青龍神界鏡

次はまた首相してみんかお前。
https://www.youtube.com/watch?v=CsI7GSs4d1s

速記掲示板 その五百七十七

2022年01月24日 16時31分57秒 | 投稿

大分、日向灘沖地震については、こことの接点、日本語圏に於ける、京への理解速度の優位性が、高速で当然弁済してしまう。
立ち乗り式の原付形象
これを、小雪の画像に変えての性情報開示のスレを期待す。

挿入曲は

1988 光GENJI パラダイス銀河
となってしまう。
原の次は、小雪。
仏の天耳通てんにつう、に聞こえていないと思っているのですか。
そうした欲の先、外界察知力、即座、舐め回し実現段階、衆生の煩悩は原の上に、小雪の画像を被せて萌える、これだけで猛る頭が、容易に実現してしまう事も分からないのですか。
母語圏に降りし仏の説法。
かじかんだままの衆生の言語手足、時に素朴猛禽の先は、観音菩薩経文への模写。
遠き大悟への焦燥と憧れが非弁別との絵の筆先がすがる先はその尊顔。
ある日、日向灘沖に地鳴り在りき。
かまびすしい白帯僧兵共な事ですねー。
紀子のガチ妄は、生んだ親王、福音戦士系アニメの主役たらしめての、皇孫の弥栄いやさか、への願いと、福音戦士系の刺激情報まみれの日々への己の欲を一体化せしめるべくの、純白プラグスーツ装着、瞑目ながらの、ダイナミックエントリーの提唱、実践、一連。
見抜けないとでも思っていたのです。
親王を、日本の神嗣たらしめる、かに見えて、実のところ、たらしめ、との福音戦士系刺激、大量収集との聖母、裏コードスリーナイン、常時詠唱状態、これこそが、紀子によるダイナミックエントリーの提唱の真の目的。
即ち、たらしめ、シン真化、の恒常化。
皇孫の弥栄いやさか、へ付き従うのみながら、福音戦士系刺激へ容易に寄り付くのみの愚物僧兵共が次に移るは原に、小雪の画像をダイナミックエントリーとの禁断の女優上書き実験。
死ぬは、まとも人間の霊。
当然。
これを、他者、無作為誰ぞに、仕向ける、べくの巧妙な仄めかし、は知的に我が自由の筈。
この時、登用すは禁断のエントリープラグ。
明治開国期から日本にまつわりし、外来脅威を今更、全て霧散す、との霊への殺し道具。
欲へ還る、三国人、露助共。
紀子への挿れ具合、言語描写、濃密なる、男性向け性玩具。
表紙はもちろん、純白のプラグスーツに身を包んだ笑顔の紀子、エヴァ系書体、皇孫の弥栄実験、瞑目ながらの、ダイナミックエントリー、三国人が使用して減らしてもこの玩具はすぐ大量製造なの。
商標諸元の近くには、小さい画像で紀子の結婚式衣装。
この、エントリープラグ、仮称、紀子のダミー内部システムを、アジア広域へ既に我が社は頒布せし、とのガチ妄は、如何なる濃密、外界への言語描写を自己にもたらすのでしょうか。
死んでしまう、まとも良識の量は“パラダイス銀河”系の挿入曲を記憶に沿えて霧散すれば良いのです。
いずれ、AKBやらへの応対態度へ良識が吸い込まれていき、欠落は回復していく筈です。
ある日、日向灘沖に地鳴り在りき。
泰然と構えていれば良いのです。
騒がしい衆生共な事ですねー。
そのように、放言していこうとすれば、良いのです。



黄色枠は、巨人の放牧が無かった唯一の領域を示す。
赤丸は、放牧されし巨人の巨大さと凶悪さの相関が、見える、見えずいずれのまま、著しきという、相関探させ領域を指す。
その他の領域については、パプア中央から南方角と、ニュージーランド繋がりの半島の首から南を除き、遍く、巨人が放牧されていた。
とは言うも、ハワイ、沖縄、南沙、インドネシア、グアム、小笠原、紀伊南、当時存命だったあまたの島々、海南島、カンボジアは生存との巨人を迎える事は稀だった。

二百匹、全てが落下時に死ーん。
赤丸は二十米級が平均で、四十米級は稀。
超大型巨人、七十米級は寝たきりでから、投下されてからもまだ寝とったが何とそのまま餓死しとる。
巨人の海洋投下は確率は十二万分の一で、二十匹以下が海面で衝突死もしくは衝撃で失神したまま溺死。
イースター辺りは唯一、知性を持つ巨人が陸上で、宇宙船から追い出されていた領域だった。
青丸。

