スノーマン見聞録

ジャンルも内容も気の向くまま~“素浪人”スノーマンの見聞録

イスラミック ワイン

2015年12月06日 | 雑感
当ブログ イスラミック・ナイト での質疑応答では、その夜は ≪ハラルフード≫ がメインテーマでしたので
実はスノーマンが 「イスラムでの禁酒について」 の質問を一つさせていただいたのです。


その時の質疑応答の内容はこうでした。

スノーマン  『 第4章と第83章とを例にあげ、コーランでの酒を飲む慣習があるとの記載を提示し、
       これほどに旨い酒を厳禁するまでもないのでは?』  

                                  とばかな質問をしてみました。
    第4 章 メッカ啓示 19節 < 頭痛がしない うま酒が 天国のよさを 示すもの >    
    第83章 メッカ啓示 25節 < 彼らは 封印を施した 酒を そそいでもらう >  とある。


なにせ通訳つきの質疑応答。 返答する側も右往左往、コーランのページを探し始め、こう答えた。

返答  『 確かにムハンマドの時代、コーランの初期には酒を飲む慣習はありました。しかし徐々に
     5段階を経て、時を経てハルム(ぶどう酒)は禁酒との結論に至ったのです。
     第5章にも書かれているし、スンナ(ムハンマド言行録・慣行・範例)にも書かれている。』 

                                  とコーランでの酒を飲んでいた事を認めた。 

コーランは神の啓示じゃなかったのですか、とも訊ねてみたかったがやめた。 でも納得いかず、

スノーマン  『 じゃ、コーランの記載には優先順位があるのですか?』 大人げなく突っ込んだ。

返答  『 コーランは23年間にわたって書かれたものですから 』

確かにそうなのです。 当ブログコーラン パートⅠにも記載した通り、コーランは教義学問上は整理されているよう
だが、全体的に前後が交錯しており、非常にその編纂の方法も章の長さなどにより配列されている為、
啓示が下った時期が無視されていて(メッカ啓示・メディナ啓示が前後入り組む)非常に解りづらいのです。

コーランの第4章メディナ啓示43節にこうある。 『 酒に酔って礼拝参加してはならない 』 とある。

私見ですが、多分当時どこの国でも同様に飲んだくれが多く、泥酔し礼拝していた人などを諌めるため
禁酒に至ったのが派生したのではと推察する。


≪ 私見としての結論 ≫

 第一、 酒は適度に飲むべし、これで終わり。

 第二、 世間はそれぞれの宗教を尊重すべしというが、それは大切かも知れない。
      しかしそれ以前の問題だと思う。 宗教とは考えることを途中でストップさせることなのか。
      集団になると更にだ。 哲学者・池田晶子女史は ≪ 集団とは考えない人の別名である ≫
      ≪ 信じるとは、自在に考える自由を放棄している。正確には信教の不自由というべきだ≫ 
       と語っていた。 私もこれには同感する。


聖書もコーランも信者には神の言葉だが、数十年間もの間で数多くの人々が編纂したのは事実。
その根源的なものの見方を正さない限りは、世の争いは絶対に無くならない そう思う。

争いの原因は貧困にあるとか言われるが、そのことを悪用している為(偽)政者のひと握り。
それは極端なエゴとしての解釈だ。 騙されるなかれ。 崇高な人々の念・祈りを汚すなかれ。 

宗教について大して知らない私が、ちょっと言い過ぎだったかも知れません。 お許し下さい。 
年内これだけはブログに書いておきたかった。 そろそろ事情があって ≪冬ごもり≫ です。



    






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