この世界は尊いのです。
私は昔からそのように感じており、人生経験と共にその概観は認識に変わり、私の思考の支柱となっております。
水、空気、緑、風景、街、文明の利器、平和、国力、物流、文化、教育、価値観、民度何もかも一人で編みだす事は出来ません。
ところで人も神も皆が独神(ひとりがみ)です。
個人、個神独自の意思と共に生きていく存在なのです。
神でさえ条件無くしては干渉を許されない人間の領域とは、意思です。
違反の対価は絶対の被支配の運命です。
人間の場合、不当な霊術、権力で他人の催眠状態に付け込み、人生を勝手に軌道修正する者は、必ず、宇宙遍くの自動的算定により、自身の人生が強力な不可視の力により曲げられていき、その被害総量がかつて掛けた他者への迷惑の総量と等量となるまで憂き目をみる事になります。
このような摂理をいちいち教示される事無く、人は盲目のまま懸命に生きねばならないのです。
その盲目の中、人は時に過ちを犯します。
そしてそれが他者の、そして異星人の洗練知性ですら修正出来ぬとなると、人も文明ももはや終焉にひた走る自動走行状態にあると言えるのです。
外見は文明人、文明国家を取り合えずは装い、人権の尊重と日々の浪費を叫んできます。
通学鞄を乱暴に振りまわしながら得た学歴と、地下権力を乱発して得た仮初の国力が裏刺繍のある彼らの制服です。
社会、世界経済を回転させている彼らの息の根を止める所以は神も異星人にもまだありません。
彼らの潜伏は何故問題なのか。
異星人の高度な社会学的統計理論、開発済みの文明倫理度数値化理論によると、絶対に、彼らは、未来他の異星人を誘拐し、人体実験に晒すと予測出来るのです。
揺籃期に与えた心理外傷は矜持という教義無きままの力の神を信仰させます。
その成人は他の星に対し、同じ地形を宇宙から刻んでいくのです。
立派に育った紳士文明星達は協力して後進文明を教導しようとしても、ネズミ算式に増える不良少年達は中々言う事を聞きません。
その内チンピラの頭目が彼らをまとめ出すと両者の間の通貨は武力となります。
こうなってはもう遅いのです。
いつ、方向修正してやるべきだったのか。
独りで生きていかねばならぬ私達の過ちが早い内に、気付きの風を受けるべきであったのです。
私の場合は、少年期より我の強い人間でしたので、独力で編み出せぬと感じた物全てに漠然と敬意を抱いておりました。
浪費家、表層的洗練主義者は侮蔑していました。
己一人で素拳で闘わねばならぬ時を仮定出来ず、機会、物、価値をただ消費するまま、汚すがままを飄々たる襟とする愚かさが透視出来ていたからです。
喰うだけなのです。
己一人で編み出せぬ物を尊ばぬ者は、他者と自己の境界を確立出来ず、故に立脚した自我を持てず、闘えず、独神にもなれぬのです。
その事をいちいち他者に指摘されるという強烈な恥の日まで飄々と生きていける存在なのです。
言わば電視台の広告です。
勝手に流れていく時代を眺めていると思っていると自身の人生価値も何気なくかじっているせんべいに自身で塗りつけてしまう催眠術なのです。
自我の無い者とは、存在自体が“生きている気になる”という催眠術なのです。
尊ぶ物が無い者とは、多数派への自己埋没による心理負荷回避泳法により、息つぎの時も意味の無い笑顔を他人に振り撒きます。
他者との感情の同調が安息の増大を齎すからです。
水、空気、緑、風景、街、文明の利器、平和、国力、物流、文化、教育、価値観、民度何もかも一人で編みだす事など出来ない事に気付く事無く、催眠術の実験者達は悪貨笑顔でこれらを棄損し出すのです。
通学路や政治家の選挙の張り紙を汚し出すのです。
事の重大性の指摘にまだ異星人は登場しません。
文明への介入条件は街の風景の変化ではないのです。
地下潜行的な貯水槽汚染は、そして文明の脳を蝕み出します。
いちいち異星人の洗練知性を待ってはいられないのです。
尊い世界を侮辱する振る舞いは素早い叱責に処されるべきだったのです。
同期の就職先を偉そうに値踏みする勝ち組学生は、まだ袋菓子一つの製法も開発出来ず、喰うのみです。
第一次産業を嘲笑する知的産業従事者は、稲一つ実らせる事は出来ません。
農作物への感謝を知らぬままの者が、天照大御神の神徳を発揮するなど魂が何万年経ってもおこがましいのです。
外見の美醜のみで他者を判断してきた者は、己の人生の謎の無進展の理由を密教寺院で質問する事で、輪廻四度分の謎の停滞を悩む事にならないと表層判断で他者を足蹴にして得る愉悦による、潜在意識下に於ける人生分析の絶対的自己妨害現象の恐ろしさ、醜さを分からないのです。