身長は百九十から二百十五糎で、ゲ星人、下層階級の血が混じっていた。
“社会で見えざるであった人々、文明の織り成しを識別せずのまま、その便益を頓服していたとの量へ自己罰を下さずであった為、このような憂き目に遭ったのだ。
ここで何を為すべきなのだろうか私は。”
悩んでいた。
喰い物はそこら中に生っており、寝る場所はそこらでたむろの同類と同様に、地に素寝すね。
時間は在る。
これが辛かった。
知的叱咤利器の開発に使うべきか、いや無手にての内的叱咤に燃焼すべきか、との問いに答えねばならないが、無辺の食料がその義務感を溶解させてくる。
一方、食料が沸かしめてくる時間は、俺の頭を次の成文へ、ああ、。
叱咤近隣の問いに答えずのままの、別の知的成文の案出は、知的果実を探しながら、今あるそれを喰いまくる、と同義なのだ。
ところで、ムー遍くでは、大地への臨時パワーボム企画が頻発していた。
ゲァフシュハアフゥ星人はそして、実は無限であった企画、養殖状態を一切、眺望せずで在り続けた。
知性を持つ巨人の放牧と、臨時パワーボム企画の平行とはゲァフシュハアフゥ星文明の在り様、これとの一因に全ての推進力が内在していた。
在り様とは、励起機器といった、突然の異常飛翔便益への、野放図邁進知性を許容しゆくに当たり、事実上文明構成人大勢を石紋と化さしめる、励起機器といった、突然異常飛翔便益野放図邁進知性許容当事実上文明構成人大勢石紋化観念、の存在を問わしめない力の濃度、一程度の維持状態が簡易紹介役を担う。
混血種と、ゲァフシュハアフゥ星人のいずれが、純正なる内罰が不足していたのだろうか。
この一文の意味を正確に理解していくのが早いのは、間違い無くゲァフシュハアフゥ星人故に、混血種を方々の星に放牧しゆく上で付随しゆく、内罰の必要性の増加についても、ゲァフシュハアフゥ星人は巨人に一切弁明せずで、良い。
では、ムー各地へ上空で、格納庫の壁が奥から迫って来て、ここで降りろやおまんら、と放り投げられていく巨人とは、内罰を抱くとの人生性癖にあったのか、いや無かったと指摘出来たのか。
こんな問いは、発生せずのまま、進行されていっていた巨人放牧計画付随発生せし、倫理的無意味体技は、そして俯瞰上、ゲァフシュハアフゥ星人の知的印契也、との指摘は、計画の件数により、成立が可能。
一瞬の命を賭けての首投げ、股での後ろ首挟み、肛門を厭がりつつのパイルドライバー、嫌いな奴を選んでしまってのブレーンバスターでの死の同期、五米級が二米級、二匹の胴を捕まえてのダブルパワーボム、裸締め、側面入り身投げ状態、取りの背中から確実に死ぬDDT.
一匹残らずが、衝動していた。
寝る時に使っていたあれ、布団が、欲しい。
ゲァフシュハアフゥ星人については、俯瞰上、こう指摘出来る。
大地を知らない巨大知性人。
大抵、地面には毛髪以外は残らず、巨大な血の花火が描かれての、死ーん。
後は鳥が舐めに来ている。
全裸は、肉塊すら残さず。
内罰無き純正なる流星達は結果的に。
ゲァフシュハアフゥ星人は、以上を読む人間とは異なり、その意味の眩きを何と、知らない。
俺が描写せしは、これら巨人達の魂魄の眩き。

