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Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

最後のキャンプ旅行ー早朝エクササイズ

2016-07-11 17:25:14 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

 

サイトのコーナーにあるエクササイズ・マシーンで11月1日から運動を開始したのは前回のブログでも書いた。クリスマス前までオランダ人夫妻がラジオ体操に来るようになり毎朝熱心に体操やジムに励んでいた。

ヤンと奥さんのヘルダは同い年の66歳、朝の体操後はウオーキングスティックをもって10-20㎞も歩きに行く。

 

 

 ヤンのお父さんは96歳、オランダに住んでいるが息子のヤンとスカイプで交信していて、クリスマスにはスペインの海辺にアパートを借りて家族皆が集まってクリスマスを祝うという。96歳でたとえヨーロッパといえども飛行機旅行するのは大変だろうと思うが、彼らはあまり気にしていない様子。

 

スペインの海岸のキャンプ場で3月まで過ごすというヤンから写真が送られてきた。キャンプサイトのオランダ人老サイクリストたち。あたたかな冬を満喫している元気な人たちだ。

 

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最後のキャンプ旅行ー便秘

2016-07-10 13:16:22 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

旅に出ると生活が不規則になるから便秘しやすくなる。亭主のほうは下痢しやすくなるというから食事か水の関係なのかもしれない。

キャンパーには以前からエプソムソルトという瞬下剤を常備してあるが、6週間のヨーロッパ旅行の間に使い果たしてしまった。

タヴィラに落ち着いて毎朝1000回の縄跳びをして、運動もしているが排便困難は解消しない。

とうとういつも行っているコンチネントのスーパーの隣にある薬局へ行った。若い女性がいたのでコンスティペーション(便秘)の薬をと言ったところ、ハイこれをどうぞとすぐ渡してくれた。

3日たっても状態は解消されない。薬の箱には確かにコンスティペーションと書いてあるが、薬の内容物にパラセタモル(鎮痛、解熱剤)がはいっている。

とうとうたまりかねて、英語の話せるタヴィラの町中の薬局へ行った。

買った薬を見せてこれはラクサティヴ(下剤)かと聞いたところ、老婦人の薬剤師は気の毒そうにコンスティペーションはポルトガル語ではインフルエンザ、風邪のことだ。この薬は鎮痛、解熱剤だといわれてガックリ。

同時にやっぱり・・・・、効かないわけが判った。本物の下剤を買って店を出る時、若い女性の薬剤師二人が現れ、笑いをこらえるのに苦労している様子だった。

 

12月半ば、南国の夕暮れはつるべ落としと言われるくらい早い。日が暮れるのは5時半から6時の間、英国の12月といえば午後3時くらいから暗くなり、雨の日など一日中暗い。

夕食の準備に取り掛かった7時頃はとっぷり日が暮れて、キャンプサイトのあちこちに設置された街灯がなければあたりは真っ暗になる。キャンパー近くのブラックスポッツは石ころと煉瓦がごろごろしていて昼間でも危ないのに、水を汲みに行ってもらった亭主が ドサッ・ギャーと叫んだ。一瞬のうちにスリッパで駆け付けた私は四肢を伸ばして転がっている亭主に、どこか骨折したところは?と聞くと鼻を・・・鼻を・・・という。暗闇でも鼻や顎から出血しているのが判りキャンパーの中に引き返して大きなタオルを濡らして顔や手に当てて出血を止める処置をした。

この日新しいフランスのキャンパーが来て電源からケーブルを曳いた、そのケーブルに足を引っかけ転倒したもので、駆けつけてきた周りのキャンパーのフランス人3組とオランダ人男性はせっせと世話してくれた。オランダ人は鼻と顎の出血が止まらないなら自分がフランス人の自家用車に乗って病院へ連れて行くと大張り切り。

引っかけたケーブルの持ち主のフランス人夫妻は大謝りで翌日も顔を合わせる度に謝っていた。周りのフランス人たちはしっかりと救護セットを持ってきて、消毒やバンドエイドをくれる。今時珍しい赤チンを貸してくれて、手やひざにべたべた塗り付けたが顔だけは亭主の拒否でやめた。

顔からスライドして倒れたそうで本人は鼻が取れてしまったと思ったそう。鼻血と鼻の中央2センチの切り傷、顎の1.5センチの切り傷からの出血が激しく起き上がった亭主は衣類も血にまみれた。もう何年もアスピリンをのんでいる亭主はほんの小さな切り傷でも出血がなかなか止まらない。両手の平も切り傷で出血が収まった夜、全部の衣類を水に浸し、血を洗い流した後洗濯機で洗うことにした。

血が収まってみると意外と小さな傷だったのだとあきれるほど、日本人なら顎か頬に傷ができるところ、鼻の大きいイギリス人ならこそ鼻から落ちるのだと変なところで感心していた。

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最後のキャンプ旅行ータヴィラの11月

2016-07-09 19:05:05 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

 

過去2年同じ場所にキャンパーを停め半年近く生活している。わがキャンパーのすぐ隣にやってきたフランス人のキャンパーには2匹のパグがいて、長い綱でテーブルの脚や近くの木につないであるがこの犬たちが面白い。白いピクシーは1歳の雌犬でまだ子供らしく近くを通る人皆に愛嬌を振りまいて足に絡まる。黒いティプシーは2歳の雌でピクシーよりもおとなしく動きもピクシーに引っ張られている感じ。奥さんのドンナが毎朝散歩に連れて歩き、日中は自転車の後ろに小さな車を付けて2匹ともおとなしく乗って引っ張られていく。

