飴)をくれとねだる。それも村全体で何十人の子供が居たのだろう。皆がキャンパー・イコール・飴という態度でうんざりしてしまった。


 

 

 

   


村はずれの畑はきれいに耕かされ、谷川では村の女たちが洗濯している。通りのあちこちで男たちは座っておしゃべりしているか、お茶を飲んでいる。背中いっぱいに荷物を背負って歩いているのはすべて年取った(様に見える)女性で、この国の男尊女卑は日本の戦前戦後直後とよく似ている。

村の端に変わった墓地が現れた。この地方は相当貧しいらしく、墓石はこのような石のかけらで3箇所の結構広い場所を占めていた。アトラス山脈以南にはモロッコの先住民族であるベルベル人が住んでいて、彼らの生活様式や伝統は後にモロッコに入ってきたアラブ人とは異なる。

この村のはずれで折り返して下山したが、土産屋のある渓谷で、若い東洋人観光客を多く見かけ、”日本人ですか?”と声をかけると”はい”日本から?””はい”ウワーやっぱり日本人はここまで来るんだ。と嬉しくなった。



今夜のサイトは渓谷を下りた谷川のほとりで、椰子の林に囲まれた気持ちのよいところだった。

コメント
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