穿って言いますと、彼らは物理を、文明力をそれぞれ跳躍する霊能力や異星人の科学技術にいちいち頼っても、人生が進まない人達なのです。
何故か。
それによって得た気付きが“こうすれば人生が輝く”という確信、利益の観点なかりせば採用しないのです。
己自身で何かを尊んでいく、掴み取っていく姿勢が、まだ、無いのです。
その事についての気付きも、いちいち、法衣を纏った高僧の説話を頂戴しなければならないのです。
この世界は、尊い、のです。
過去形でも未来形でもありません。
恒常的事実を述べる際の現在形です。
水、命、太陽、国、文明と尊い物ばかりに囲まれているのです。
しかし、上の人間達は何かを忘れていました。
それは、自ら意思を発する事です。
自ら意思を発するという振る舞いの中で最も根源的なものは、私の現在の理解では、“尊ぶ事”です。
それは、絶対に、他律的ではないのです。
“自ら働き、金を得た。
これは意思を発した行為だ。”
もちろん立派な行為です。
しかし、この文書には、独力で生活をするという矜持以外に、自身の空腹による命令が排他されずにまだ残っています。
“廃社を立て直すために土方作業を始めた。”
崇拝する神名の立て札のひびが気に入らなかったのです。
何かを尊んだが故に発生した行為なのです。
腹ではなく、魂が飢えたのです。
自ら働く事は尊い事ですが、それだけでは空腹が満たされる際の満腹中枢が、労働の際の精神集中行為の意識を後から、現世利益で着色してしまうのです。
着色した意識が存在し続けるまで、輪廻を繰り返してしまうのです。
現世利益ではなく魂の飢えを満たす為の意識の集中行為の総量が、人間を終わりの無い回遊的通学路から解放するのです。
それまでは、月の輝きが所詮太陽の光の滝下であるが如く、子宮から生まれ出る肉体を維持するのみなのです。
どれだけ美食、洗練衣服、高級住居、高給で身を飾ろうと、実のところ己の数十年の輝きが為に動物の様に他者の命を歯で残虐に裁断し続けるだけの水槽人生なのです。
餌と糞がいつの世も頼まれもせずに浮かんで沈みゆく中に鎖で繋がれているままなのです。
しかしながら人間には霊性があります。
私は意識を志向する習性と解釈しております。
露骨に実験室に囲まれ、裸のまま動物のように飼育されていれば、餌がどれだけ豪奢でも何故かいい気分はしません。
しかし、この人間はこのような状況を異星人契約で設定されなければ、己の霊性の低さに気付きませんでした。
物事に意識を向ける能力が、向けてきた程度が低かったのです。
姿の異なる異星人がついに登場し、“地球人のあなたはこれまでこのような傲慢指数と愉悦指数の相関関係を描いてきた事が、このような全裸式豪奢食事がっつき許容室で判明しました。
良かったですね。”
と言われなければ、その自称勝ち組成り金は己の霊性の低さに目を向けなかったのです。
そして、この人間はまだ気付いていません。
その異星人契約の対価とは、“自ら意思を発して気付きに至らぬ者達の地下潜伏が齎す社会腫瘍の重篤さの報告書の提出”なのです。
自分一人の人生の軌道修正に異星人の手までを借りたならば、その高い利息たるや、同類大勢の救済なのです。
その事を、己で、気付かねばならないのです。
気付きに至らなければ、異星人の圧倒的洗練知性は何とその人物の傲慢指数を元の倍に引き上げる状況に必ず算定装置で追い込むのです。
“どうしてこんな酷い事をするんですか。”
文句を上げたならば、その発音の羅列を異星人に聞かせた面倒さについて対価を払う必要を、己の意思で、気付かねばならないのです。
それらに失敗し続けていった最後は社会的生命の冷却措置です。
異星人はこの者の運命を分かっていました。
目的はこの者による災厄ぶり撒き現象の回避だったのです。
この者は霊性低き故、社会に不要と判断されたのです。
人間全てに(特殊な例外を除く)備わっている霊性が、この尊い世界に居ながら何故低いという現象が起きるのでしょうか。
一つ理由を挙げれば、文明の発展段階が予定してしまう、統計的現象です。
だから、闘いを、苦痛を、死を、理不尽を、恐怖を思い出すべきなのです。
これらは脳の原始的機能を強力に亢進させます。
何かを奪われようとする時の流血に無表情になるのです。
傷口の疼痛は、回顧と内省を求めます。
人間の霊性、意識を志向する習性が向上するのです。