今まで吠える声を聴いたことがないほど静かな犬たちが、彼らの体の20倍ほどある犬がおじいさんに連れられて散歩しているのを見ると、2匹で短い脚を突っ張って唸り声をあげる。2匹ともほとんど同じサイズで1歳違いとは思われない.仲の良い姉妹なのだ。

 

 

11月14日はスーパームーンとニュースで報道していて、夕方から期待してカメラの準備をしていた。晴天の1日だったからお月様もきれいだろう。7時過ぎに東の空に黄色い月が上った。ニュースで大騒ぎするほどたいして大きいとは思われなかった。やっぱり対象がないと月や星のサイズはわからないものだ。

 

 

 昨年もよく歩き回った田舎道に散歩に出かけた。青空に風もない穏やかな日だったから、11月でも半そでで十分。田舎ほどきれいな豪邸がみられる。

 

農作業に使う機械の部分がとっても面白い。これは何に使うのだろうか。

2時間ほど歩いて以前も行ったサイクリスタのレストランに着いた。モンコイカのシチュウを注文したけどないといわれ、また今日のおすすめの焼き魚、初めて来たとき程の感激はないが、3匹の鯛とサバ一匹で満腹。このレストランの地酒の白ワインがとってもおいしい。

 

 

 

キャンプサイトから近くのラウンドアバウトにアーモンドの花が満開になった。狂い咲きで本来は1月末か2月に花が咲きアーモンドの実が実るのは夏のはず。いったい何月に実が実るものやら。 

キャンプサイトに昨年から見かける尾の白いブラックバード、やー今年も無事に生きていたのかいと声をかけたくなる。

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最後のキャンプ旅行 ーサイトの人々

2016-07-08 17:34:05 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

1週間前、今まで使っていたコンピュータが壊れてしまって、写真がダウンロード出来ないし、この記事は私のアイパッドでかいている。

10月末日過去3年滞在したタヴィラのキャンプサイトへやってきた。今年で4年目にもなるとほとんどの人達と知り合いになる。ヨーロッパ人の中に私一人だけが東洋人では目立つから、サイトの外で出会っても知らない人が挨拶してくれるのは、以前から居るサイトの人達に間違いない。

このサイトについて直ぐ、私達の声を聞きつけて出てきたのが、今年の3月に別れて帰国して行ったアランと奥さんのエプリルで、考えてみればまだ6ヶ月しか経っていない。彼らは10月半ばからここに来ていて来年3月まで滞在するという。早速翌日からサイトのコーナーの野外ジムでラジオ体操を始めた。エプリルは私より5歳年下、旦那のアランは私より8歳も年下で元陸軍でのたたき上げ、口八丁でああ言えばこう言う反応が面白い人。エプリルはウエールズで仕事をしていると言う。今朝トイレの入り口で変な中年男が女性トイレからでてきた。紙を探してトイレを見て歩いたらしい。私の持っている紙をくれというが、私が要るからと断った。ジムでアランにそのことを言ったら、即座に  私が使った後まで待つように    と言うべきだって。

 エプリルは幹部養成学校で指導者として働いていて、仕事がある度に帰国して数日で帰ってくる。指導の合間に今春アイパッドで映した私たちのラジオ体操をテレビで大写しにして、皆でラジオ体操をするのだという。これが大好評でと言われて面映い。

 毎年9月から3月までこのサイトで冬を過ごすオランダ人夫妻のジェラルドとマリアンは今年も既に来ていていつもと同じ場所に陣どっている。ジェラルドが今年膝の手術をしてあまりよく曲がらないから、今年はラジオ体操はしないとの事、今春だって1週間に3日しか来なかったくらいだもの。今の一番の楽しみは二人で1000枚のジクソーパズルを仕上げることだそう。見ただけで気が遠くなりそうだった。

長期でキャンプサイト滞在なんてする人達は、定年退職者に決まっていると思うが、ただ一組、デビットとバネッサは異色のカップル、一人娘のバネッサの両親は50代で病死したため、バネッサは42歳で退職して以降は自分の楽しみのために人生を送る事にしたのだ……って。旦那と二人ヨーロッパ中のバイクレースに参加し、タヴィラでは自転車レースやマラソンに出かけてたのしんでいる。彼らを見るといろいろな人生があるのだなーと感心してしまう。彼らのキャンパーのすごいこと、10メータの長さに高さもイギリスのダブルデカバスなみでキャンパーの車庫部分には、モーターバイク2台に自転車4台が積まれて、1年中ヨーロッパ中を走り回っている。このキャンパーが彼らの家だもの、大きくて居心地よくて当然だろう。でもかれらのような人生を送ることの出来る人って一体何人いるだろう。

今年 10月月半ばから滞在しているフランス男性が、凄い。彼は事故か何かで両大腿と左腕がない。車椅子にデタッチのモーターを付けてキャンプサイトのみならず、街までひとりで出かけていく。トイレのカセットはサイトのコーナーに捨てる場所があり、彼は膝の上にカセットを載せて、モーター付き車椅子で颯爽と走っていく。残った右手で中身を捨て、洗い、誰の助けも必要としない。サイトの中のフランス人たちとたのしそうにおしゃべりしているのを、何度も見かけた。彼はまだ40代後半か50代前半だろう。奥さんに会ったことは無いが若くて綺麗な人だという。

