Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

アイスランドの旅 3 デティフォス(Dettifoss)

2010-06-26 22:07:25 | アイスランドの旅 2008年




フェリーから先頭に降り立った私たちは,税関で乳製品を持っていないかと聞かれ、イギリスのチェダーチーズ2パックと卵1ダースを取り上げられました。今でも税関職員は1週間に1度のフェリーで取り上げた食料で楽しんでいるのかも知れないとひそかに思っています。

ロンドンでフェリーの予約をしたときはアイスランドにどれほど見所が在るか判らず、1週間で帰国予定にしていたのですが、フィヨルドの景色で大感激、それにフェリーの中で1週間ではアイスランド一周は無理と言われ、税関から解放されると同時に、港のフェリー会社に駆け込んで2週間に変更してもらいました。

 




人口730人のセイデスフィヨルドンの町には銀行もガソリンスタンドも1軒づつあり、キャシュマシーンでお金を下ろし、燃料も満杯にし(他のキャンパーも同じで行列を作っていました)午後2時過ぎに町を出発しました。町を出ると同時に急な登り坂で、途中にグフフォス(写真2)の滝が、又振り返ってみた町は小さく(写真1)、フィヨルドの最奥の感じが良く判ります。
高さ7-800メータの山頂に出ますとあたりは雪景色(写真3)遠くの山並みは真っ白です。一山越えて約20Kmでエイギルスタディル(Egilsstadir)の町(写真5)が眼下に広がりました。人口4600のこの町は長い橋のかかる河で分断された気候穏やかな町で、ここからアイスランドを丸く一周しているN1の国道にのります。

 

 




N1の環状道路で110Km 程過ぎた地点で右手にデティフォスのサインを見つけた私たちは、今まで素晴らしい景色を見、舗装された道路を走っていたので,勢いついてこの地方最大の滝を見に行くことにしました。
片道27Kmすぐそこと思って行ったのが、1Km 位で舗装道路がなくなり、まるで洗濯板の上を走っているみたいです。4輪駆動や自家用車は早く走れる(写真6)のですが、家具やあらゆる生活用品を積んでいるキャンパーは全体が激しく揺れ、とっても早く走るのが無理です。27Km を1時間5分かけやっとの思いでたどり着いたデティフォスの駐車場にはキャンパー数台と観光バスが2台止まっていました。

 

 

 

 



 




火山岩の荒れた山肌に時々鮮やかな芝桜の花が咲いています(写真11)。この花は直径10-20センチの丸く盛り上がったこけ様で荒れ果てた野原や岩の間にへばりついて色鮮やかに咲き誇っていました。
デティフォス(写真9,10)は苦労して行った甲斐ありのすごい迫力、高さ44メートル毎秒212トンの水が流れ落ちています。

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アイスランドの旅 4 ミーヴァートン湖付近(Myvatn)

2010-06-26 10:20:05 | アイスランドの旅 2008年




さてデティフォスからの27Km を苦痛を感じるスローさで、やっとN1の環状線にたどり着いた私たちは、35Km 先のキャンプサイトを目指しました。
途中の道では周囲の山が異様な黄色さで山麓は火山地帯、山の向うは地熱発電所がと "あー"と”おー"の連続、それでも停まらず明日は必ずと心に決めてキャンプサイトに向かったのです。

キャンプサイトはミーヴァートン湖畔でキャンパーのための平地は少なくほとんどがテントのための草地でした。草地の2-3箇所にお皿を洗うためのシンクがあり温泉から引いたお湯は硫黄のにおいがします。男女共同のトイレ、シャワーは暖房が良く利いて気持ち良く、シャワーはやはり硫黄の匂いがきついお湯が滝のように出る素晴らしいものでした。テントで電気の使えない若者たちは洗面所の電源でカメラのバッテリーを充電したり、ラップトップに写真を移したりしていました。またテントの人たちのためにキッチンが完備されていました。

 

 



アイスランドは北極圏より南に位置し真夜中の太陽は見られませんが、6月末のこの夜は夜中12時過ぎでも白夜でした。
ミーヴァートンとは”ぶよの湖”と訳される名前で夏はぶよで大変らしいのですが、暦では夏といってもこの寒さ、虫も出てこれなかったものと見え何処でも一度も見かけませんでした。


 

 




アイスランドで気がついたのは、どのような観光地でも監視人も居なければ入場料や駐車場料金などを払うこともなかったことです。
キャンプサイトのあるレイキャヒルス(写真3)は人口200人の村ですが、それでも大きな観光案内所があります。この付近はアイスランドでも有名な観光地帯なのです。
翌朝昨日来た道を引き返し、地熱発電所(写真4,5)が真下に見える展望台に行きました。ここからはミーヴァートン湖(写真6)も見渡せます。

 

 


昨日見た道路際のナマヒャル(Namafjall)は日本で言う地獄地帯、熱湯が湧き出ていたり、泥がぶつぶつ膨らんで割れたり、水蒸気が吹き上がっていたり、そしてここにも監視人は誰も居なくて観光客は自分の責任で自分の安全を確保するだけです。それでもこの朝買ったアイスランドの観光書によれば年間事故が多発していると書かれていました。
この日は私たちにとってアイスランドでは一番の寒さで、道路上に時々設置してある時間と温度の掲示板ではマイナス4度からプラス4度までを記録しました。歩き回っている観光客は防寒服に身を固めていますね。私たちもアノラックの下にコート2枚、ズボンも2枚はいてそれでも強風に身を縮めていました。
この地域では100年もの昔から硫黄が採集され海外に輸出されているとのことです。

 

 



 

 


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アイスランドの旅 5 ミーヴァートン湖付近 その2

2010-06-26 04:43:43 | アイスランドの旅 2008年

 



ナマヒャルの地獄から北方にクラフラ(Krafla)へ行くローカル道路があります。あのデティフォスへ行くような未舗装道路ならすぐ引き返そうと思いながらキャンパーを進めました。途中の道路わきは荒々しい火山岩がそそり立っていて、もし道に間違ってこんな中に迷い込んだら絶対に通り向けられないだろうと思われました。


 

 



すぐクラフラの地熱発電所が見えてきて、山の中腹の見晴台からは発電所の全景(写真1)が見渡せます。この発電所は1974年に操業開始しましたが1975年から1984年まで 2Km先のレイルニュクル(Leirhnjukur)の広大な地域が火山活動を初めその存在が危ぶまれたのです。
1986年に国営から私営に替わり現在に至っています。

この見晴台から数百メータ北に行ったところにビティ(Viti)という名の火口(写真2)があります。ビティとは地獄と訳されますがこの直径300メータの火口湖は常温30度を保ち夏には観光客が泳ぎに来ています。(泳いでいる絵葉書が販売されています。)この火口湖から見る周囲は全く地獄の様相を示していて、遠くに見えるレイルニュクルの火山には観光客が歩き回っているのが見えます。

 

 

インフォメーションもないまま駐車場に行って見ますと観光バスやキャンパーや自家用車がたくさん停まっていて、人々はこの荒々しい活火山のあたりを歩き回っています。歩道は整備され指定の歩道から踏み外さないようにとの注意書きが在るだけ、時々にわか雨と強風の中、まだ煙の出ている火山地帯を歩き岡の頂上 (写真6)まで1時間以上も見て廻りました。写真8の焼け爛れた平野は1977年の観光絵葉書であたり一面が真っ赤な火の海なのです。

 




24年前かまたは昔の火山活動で出来た火山岩が冷えてその上にコケ類が生え、その間にこのようなかわいい草花が寒さにめげず咲いていました。


 

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