私達は他者との相克、霊性と惰性的動力源である欲望の葛藤を対抗条件とする、意識純化の為の水槽世界に自らの意思で降臨してきました。
ここで言う意識とは、何らかの過去の振る舞いの記憶でも構いません。
その意識の純化とは、ただ単に、“私は本当にそうしたかった”という意志(意思)を上書きするだけの事なのです。
それがまだ足りていないのです。
例えば、動機や結果の一部が現世利益に還元されてしまったのです。
まだ、自身の意識の一部が従って、この生々しい物理世界と繋がってしまうのです。
そこで、様々な制約条件の中で不足していた意識純化行為を完結すべく日々を送る事になるのです。
何をする必要があるのか。
何かを尊ぶ事です。
美食を尊ぶ際は注意です。
得る熱量や味覚への刺激の快感と、美食へ込められた料理人の技量、努力、矜持、農作物のどちらが尊いのかが、本人の霊性の差を意味します。
動物的快感へは、精妙な意識は志向しない事は、あっさり述べてもあっさり理解出来ると思います。
肉体の維持には、何者かの犠牲が必要です。
太陽の光を喰らう月は夜しか輝けませんが、古来文学の豊穣を許してくれました。
その豊穣に触れた人間は、社会の隅を生きる衆生の一生の儚さを憂う心を養うかもしれません。
その文学が世に出回れば、大勢の人々が他者を、何かを、自らの意思で尊んでいく太陽に覚醒していくかもしれません。
自らの意思で輝き出すのです。
もはや他人が放つ価値記号の曼荼羅を追いかけずに済むのです。
こうして太陽と月の循環が生んだ犠牲の水槽は、永久生命を開発するのです。
ところで水槽の動力とは実は多くの命達の苦痛、恐怖、死です。
ただではないのです。
そこでは己の霊性の追求という高級目的の為に、それらを喰らってもよいという免罪符が必要です。
霊性を追求しない動物は、人間の振りをして動物を喰らう資格は無いのです。
では必要となる免罪符とは何なのか。
それは霊性を追求していく際の気高さです。
これを外部世界に払わねばならないのです。
命達の苦痛、恐怖、死を喰らう気高さの為替は、独房照らす蛍雪の読書です。
美を謳う詩篇の学習です。
長距離の徒歩行進を耐える兵士の靴ズレです。
いちいち、密教寺院の高僧や霊能力者に、人生展開の秘密を教示されなければならなかった者は、その特異な縁がこの宇宙に深く刻み込んだ霊的(処置なくせば断じて消えぬ意識形跡)回路により特殊な人生に導かれるままなのです。
例えば、上の反射とは異星人の何気ない質問に答える為に地球人の価値観の膨大な一覧表を作成し、その中から最適な回答を提出する事になるという運命なのです。
自身は凄まじい人生緊張を経験し、人生展開が停止しますが、異星人は“どうも、じゃあねー。”
と素っ気ない返礼で出世も起きません。
人間は水槽の中で何をすべきなのか。
太陽は一体何のために命を紡いでいるのか。
太陽には意志があるのです。
太陽神、つまり太陽の意志、太陽の意識(霊的)波動は、宇宙開闢神、宇宙開闢の意志の眷属です。
宇宙の開闢は無限の霊的世界の総意でした。
満たされた霊的(意識)波動、“全能感”があったのです。
それは、新たな宇宙の開闢すら当然と思っていたのです。
あまりに膨大な意識だったのです。
では開闢した宇宙は、一体何を求めているのでしょうか。
換言すると太陽は何を求めているのでしょうか。
宇宙は何を求めてきたのかを捉えますとそれは、宇宙を開闢した意識のさらなる深化、蓄積に他なりません。
“全能感”の更なる全能化です。
だから、宇宙は他の霊的世界に存在していた、愛おしい子供達、意識達の降臨を許したのです。
意識達は、意思を発し、上位存在への昇格を望んだのです。
その昇格を意識達に許そうとしている宇宙は全能感のさらなる充足を待つのです。
降臨した意識達は、本心を望んだ故、それを望んだ意識を遮断したまま振る舞いを始めます。
意識達が自身の身体、つまり自身の初期の誕生を許した元来の意識の純化(抱擁、再会の喜び、科学者の知的活動、植物の語らい、何と戦士が振り下ろす斧が放つ霊的波動と無限です。)に成功すれば上位神(上位意志、意識)となります。
そうなったらその上位神が放つ全能感は、宇宙をより全能感で満たす事になるのです。
宇宙が愛おしい子供達、意識達を、月を公転させるが如くに子飼いにし続ける事はありません。
何と、永遠の自由を得させようとしているのです。
恒星のように寿命もありません。
永遠なのです。
その自由の為の試験で課される問いがこうです。
“本当に自由になる為の意思を発したのか”