もう何年も前にドイツのキャンピング・プラッツで車椅子の二人の男女が本当に楽しそうにおしゃべりしているのを見たことがあった。男性がやっぱりトイレのカセットを膝に乗せて捨てに行っているのを見た。彼の場合は両手両足は揃っていたから自分で大きなキャンパーも運転したに違いない。

このように身体不自由のひとたちが健常者と同じように人生を楽しめるヨーロッパは素晴らしい。キャンプサイトには身体不自由者用のトイレやシャワーが設置されていないと開業できない規則が有る。

11月20日にまた一組ラジオ体操の仲間がやってきた。マイクと奥さんのシオナで我が亭主は始めにマイクを紹介したときに、エリックと思い込んでしまった。エリックは以前の家の隣人でマイケルは現在の隣人。マイクと言われた際隣人とよく似た名前と覚えたらしいが途中でこんがらがったらしい。マイクが来たよと言ったらマイクってだれだ? エリック よと言ったらマイクだと分かってくれた。あーややこしい。シオナはマラソン大好きで先週日曜日のタヴィラマラソンに出場していた。

クリスマスを過ぎるともっとたくさんの友達がやってくる。半年はロンドンで後半年はポルトガルでのこの数年は私たちの人生をどんなに豊かにしてくれたことか。来春まで毎日を楽しく、沢山の思い出を作っていきたい。

 

 

 

 

 

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最後のキャンプ旅行ータヴィラの一週間

2016-07-07 18:14:46 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

 

 タヴィラのキャンプサイトへ着いてちょうど一週間たった。ついたその日に過去2年間過ごしたサイトの一角へ行ったがフィンランドのキャンパーが占領していていい場所がなく三年前に過ごしたテラスの一角に場所を見つけた。新しいトイレシャワーブロックがすぐ近くにあるから問題ないが、汚水の捨て場所がなくて困っている。夜中にそっとトイレに行って捨てている現状。

 

 このサイトはもともとポルトガルの国営警察の保養所で立派なプールもあるが、私たちには公開されていない。今では晴天で20度くらいになりまだ半袖で歩けるがポルトガル人は厚いオーバーコートを着ていて、半そで、ショーツの人たちは一目で北ヨーロッパの人たちと判る。

過去毎年書いたブログでも知っての通り、町へ行く途中の魔の踏切がとうとう新しく改築されて線路の周囲が固いゴムのシートで覆われ自転車で通っても転ぶことはなくなった。これまで何人のキャンピングに来た人たちがけがをしただろうか?私も膝を擦りむいた一人だけれど。

貧しいタヴィラの財政なのによくこれだけ新しく治してくれて本当に感謝している。

 

 踏切を通って一軒家が並ぶ通りの前庭は各自いろいろな花や果物の木が植えられていていつもうらやましく思う。大きなレモンの木にこれまた巨大なレモンが鈴なりでまだ熟れていない。

 

 一軒の家の狭い前庭には3本のパパイアと1本のバナナの木が植わっている。パパイアは鈴なりだし一本の木は白っぽい花が満開でこれは来年実がなるのかと思う。

 

 ちょっと見には桜の花と間違えそうなこの木は今の時期にこんなきれいな花が咲く。

 

 ここは南国、ツバメはこの地が冬の避寒地で夏にはヨーロッパの北へ移動していくものらしい。

 

タヴィラは教会の多い街で、この大きな教会はイースターの時しかオープンしない。外観が新しく塗り替えられて、真っ白な壁が青空に冴える。

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最後のキャンプ旅行ーポルトガルへ

2016-07-06 10:25:01 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

 

 

カセーレスからポルトガルへ入る道は色々あり、過去には世界遺産のエヴォラ(Evora)のキャンプサイトで一泊していたけれど、セビリアまで南下してポルトガルへ入る無料の高速道路が一番近道だと知り、もう何度も高速道路に乗っている。

  

セビリアまでの250kmも平均速度110kmですっ飛ばし、セビリアからポルトガルへの国境133kmも時速130kmをオーバーしたことがあった。

  

 

 

今の時期、対向車にキャンパーが走っていることはほとんどなく、ポルトガルへ向かうオランダやドイツのキャンパーを追い越して走る。昨年から今春、キャンパーの具合が悪かったためこんなに高速で走れなかったから、亭主はうれしくてたまらない。

  

ポルトガルの国境からいつものキャンプサイトまで20km、途中でショッピングしたこともあり、午後1時にはサイトに着いた。写真のキャンピングプラッツはポルトガル国境のすぐ近くのもの。

 

923日から1031日までの6週間での走行距離は8000マイル(12800kmを超えた。

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最後のキャンプ旅行ーカセーレス( Caceres) へ

2016-07-05 10:22:46 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

 

土曜日の朝8時はまだ薄暗く、出発の準備を始めた。昨夜12時近くまで騒いでいた子供たちは、まだ目覚めていないらしく、昨夜とは打って変わってキャンプサイトは静まり返っている。

  

 

 

9時にキャンプサイトを出発、昨年とほとんど同じ時期、まったく同じコースでポルトガルとの国境近くのカセーレスへ向かった。毎朝朝もやか朝霧かであたりはかすんでいて、広大な平野は面白みがない。

