青龍神界鏡

次はまた首相してみんかお前。
https://www.youtube.com/watch?v=CsI7GSs4d1s

四十二 さくらんぼ、

1987年12月18日 12時00分44秒 | 投稿


ワンタン、のみ九個。
香港、難波、月人との交流施設であった大型旅館二軒のみ、中京の料理吟味連盟、高級旅館、ねお。
ワンタンのみ料理は、香港の高級なる一品らしかった。
難波の公家がこれを味わう機会に出会い、二市の交流に、難波への月人の・・・云うべからざる、・・・御貢献、御恩典が、御及び頂くべくの御配剤として、月人との交流施設へのご紹介の運びとなった、との事。
音読みでは“ピン イン ユー ィヤー シュー”。


直径二十一糎、ほぼ正円、難波発、ねおの竈の間での呼び名、“そうおうおほほよ”。
難波での呼び名は地域ごとに存在し、例えば“ずぬさあんくぅあすぐ”。
タレはかからずが、常だった。
下層からは、色無しである焼きそばの麺状が、漏れ見える。

具材の候補は現代曰くのお好み焼きのそれと、ほぼ、変わらない。
具材は毎度、変化していた。
タレは、大抵、無し。
長箸付き。

皿はこのように楕円形ながら、縦へ、料理に追加十三糎なる鉄板だった。
月、難波の倉庫、難波の高級料亭、京の外星人向け旅館。
イカの輪切り、甘海老の細切れ、濃い緑なアオサの粉末、ナガイモ、キャベツの千切り、ジャガイモの小さな四角切り、紅イモの斜め切りが、例えば、の具材だった。

そちらから、有り難い事を得ておりますが、得ていない、との口での歌いを、嘘ではない、と捉えせしめる、口以外、全身営為の方が誠実さに近い振る舞いを発揮するものですよね。
こうした長文振る舞いを、難波と上海から常州、湖州圏は、互いに伝え合い続ける。
食材と調理法を、過去の自己より丁寧に、相手へ、ばら撒き合う。
上海から届きし、麺、を既に上海より届いていた調理法で、難波が洗練していく。
完成品については、もはや上海には、譲渡出来ず、を難波は確信する。
その術は、麺、限界までなる洗練、容易視認可能状態、だった。
如何にして、浴びし、許容されし、洗練か。
難波は断ずる。
あちらが、無数のこん棒での組み伏せを、構えていた、相也。
喰らわしめられし洗練を、どう扱うべきか。
難波の、民度の、礎石に資すが相応。
麺は“そうおうおほほよ”を含め、多様な料理の内部、下側へ、用いられゆく。

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