高床式神殿の最奥には、現代の神道の祭祀に鎮座す、榊と鏡の代わりに、思考負荷を視認者に強いるのみが目的であると、問わせず効用をまとう、硬く大きな木の実の殻が絡まっている。
何かを、明かそうとする者がまとわざるを得ない、思考負荷、鎧。
絡まりにまとわりつく太い、濃く緑の葉は、結実を得たいとの愚鈍な欲を具現化中。
実のところ、正確な意味を理解しているのは詠唱中の司祭のみである祝詞の音鳴り、これは神殿に詰める者にとっては、日常から浮きし、今で言う経文に聞こえる。
ここに集うべしと自己に強いし民度は、聞こえへの意味解釈を強いずのまま、しかし遮二無二、無数の人触れざる世界粒子の清流、感得の時へ一人残らずをいざなう。
大推力は司祭が、完全支配出来ずである、祝詞言及対象の尊き、これの発されに仕える、この場の機会、空気、人々の座しを、認めつつ歌う、喉。
これらを意識する人間が統御出来ずなる、精神の揺れは喉と耳との素朴を通じ、必ず、参集者の精神を貫いた。
わだかまりについての、解決案無き自己へ、いきり立つ者が居たとして、参集の後、三日以内に精神の鎮撫を自覚していく。
司祭は神殿で確かに、現代に鳴る神名、コノハナサクヤヒメのお在り様を、周辺にて厳かに舞い歩くとの作法を、言及せしめられていっていた。
司祭は知っていた。
夜空、星々を包む、偏在なる虚空には人が言及にては捉まえざる、畏れ多き、力呼ばれをお望みにはならぬ、流れ、が確かに満ちている事を。
この流れの、一単位を、探すとして、一つぶては必ず、従者をおまといになる。
如何なる術を人が覚えたとしても、人は決してそうしたお在り様を、お止めする事は不可能だ。
そして、断固、科学そして思想性欲を以ってして、利用してはならない。
如何なる歴史を通じたとして、利用の果てとは、秘め、のお在り様を理解せずであった、との罰に、利益確保感覚との腹から、まみれゆくのみだ。
この眺望は、ただ人が、濃く、察する事により得るのが自然であり、口語伝承するのは不穏当だ。
人は、秘めを、利用してはならない。
お怒りを買わずの日々が為に、ただ霊妙に、周囲で舞い揺れ、秘めのお在り様へ、行為と霊を同時に捧げるまで。
時に人はただ、惟神に、クヲノハアナサクヤヒメ。
祝い事への供え物、持ち込み労働、融通会話との、空中での結い結びなら、虚空満つ、見えざる光の中で宇宙開闢以来、未来永劫、奔放振る舞いとの粒子が。
物理粒子学上の察知ごと、光の帯の中での、そこらの亜粒子への、あまりに野放図な高速、配下化をお働きとの子宮筋振る舞い粒子とは、物理学者による言及があれば、当該物理学者とその周囲の傾聴理性者を畏れで、無意味岩盤に追い立てる。
秘めへ言及してはならない、秘めを支配してはならない。
物理学者のみならず、真剣理性者は秘めの周囲では、ただ畏れ、これあるのみ。
しかして、神殿への参集民度者は三日後、ヒメのご神徳を知る。
融通事付随の憤慨への、間抜け諦観ならぬ、霊妙、平静精神にての正座観察との自己を。
この自己は次に、この姿勢により発見可能な、周囲で正座中の、融通事への貢献者への接近話法の考案に勤しんでいく。

クヲノハアナ、は勃興睡蓮への微量の精神緊張ながらの非陶酔観察との観念を、機械が一音ずつ音韻へ変換した結果の連続。
ク、ヲ、ノ、それぞれ全てはこの、非陶酔観察を認め、そして連語六文字もまた、それを認める。
サク、は非養殖でありし、睡蓮と観察者の二者による芸術的感激屏風、励起状態。
ヤ、は尊詠唱音韻。
ヒメ、は秘め、一連の観念、の励起可能性の内在を、先にさっさと他へ言わせ力、表札掲げ状態。
秘め、は異星人機器発案語。
花、は違う。
現代に残る神名イチキシマヒメの原型、イイチキリ、シマヌアナ、ヒメは光の中のある電磁波への科学的言及への、理想的聴講態度が、機械により音韻翻訳され、成立している。
光の中で、ある粒子を大量に生みし、ある電磁波は、不可避の織り成しにより、寂しく、遠方へと追いやられ、減弱しゆく。
この純正なお在り様を、嘲笑してはならない。
霊妙、丁寧な言及に逢われゆく様を、人は拝すべき。
小笠原の高床式神殿での、神名イイチキリシマヌアナヒメの祝詞の詠唱はそして、参集者に出産後の社会的不遇感一切について、堂々なる正視対象に据え置きたがる、高尚人生の額縁の材と捉えさせゆく。

人間が頭脳駆使にての、神名使役思考を許さずには、粒子取り巻く、眷属光との立ち位置を、確実に選びいく他は無い。
その際は神名の詠唱の後の、神名周囲との着席先を自ら見出しいく、作法を要する。
この、見出しとは、霊妙でなければならない。
司祭などが、直接介入してはならない。
神名使役思考とは、つまりは世の外界銘柄、本棚収めとの腕組み悩みの投資顧問、企業への隷従思考を、最短具象す。
これとは世の、荒れあらゆるの根源也。
喝破には長き苦悩を要する。

一神教:宇宙に過去、現在、無辺と存在している。
結果的に、人間の頭部への北極星君臨を、集団で合唱したいとの意欲が増幅されゆくが、他の便益は信者へは、損壊気味にもたらされる。
人間四肢と、人生関節、思春期希望視野は大急ぎでの日本の電気店の開店を求めるのだが、一神教はこれへも対応が遅い。
結果、体が堅い。
現世欲望多種への忌避を実践し続けたいとあらば、集団合唱意欲、頭上飛行が適切。
多神教は雑多性が、それを雑多に謳うとの素性か。
人間はそもそも、深く雑多。
電気店は、アニメ具象の家電製品伽羅が多く欲しい。
人間の頭部とは、人生に於いて、複数、雑多に存在する。
一個への君臨力では足りない。

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