 

途中の道路わきにたばこの苗が大きくなっているのを見かけた。ヨーロッパではドイツに次ぐ2回目のタバコ栽培で暑い国だもの当然と思ったけれど、ドイツでのはいまだに信じられない。

 

イタリアと比べ物にならないほど道路状態は良く、最高時速120KMをほとんど止まることなく走り続けた。

 

カセーレスの街の入り口に大きなフランス系のスーパーマーケットがあり毎回ここで食料やディーゼルの補給もしていくのも同じ。

昨年、カセーレスのキャンプサイトで、ハロウィーンに出くわし、日が暮れたころ仮装した子供たちが数回ドアをノックし何かくれるのを期待していた。あいにく何も予定していなくて申し訳ない思いをしたことから、今夜に備えて飴を2袋買った。

  

カセーレスのキャンプサイトはユニークで指定されたキャンパー停車地に各自トイレ、シャワー、洗面所の小屋が設置されている。この12年間いろいろなキャンプサイトを回ってきたけれど、このような施設はここカセーレス以外にはない。毎年ポルトガルへ向かう時と帰国時の4月にこのサイトにお世話になっている。

 

朝霧が晴れると真夏のような日差しでキャンパーの窓を全開して涼をとる。あまりの暑さにベッドの上の天窓も開けて寝たのは今回が初めてだった。

 

土曜日から日曜日にかけての夜中1時にスペインでも冬時間になり、時計を一時間遅らせることになる。そして翌日ポルトガルでは一時間の時差があるからまた時計を一時間遅らせなければならない。2日間で2時間遅らせることになり、体の時計が狂ってしまった。

毎朝6時半に目が覚める。一昨日までは8時半だったのに。

 

土曜日の夜期待していた子供たちは暗くなっても静かで、一人も現れず、もしかして日曜夜かと期待していたのに誰も来なかった。結局2袋の飴をどうしようかと悩んだ挙句サイトの受付にあげてきた。

  

キャンパーの窓もドアも開けっ放しで風を入れていると、隣のプロットにまかれたパンくずをめがけて小鳥がやってくる。背中がきれいな青のイベリアン・マグパイは英国にはいない。

 

 

明日も晴天を約束するように木の間の向こうに夕日が沈んだ。

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最後のキャンプ旅行ーアランフエズ(Aranjuez)

2016-07-04 10:57:13 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

 

 マドリッドの南46kmにあるアランフエズのキャンプサイトは翌日のハロウィーンのイヴェントに備えて、サイトの入り口から内部の子供の遊び場など、おどろおどろしい魔法使いや蝙蝠のおもちゃなどが飾られていた。クエンカから100kmを一息で走り抜けたどり着いたサイトでは金曜日一晩だけは空いているが土曜日は満杯といわれた。

 

 昨年もほとんど同じ時期にここへ来ていたので、この街に素敵な宮殿があることを知っていて、ぜひ見たいと思っていたが、翌日泊まれないならばと疲れた体に鞭打って、テイホ河(Rio Tajo)に沿ってロイヤルパレスまで歩いた。

昨年、キャンプサイトを出たばかりの十字路にアヒルの大群が歩き回っていて、どこかの飼育場から脱出してきたものとばかり思っていたのに今年は3羽だけが道端で、道路を渡るのにどうしようかと迷っている風だった。

そして道路わきのテイホ河にはたくさんのアヒルが道行く人に餌をねだっているのが見られた。イギリスのテームズ川に住む白鳥は英国王室に所属する。そうするとこのアヒルたちはスペイン王室のものかしらとも思われる。

 

 アランフエズ・ロイヤルパレスは18世紀からスペイン王室の宮殿だった。現在では庭園は一般公開され宮殿内は観光ツアーが実施されている。この宮殿並びに広大な庭園もユネスコ世界遺産に組み込まれている。

  

 パレスの広大な前庭にはきれいな3か所の噴水と像がみられる。

 

 

 

 

 宮殿の横から広々とした空き地、たぶんここは過去には乗馬や軍事演習が行われたに違いない。長いアーチの廊下が続いている。この宮殿はイタリア様式バロックスタイルだとのことで宮殿の上にカーロス3世の名が彫られていた。

 

 宮殿のわき道から木々の生い茂る広い庭園に迷い込んだ。あちこちのいろいろな像が立ち並んでいて右上の像は酒の神様バッカスに違いない。

 

 よく手入れされた庭園で、行けども行けども出口が見えてこず、心配性の亭主は元の道へ引き返そうという。

 

 あたりにだんだん人が見えてきてやっと広大な庭園から抜け出すことができた。宮殿の横を流れる川の水底には巨大な魚が群れをなしていて、よくアヒルの足をかじらないものだと思ってしまう。

  

 せき止めた川から斜めに流れ落ちる道路際、えさを求めるアヒルの群れが落ちて来るパンくずを求めて滑り落ちたり2-3羽が争ったり、見ていても見飽きない。夕日に噴水の水しぶきが輝いている。

 

木蓮の実なのかつぼみなのか、英国では見かけない。 川渕では小さな男の子がアヒルに餌をやって追いかけられていた。

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最後のキャンプ旅行ークエンカ(Cuenca)

2016-07-02 21:55:16 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

 