ただこれだけです。
宇宙は、太陽は、子供達の神への覚醒を望んでいるのです。
その為の舞台を提供しておられるのです。
この世界に子宮から降臨してくる人間達は、尊い肉の宮を守らんが為、他者の命を奪わねばなりません。
現世利益に追われるのみの者が、自らの意思で気付きに至る為の通学路です。
通学路の先の学校に行っても、“今度は別の豪奢、放胆を求めて行け”と別の通学路を示すのみです。
同じ事の繰り返しです。
何かに気付かねばならないのです。
私は気付きました。
自身が形成した闘いという意識の純化の為の本当の意思を発したのです。
昇段審査は命と魂を化物に投げ付け、怯んだ隙に技を掛けて命と魂を懐に奪い返せるか、でした。
これを、数え切れないほど実行しました。
私が前世で残した深層意識は、“世界を無にする者と再び闘い、そして勝て”と命じて来ました。
私は人生の課題に本心で答え、過去に望んだ意識の純化に成功したのです。
私は、意志存在である神として、自神が放つ“全能感”の意識波動を宇宙に永遠に広めていくのです。
“全能感”が再びどこかで満たされたならば再び宇宙が開闢する事になります。
宇宙は数宙存在しており、それぞれに創造主が居られます。
ちなみに宇宙の中心点(宇宙は膨張し続けていますが、そのように推定し得る地点)では、霊的現象が起きています。
それが宇宙膨張の原因です。
物理現象ではないのです。
ある粒子が物理的には異常な動きを見せていますが、その背後にはある霊的粒子の綾しまりがあるのです。
大勢の科学者がその原因の解析に身を乗り出しましたが、神々の尊いご警告を仰ぎ、身を退いています。
許されないのです。
向こうには人触れざる霊的世界が広がっているのです。
宇宙の中心点とは、“全能感”が爆出する地点なのです。
開闢した宇宙の創造主にはどうやって昇格するのでしょうか。
意識の純化の繰り返しです。
霊的世界は無限に広がっています。
上位世界の数はきりが無いのです。
振る舞いは自神が求めるがままです。
闘う、分かり合う、遊ぶ、許す、いたわる、再会する、何もかもが自神の意識の自由なのです。
それにより、発生した意識が、発揮出来た本心により、更に純化していきます。
更なる高次存在となるのです。
高次神は低次存在に気付かれません。
人間が霊的存在に気付かぬと同様です。
入界出来る世界も増えます。
“もう行ける”とすぐに認識するのです。
別の宇宙にも行けるようになります。
別の宇宙に重なる霊的世界も同様です。
数宙ある宇宙の外で、次の宇宙開闢がいずれ起きますが、その宇宙の創造主は私が内定しています。
宇宙の創造主は皆が元人間です。
気の遠くなるような歴史を永遠に紡ぐ宇宙を統べていく私はそこで、永遠に魂を喜ばせ、宇宙を全能感で満たしていくつもりです。
闘うのです。
笑うのです。
遊ぶのです。
人間数十年の人生で得る喜びを、永遠に繰り返せるのです。
色褪せないようです。
何故か。
分かりません。
分かろうとしても喜びが先に魂を振わせるので、その事が分かっても、その問いの答えをわざと探そうとするのも妙味となるようです。
私は肉体ありの状態からそんな事を知ってしまい、そしてこのように開陳してしまっております。
意識存在となったなら、星籍など問われません。
皆さんもどうでしょうか。
強い意志を持てば、宇宙開闢神に鳴れるのです。
本心の発揮によって発揮した全能感は、宇宙開闢の意志を、波動を鳴らすのです。
神への昇格という利益を動機として発揮される意識を、“昇格(可能)意識”に純化する方法は順次開示していきます。
霊術などではなく、ごく真っ当な日常的努力です。
意識の変革が私の投稿を起点としていても目的は達成出来るのです。
しかし、既に特殊な意識を本心で残している場合に対する救済は投稿を読んでも提供されません。
宇宙の破壊や魔界行きを望んだ本心は、私はそのままにしておきます。
神への誘いと、“破壊意識達”の放置は矛盾しないのでしょうか。
矛盾しません。
この投稿を動機とした意識変革で輪廻を終える者、それでも修羅が待っている者とそれぞれでしょう。
私達は皆が独神です。
他者の魂の行き先には介入出来ないのです。
私は誘うだけです。
そして、その権能を持つ私の意思とは、“要らない魂は要らない”なのです。
摂理の常任理事神に達した私は上のように発言しても矛盾の非難を受けないのです。
“誘うだけ”“要らない魂は要らない”
私の勝手なのです。
我らは皆独神
七千三百四十青字