土曜日の朝11時にこの博物館で友達と会う約束、もうすでにたくさんの人達が来ていて、特に中国人の団体が多くなってきている感じがした。
もう何10回もここには来ているのに博物館玄関の上を見たことがなかった。
ギリシャのパンテノンをモデルにしているのだろうか?
まだ1週間を過ぎたばかり、会場はたくさんの英国人で、彼らは展示品の前の説明文を見逃しまいとしているのか、動かない。私は隙間を見つけると割り込んで説明文と展示品をスマホで撮して次のところへ。あの様子では皆数時間をこの博物館で費やすのだろう。
まず最初の説明文が、奈良。紀元後710年から84年の平城京の説明。
中国、韓国を経て仏教が日本に到着した。
日本人ならではおなじみの掛け軸、説明文など誰も動かず見えなかった。
韓国の金の首飾りと勾玉。紀元300年から500年間の韓国皇室シーラ(Silla)の墳墓から発掘された。
韓国皇室シーラの墳墓から発掘されたもの。
中国タン(Tang)(AD 618-907)は当時世界1の規模を誇る国で、人口百万人に達し、地中海沿岸からの輸入品やアート、ファッション、音楽、やあらゆる物品が輸入され、外国の宗教も許容された。
タンの国は当時国際色豊かであらゆる人種がいた。この陶器の人物像はヨーロッパ人、旅商人、そして黒人奴隷は南方商人から売買されたものであろう。
1900年中国ダンハン(Dunhuang)から7万巻に上る経典、や絵画、布地などが発見された。私はこれこそ井上靖が書いた敦煌に違いないと思っている。モゴア(Mogoa)岩窟寺での発掘で、発見物の殆どは大英博物館に保存された。
上5枚の壁画はサマルカンドの貴族の館から見つかったもので紀元660年頃といわれている。絵には韓国人の姿が描かれている。全体の壁画には中国人やインド人も見られる。
この絵は上の壁画を元にして復元を試みたもの。壁の青は高価なラピス(Lapis)を粉にしてぬってある。
この室内の壁画は紀元79年火山灰により埋められたポンペイの屋敷内の壁画によく似ている。
これはアフガニスタンのバーミヤン仏像で、1500年ほど前に彫られたもので、ユネスコに登録されていたが、2001年タリバンによって破壊された。
イスラム(回教)がアフガニスタンまで広がるまでは仏教がアジア全体に信じられていた。
これ以降細々したものが多く、英国に影響を及ぼした芸術や手工芸品まで数限りない展示品が有ったが、1時間半でつかれきって出てしまった。
博物館の入口は塀の外まで長い行列。皆がシルクロードを見に行くわけはないが,早く行って良かった。来年2月までやっているからまたゆっくり来てみたい。
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