 クエンカはマドリッドから東に100kmくらいの平野(盆地)の中に位置するユネスコの町。新市街はいずこのスペインの町とも変わらず、平野に広がっているが旧市街だけが城砦に囲まれた急峻な崖に作られている。

私がこの町に興味を持ったのは英国人女流作家 ポーラ・ゴスリン の赤の女というミステリー本でストーリーは面白かったしか覚えていないが、主人公がこのクエンカの近代美術館へ行き、犯人に追われて旧市街を逃げ回るもので、一度行ってみたいと読後感想ノートに書いておいた。

この春、NHKの Somewhere Street でクエンカをくまなく見せてくれ、今年のスペインはここが一番の目的地だった。

 

 

 キャンプサイトが見つからないため、前夜は70kmほど離れたKiko Park Campingに泊まり、朝霧の深い道路をクエンカへ向かった。

インターネットでキャンパーの駐車場を調べておいたのが幸いして、旧市街のふもとのキャンパーパークに停車することができ安心して出かけることができた。キャンパーパークに英語の話せる観光案内所があり、地図をくれて、見どころを説明してくれた。

 

 そそり立つ崖の横の急な坂道を上ると頭上に反対のがけからかかっている橋が見えそそり立つ岩の上に建てられた家々や教会は壮観。

 

 橋の反対側に立つ大きな聖パブロ(セント・ポール)は一部が博物館になっていた。

 

 狭い岩の間や建物のトンネルを乗用車や小さな荷物運搬車がぎりぎりに通り抜ける。この長い橋だけが、車禁で観光客が必ず一度は通る橋だ。

 

岩に接続した家屋、下の小さなトンネルは乗用車が通り抜ける。

 

 

 

 入場無料の美術館へ入ってみたが、私の趣味には合わない。上の絵はアントニオ ソウラ(1930-1998)のカクテルパーティ(1960年作)でモダンアートはやっぱりだめ。赤の女の主人公が入ったから私も入ってみただけで、ミーハーな私に恥じ入る。

 

 モダンアートよりこの屋敷の表門の素敵なこと、その近くの大聖堂も内部で美術展覧会をやっていて入場料が8ユーロだったからいりませんと出てきた。

 

 

 大聖堂前のスクエアではカフェーが石畳にテーブル・イスを出してスペイン人が大声でおしゃべりしていた。

クエンカはフランコ独裁政治に対し反政府軍のレジスタントが、この地にトンネルを作って隠れ住んで戦ったことでも有名で、観光案内所で聞くのを忘れて残念。このスペイン内乱はヘミングウエーの誰が為に鐘はなるで知ることができる。

  

 

狭い家屋の間の通りをゆっくり登って町の高台までたどり着いた。聖パブロ教会の巨大な建物が眼下に見える。

 

  

 家屋は狭い土地にぴったりくっついて立っており反対側も奇岩の並ぶ深い谷底になっている。

 

 

昼食はジャガイモの入ったスパニッシュオムレツとサラダにスペインの有名な生ハム、これがやや塩っ辛いがおいしかった。

 

 

 

4時間ほど旧市街で過ごしてキャンパーパークにに戻り、100km先のアランフエズ(Aranjuez)のキャンプサイトへ急いだ。

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最後のキャンプ旅行ーフランスからスペインへ

2016-07-01 16:39:53 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

 

 アヴィニョンで2泊した頃から天気がすぐれず、毎朝深い霧に包まれる。この日も一日中薄暗い天気で太陽は一度も顔を出さず、カマージュの水辺を通り抜けた時も冷たい風が吹いていた。カマージュの一か所でフラミンゴの群れを見かけたが写真を撮る暇がなかった。

スペインへの国境手前の海岸線に10月30日まで開いている素敵なサイトがありそこで2泊してアヴィニョンまでのブログを仕上げた。散歩に出かけても薄暗い天気で、小さな町を歩いてもほとんど人影も見えない。

二日後スペインへ向かった。カーナヴィを新しくセットしたところバルセローナまでの250kmが内陸へ入ってバルセローナまで450kmと表示され、まったく問題にならない。とうとう諦めて地図を頼りに私がナヴィゲートすることになった。

 

 いつもは人がいない町を通り過ぎるに、この辺りはどうしてこんなにたくさんの人がと思っていたらここはスペインとの国境の町だった。ここでは全く問題なく通過し、もう大丈夫だと思ってカーナヴィを付けたところ今度はバルセローナの一番賑やかな通りに入り込み寸刻みの運転。もう頭にきて、バルセローナを出たすぐ後から高速道路に乗ったらば20マイルくらい走っただけで10ユーロ以上も払う羽目になった。

 

 この夜のキャンプサイトをカーナヴィにセットして行ったところが20kmをジグザグの細い登り路で、こんなに怖い思いをしたことがない。

幸い対向車がほとんどなくこんな山中に人が住んでいるのかと思っていたら、割と大きな村にたどり着いた。

 

 キャンプサイトには私たちだけしかいなくて、サイトの受付女性はこの村へ来るのにGPSに頼るとひどい目に会うのよと教えてくれた。この夜トイレやシャワーに入るのに、室内電気は人の動きを感じないとすぐ切れてしまう不便なもので、シャワーで髪を洗っていたら真っ暗になり,一点の明かりもない中で手探りでドアを開け、狂ったように手を振って初めて人がいることを察知して明かりがつく。これを4回も繰り返してまったく不愉快極まりない。もう誰もいないからドアを開けっぱなしで出入りしていた。

