青龍神界鏡

次はまた首相してみんかお前。
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上京堀川うえいあはね北小大門町奥入リ朧月見夜百四十五

1583年05月29日 00時00分00秒 | 投稿


ねおの廊下と、広間の間、認識上困難か失笑誘因領域に、置かれていた菓子。
上海、琉球、薩摩藩との三者が、原材料と調理法を、乱暴に投げやりし合う状態を、琉球に創出してしまった結果、正式なる調理企画者不在との私生児作品が、例えばこれ。
サーターアンダギー、ムー語の辺境語音韻“あんだぐぁああ”、を含む名の菓子が、上海の、商社員ではなく、ただの遊び人を通じ、難波ではなく、京の南、長岡京の宴会施設に漂着する。
大いに受けた。
難波の試食会に登場した後、下京の竈用品卸屋での立ち見がてら菓子として扱われる。
こう断ぜられる。
“出自があまりに、不埒”、“産道を知らずなる哀れな蛭子ヒルコ、との成文が浮かぶ我は短期過去、理性は全く清純”。
故に、乱暴な企画に、登用しても是どころか、これについては立身に向けて知性、大歓喜の相を俯瞰上指摘可能。
“サートゥアーアンダグァーウ”は京各地の料亭、菓子屋、旅館へ投げやられていった。
そしてある時、駄菓子扱いとのカゴの内に、これが収まり、ねおに届く運びとなった。
これは好評さが理由ではなくただ、一提案、これはそちらではいかがでしょうか、の相。
ねおの食材管理部は断じる。
“海をまたぎいくカゴの舟、これは波と捉えられの歴史を一切嘆かず、ただ素朴民謡を教え歌う、幼子と老婆。
彼らは人間がその定義、輪郭の維持に向けて必需である、文明統御履歴への参画意識背筋を、音や光にて照射されしとの利益を、どの港でも無自覚続き。
人間、品格物が世に在りいく事の重みを分かっておらず。
歴史を鑑みると、この菓子の変貌可能性は皆無、かつ調理介入は危険。
道往く人の、雑多衝動の波を受け、破砕する波止場役が相応。”
科学博物館、上層階の大広間、中央の台座に掲げられるは、小学校児童とおぼしきクレヨン筆致の顔と、クルードラゴンに乗船中の宇宙服を映す写真、上空に浮かぶ宇宙船への掲揚光、無数なる黒い異形の人影を戦慄の表情で眺める、昔のアメリカのポスター筆致絵。
“この国の子供は、笑徳に燃やしていくしかない”。
見る者は分かる。
国の在り様を。
食材管理部にとってお、物差しの目盛は上京方々の菓子屋、食材卸屋、食品味見連盟、旅館、料亭、茶店が担っていた。
食材管理部に、不動なる絶対価値を告白していたがそれは、結果的に思考の拠り所だった。
“サートゥアーアンダグァーウ”がねおの食材管理部に届く前、二つの郵送物の在り様と、二つ目とアンダグァーの間の経過時間、二点が導く、アンダグァーのカゴ、京で浴びたる印象は唯一だった。
昔話、桃太郎の出だし、川の上をどんぶらこ、これと京、至極純正判定なる憐みがてらの融通措置、二者の織り成し、囲炉裏の縦、横曰く、囲炉裏のある一点に関する言及意欲の破砕は以下。
昔話、への素朴な寄り付きが無郷愁ながら、いずこかの市、人と物の間、倫理の糸の縛りと緩みの二者を堅く結ぶべくの血盟、義との有縁もまた無作為、適宜発生。
何故、に答えるべく起立す理由や、その候補は無し。
つまり事を図りしは偶然。

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