  

 翌朝キャンプサイトを出るときに正規の道を教えてもらい、カーナヴィは使わずに下山、途中から霧が深くてのろのろ運転、道端で深い霧の写真を写している人が見え、なんと変わった人とあきれた。

 

 

 山麓近くからキリが晴れてきて昨日よりはましなジグザグ道路を海岸近くの平野にまでたどり着くことができた。

 

 この準高速道路A7はバルセローナからヴァレンシアまでの快適な道路で最高時速120kmも出せる。道端ではいろいろな野菜や果物の栽培がおこなわれていて、ミカンがたわわに実っていた。

 

 

 

 

 ヴァレンシア環状線からマドリッド向けの準高速道路ももちろん無料で暑い太陽の下、ポールは一度も止まらず、キャンプサイトへ直行した。

 

 この準高速道路A3から数キロ別れた元修道院を改築してキャンプサイトにしたKikoPark に着いた。ここは以前にも一回泊まったことがあり、太陽がギラギラの元散歩に出かけた。あたりの谷間に変わった色の地層が見えたからで、写真を撮りながら数キロ歩き回った。

 

 

 

道端の小さな白い花にきれいな実がなっている、名も知らない草。

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最後のキャンプ旅行ーアヴィニョン(Avignon)

2016-06-30 21:44:45 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

 

 キャンプサイト・フレージャスから Aix-en-Provence(読み方が判らない)までの100kmを高速道路で走った。こちらの高速道路は最高速度130㎞だから1時間もかからずAix-en-Provenceに着いた。ところがその料金が17.6ユーロもする。イタリアでも100㎞近く高速道路を走ったが料金は7.4ユーロだったからフランスの高速道路の高さがわかる。でもイタリアの道路の悪さはヨーロッパ一番、ディーゼルの高さもEU 圏内一番。

 

 高速を降りて国道をアヴィニョンへ向かった。アヴィニョンの街には、もう20年ほども前来たことがあるが、こんな立派な城砦があることを一切覚えていない。

 

 カーナヴィの指示で城塞の一辺を正門まで走り、正門から町の中心繁華街までまっすぐに。

 

 繁華街では人出が多く、そこから狭い道をジグザグ走って裏門から出た。本当に冷や汗ものだった。私のカーナヴィのセッティングが悪いのがよくわかり、改めてセッティングのし直しをした。

キャンプサイトはローヌ川に囲まれた島の中州にありサイトの裏側がアヴィニョンに対峙し正面はヴィルヌーヴ・レ・ザヴィニョンに面している。どちらもローヌ川に囲まれているから橋を渡らなければ行けない。

 

 壊れた橋(Pont Saint Benezet)を見たときに思い出したのはあの有名な歌・アヴィニョン橋で踊ろよ。踊ろ。輪になって踊ろ。本当にあの橋だけは覚えていた。この壊れた橋(聖ベネゼ橋)は12世紀に建設され十字軍遠征時に取り壊された。再建後ローヌ川の氾濫で何度も破壊され17世紀から以降は壊れたまま放置されたという。今ではこの町のシンボルみたいでユネスコ指定になっている。

 

 ヨーロッパ最大のゴシック建設の教皇宮殿(Palais des Papes)は14世紀に建設された。サイトについた午後町の見学ついでに宮殿へ来たが明日ゆっくり来ようと宮殿の庭園へ回った。

 

 宮殿付随の教会には入って写真を写しただけでゆっくり見て回ることもなかった。

 

 左上の建物はかっての大司教館で現在はプティ・パレ美術館になっている。庭園の高台から見える景色は素晴らしい。

  

 裏門を入ったばかりの旧市街。キャンプサイトの正面側からアヴィニョン側へ発着しているフェリー、島の裏側もローヌ川が見える。

  

 宮殿近くのアヴィニョン・オペラハウス、この建物のほうがスカラ座よりもずっとすばらしかった。

 

 日曜日の午前中いっぱい大雨が降り続き、やっと収まった午後、宮殿見学に出かけた。

 

 この城塞まがいの宮殿は王侯貴族ならぬ、二人のローマ法王によって作られたものというからもっと驚く。14世紀のベネディクト12世とクレメント6世によって作られ彼らの居城だった。その後何世紀にもよって建て増しされ現在の大きさになっている。

 

 内部の絵画や彫刻などはほとんどが美術館に移されているから見るものは少ない。上の絵2枚は映写されたものを映したもの。

右のエンジェル4人はどこにでもいるおばちゃんみたい。

  

キャンプサイトの正面に見える聖アンドレ要塞(Fort Saint -Andre)は14世紀軍隊建築の典型でフランスの国境を守ったもの。フィリップ・ル・ベル塔は13-14世紀アヴィニョン橋の往来を監視していた。

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最後のキャンプ旅行ーフランスへ

2016-06-29 17:41:41 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

ミラノからフランスへ行くには南下して海岸線を通るか、真っ直ぐ西に向かってアルプス越えをしてフランスへ入るか 、で意見が分かれたが何しろ運転手の意見が一番。山中は寒いから南へというのでカーナヴィをイタリアの海岸線にセットし南下する。

 

 朝から霧が深くすべてがかすんでいる。カメラを出すのも億劫なくらいだったのに、あたりに稲が実っているのや刈り入れたばかりの田を見て写真を写す気になった。ミラノから南に100㎞くらいは海抜何メーターかわからないが台地が広がる。そしてこの台地の平野では陸稲の栽培がなされている。昨年もこのあたりを通った時に稲の穂が実っていた。

 

 霧にかすむイタリアの農家、ここを過ぎると道路は下りになりジグザグ道路が2時間近くも続いた。そしてアクイ温泉(Acqui Terme)のローマの遺跡を目にしたときにこの道は昨年も通った同じ道だと気が付いた。昨年このジグザグ道にほとほと嫌気がさし、もう2度とと思ったのにまた同じ道をと愕然。

 

 山の中の崖に建っているこれらの家はいったい何で生計を立てているのだろうか?やっと海岸線に出てきて巨大なクルーズシップを見たり、道を間違えて行き止まりだったり、狭い通りに入り込んだりで散々、やっとキャンプサイトのある街へ着いたもののカーナヴィが指示した先は鉄道下の小さなトンネル。ポールなど全く頭にきて次の町まで数十キロ先へ行こうかと言う。

神経を減らして6時間も運転していたから、疲れているだろうとやっと鉄道の踏切を探して山側のサイトへたどり着いた。

 

 翌朝はイタリアからフランスへの道、曲がりくねった海岸通りや狭い町中の道を通る。

 

 

 

 

 

 イタリアからフランスにかけてのリビエラと呼ばれる海岸線は、急な陸地が海へ落ち込んだ狭い海岸にホリディホテルやフラット、高級ショップが立ち並び、有名人が滞在するところからますます繁栄したもので、交通は不便極まりない。

 

 道路の真ん中の巨大なオリーヴの模型、よくできているけど大きすぎない?通りの木々は全く南国のそれ。

 

 サンレモの町中ではスクーターの全盛、自転車では危なくて走ることはできないだろう。やっとフランスについてここでは昨年と違って国境検査がないと思ったが、

 

マントン(Menton)の街を通り越して山道を走っているときに警察に止められ、キャンパー内に不法入国者の有無を検査された。

フランスでも海岸線は狭いところが多く、高速道路は海岸線から山側海抜100メーターも上がったところを通っているし、丸2日間ポールは神経をすり減らしてやっとサントロペ近くのキャンプサイトに着いた。

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最後のキャンプ旅行ーミラノ(Milano)

2016-06-28 12:35:17 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

 ミラノのキャンピングプラッツは郊外にあり大した設備はないのに一泊25ユーロもした。ミラノの中心地から50km以内に開いているキャンピングサイトがないのだから仕方がない。ここに2泊してサイトの近くから出ているバスと電車を乗り継いでドゥオモのすぐ近くまで行くことにした。

 

 キャンピングプラッツの周りには何もないがただ一軒だけ園芸店がありこの巨大なオリーヴの苗を売っている。これらの木はほとんど樹齢100年は経っていると思われる。なぜなら今年のオープンガーデンで見かけたオリーブの木が100年は経っていると言われた。ほとんどあの木のサイズと変わらない。

 

あまりお尻に楽な椅子ではないが古い電車で30分ほど、ドゥオモの近くで降りて角を曲がって目にした大聖堂の素晴らしさ。亭主は今までで最高という。でも昔行ったフローレンスも良かったじゃないか?このゴシック建設の見事さは言葉には言い表せない。 

 

 中へ入る前にチケット売り場で長い行列、もうちょっとで買えると言う時に75歳以上はこの窓口でというのを見つけ、地団駄踏んだ。早速ポールに買ってきてもらい、内部へ入ってまずは床のタイルに感嘆。

 

 

 

巨大な石柱の列とカラフルなステンドグラス、ゆっくり一回りして写真を撮りまくった。 

 

 ドゥオモ前の広場の一辺に最も有名なショッピングモールGalleria Vittorio Emanuele IIがある。ここは何度もテレビで見ているからすごく期待していた。

 

 屋根付きの十字型ストリートの屋根も素敵だけれど床のタイルの芸術的なこと、歩くのさえももったいないくらい。

 

 中国人の観光客などタイルの上に座り込んで記念写真を撮っていた。

 

 スカラ広場の4人の若者を足元に立っているのはレオナルド・ダ・ビンチの像。大御所の貫禄十分だけどこんな像になるとあまり魅力がない。彼の作品は大いに興味があるけれど。かの有名なスカラ座にはあまりにがっかりした。もっともっと素晴らしい建築物を想像していたからで、目の前にあっても信じられなかった。

 

 ドゥオモから北西にあたるところにあるスフォーザ城は歩いて10分、この城は14世紀の城塞から15世紀にミラノの侯爵フランチェスコ・スフォーザが再建拡大したもので16,17世紀にはヨーロッパ最大と言われた。今現在では5つの博物館が入っている。

 

 建物を見て歩くだけでも相当な距離、裏庭の凱旋門をみようとゆっくり公園をあるく。あちこちにアフリカ人のグループがたむろしている。彼らは昨今の不法移民らしい。公園内の小屋の前にジーンズが2枚干してあった。

 

 イタリアは郵便料金がまちまちで郵便局を探してストリートをうろうろ、やっと見つけた郵便局で日本までの郵便料金を聞くと誰も知らない。公園内の絵葉書を売っていた店では2.5ユーロだという。みんな適当に言っているのが判るから、わざわざ郵便局まで行ったのに。

昔ポールが弟とヨーロッパを1年かけて回った時、イタリアの銀行での換金にごまかされて、二人で大いに文句を言ったところマネージャーが出てきて又何千リラかを払ってくれたというから、本当に信じられない。

お昼にこの郵便局の近くでピザ(これが素晴らしくおいしかった)を食べていたら雨が降り出し、とうとうあきらめて帰ってきた。たったの半日に2泊のキャンプ料を入れてもミラノは見る価値ありと言わねばならぬ。

 

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最後のキャンプ旅行ーピエンザ(Pienza)

2016-06-27 18:43:00 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

ラポラノ温泉から南に40㎞程タスカニーの高い丘の上の中世の町ピエンザ(Pienza)へ行こうと思ったのは、キャンピングプラッツがあり、そこから町の中心まで200メーターと書いてあったからで、ここがユネスコの町だとは行くまで知らなかった。

 

 

 町へ行けばインターネットカフェに行けると思い、田舎の素晴らしい景色を愛でながら山道に差し掛かった。急に子鹿が飛び出し道を横切って行った。その後にこの鹿に注意の看板を見、見たよ、見たよ、と喜びながら七曲の急坂を登って行った。

 

 

 

 ピエンザの町は15世紀にこの丘で生まれたバチカンのピウス2世がルネッサンスタウンを作ろうとしたのが初めで1457年から4年で完成したものだという。右上のPalazzo Piccolomini はドゥオモの横にありどれもユネスコ指定(1996年)のルネッサンスの建築物。

 

小さいながらドゥオモは大聖堂と呼ばれている。中はたいへんシンプルで,改装中だった。町全体がきれいな石畳の静かな雰囲気で、チーズと靴のお店がそこかしこ。チーズは羊のミルクから作られたもので時代を経たものは周りが緑色のカビでおおわれている。

 

 

 このピエンザは高い丘の上で周囲の景色のすばらしさはユネスコが2004年 World Cultural Landscapes に指定したのがうなずける。この日は全体がかすんでいたため、はっきりした色彩には欠けるが本当に息をのむくらいに素敵な風景だった。

 

 

町の正門とPalazzo Borgia & Jouffroy( 博物館)の内部。

 本当に小さな町で1時間だけ駐車場に2ユーロ払って停め、街を一回りして景色の写真を写し、インターネットカフェーでメールをチェックしただけでこの街を去ることにした。特記すべきは中国人団体がここにも来ていたことだった。

キャンピングプラッツは無くて駐車場にトイレがあるだけだった。

 

 

 

この日は6時間かけて、高速道路を通ってモデナのキャンピングプラッツに着いた。

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最後のキャンプ旅行ーラポラノ温泉へ(Rapolano Terme)

2016-06-26 15:39:01 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

  

イタリアの東海岸は初めてのコースで、大きなお城があったり、海岸線には面白い漁獲設備が点々とある。この原始的な設備はもう今では使われていないそうだが、以前はここでとれた魚がその場で料理されたとのことだった。

 

 たまたま止まった道端のブドウ畑、イタリアはどこでもオリーヴとブドウ(ワイン)が有名。通り過ぎる街中には宣伝や看板が見当たらないが、こんな工業地帯はいやらしいほど、看板でいっぱい。

 

 

 

 日曜日の朝、イタリアではというよりヨーロッパでは自転車競技が盛んで、この辺りではグループのサイクリストがあちこちで見かけられた。道路が狭くてグループで走っていると車が進めなくてイライラする。

 

 東海岸を北上中、左上には高速道路が走り、右側は線路で比較的モダンな電車が高速で通り過ぎた。

アンコーナ(Ancona)の南から内陸へ向かって走る高速道路に乗った。内陸は山また山の連続で、トンネルを20以上も通り抜けた。カーナヴィはこのあたりの変化についていけないらしく、指示もめちゃめちゃ。画面も道のないところを車が走っている。

ペルーギア(Perugia)についたころにはカーナヴィの予定時間より30分以上も短縮されていた。

 

 ところがペルーギアの町中を通り過ぎるときにトンネル工事中で2車線から1車線になりひどい渋滞。ここでせっかく30分も短縮したのに40分以上もノロノロ運転。日曜日にみんなどこへいくのだろう?

 

 東海岸から西のタスカニー地方へ行くとなぜか景色も随分変わって見える。タスカニーは糸杉が有名で、糸杉の並木はどこを見ても絵葉書になりそう。

 

 タスカニー地方には教会を中心に丘の上に作られた村や町が多い。

 

 午後3時にはシエナ(Siena)の南ラポラノ温泉の隣にあるキャンピングプラッツに着いた。ここにはトイレと電気もありキャンプサイトとほとんど変わらない。キャンプサイトと違うのは、キャンパーやキャラバン以外は泊まれない。もちろんテントは張れない。

 

日曜日でもあり、温泉はたくさんのイタリア人で、家族連れや若者のグループも多い。水温が38度から39度ていどで熱い温泉に入っている日本人には物足りない。皆水着で数時間浸かっていても湯のぼせしないところがいいのかもしれない。シエナの近くだから一日家族で楽しんでいるらしい。私たちも2時間温水に浸かっていた。硫黄の臭いが激しい温泉で、いろいろな効用がイタリア語で書かれているからわからない。2時間くらいではどんな病気も治ることはないだろうけど。

 

 

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