当ブログ(女性哲学者・池田晶子)
ある番組でコメンテーター(森永卓郎氏)がこう質問した。 『 死を考えると怖くなる なりませんか? 』
池田氏こう答えた。 『 それは考えが足りないから 』
その後 そんな池田晶子氏 46歳の若さでガンで他界したのが2007年。 すでに8年が経つ。
随分失礼なもの言いをする人だなぁなんて思ったものですが、私も ≪ 死 ≫ を考えると怖くなる方でもあり、
もう少し彼女の著書を読みこんでみたいと思い、≪ 在るけど無いあたま≫ を使って奮闘してみた。
当ブログで紹介した哲学ファンタジー『ソフィーの世界』なども真っ赤なウソモノと一刀両断。
あの知の巨人といわれる立花 隆氏や著書『死の壁』でも有名な養老 孟司氏への論評もしかりである。
著書は どれも歯切れがよく 面白い。
『 無敵のソクラテス 』での ソクラテスとイエス・キリストとの対話。
≪ソクラテス≫
『 だから宗教は詐欺だって僕は云うんだよ。教団や運動になった宗教なんて、大ウソもいいところさ 』
≪イエス・キリスト≫
『 さしずめ私は、詐欺集団のボスってとこか ・・・・・ 』
この『無敵のソクラテス』は同著書<帰ってきたソクラテス>・<さようならソクラテス>・<悪妻に訊け>を再編した
ものであり、ソクラテスの悪妻と言われたクサンティッペや釈迦なども登場するという対話形式をとっている。
やはり女は強かった。 是非一読をお勧めする。 他に 『 ロゴスに訊け 』 は成るほどと頷ける名著だ。
ふつう哲学って難解なものが多い中、解り易く書かれており 面白く読める。
≪14歳からの哲学≫などは27万部のベストセラーとなり、中学生向け教科副本としても使用されているようです。
冒頭の ≪それは考えが足りないから≫ についても、著者が繰り返し書物の中で言っていることでもあり、
【悩むことと考えることの違い】や【生死について】などへの論考を読み、少しはあぁそういうことなのか、
と思える事も。
≪ 苦しむよりも 苦しみとは何かと考え 死を恐れるよりも 死とは何かと考える。考えて納得できると、
苦しみも消えることが多い。 そのためにわれわれには考えるという機能があるのだと思う。≫
『考える日々 全編』より抜粋
かつては、<生きても死んでも大差ない>と書いていたこともあったが、腎臓ガンの手術を受けたあと、
知人への手紙にはこんなふうに書いてあったという。
『 やはり、生きようとする意志を積極的に肯定することが大切なのだと思う。
私は今まで生に対する執着がないから仏になれると思っていた。けれども、生きることを全うしない
と成仏しないのかもしれない、それに気づいてから前向きに病気と闘おうという気持ちになりました。』
成仏とは らしくないとは感じたが、これはこれでいい。
池田氏は、遺稿となったコラムの最後に、自分自身を
<一生涯存在の謎を追い求め、表現しようともがいた物書きである> と評していた。
やはり 人は どうあがいても この世から消える。 いや この世もあの世も ないのかも。
著者のいう通り ≪ 今を 腹を括って生きるしかない ≫ のだ。 あらためてそう思った。
ある番組でコメンテーター(森永卓郎氏)がこう質問した。 『 死を考えると怖くなる なりませんか? 』
池田氏こう答えた。 『 それは考えが足りないから 』
その後 そんな池田晶子氏 46歳の若さでガンで他界したのが2007年。 すでに8年が経つ。
随分失礼なもの言いをする人だなぁなんて思ったものですが、私も ≪ 死 ≫ を考えると怖くなる方でもあり、
もう少し彼女の著書を読みこんでみたいと思い、≪ 在るけど無いあたま≫ を使って奮闘してみた。
当ブログで紹介した哲学ファンタジー『ソフィーの世界』なども真っ赤なウソモノと一刀両断。
あの知の巨人といわれる立花 隆氏や著書『死の壁』でも有名な養老 孟司氏への論評もしかりである。
著書は どれも歯切れがよく 面白い。
『 無敵のソクラテス 』での ソクラテスとイエス・キリストとの対話。
≪ソクラテス≫
『 だから宗教は詐欺だって僕は云うんだよ。教団や運動になった宗教なんて、大ウソもいいところさ 』
≪イエス・キリスト≫
『 さしずめ私は、詐欺集団のボスってとこか ・・・・・ 』
この『無敵のソクラテス』は同著書<帰ってきたソクラテス>・<さようならソクラテス>・<悪妻に訊け>を再編した
ものであり、ソクラテスの悪妻と言われたクサンティッペや釈迦なども登場するという対話形式をとっている。
やはり女は強かった。 是非一読をお勧めする。 他に 『 ロゴスに訊け 』 は成るほどと頷ける名著だ。
ふつう哲学って難解なものが多い中、解り易く書かれており 面白く読める。
≪14歳からの哲学≫などは27万部のベストセラーとなり、中学生向け教科副本としても使用されているようです。
冒頭の ≪それは考えが足りないから≫ についても、著者が繰り返し書物の中で言っていることでもあり、
【悩むことと考えることの違い】や【生死について】などへの論考を読み、少しはあぁそういうことなのか、
と思える事も。
≪ 苦しむよりも 苦しみとは何かと考え 死を恐れるよりも 死とは何かと考える。考えて納得できると、
苦しみも消えることが多い。 そのためにわれわれには考えるという機能があるのだと思う。≫
『考える日々 全編』より抜粋
かつては、<生きても死んでも大差ない>と書いていたこともあったが、腎臓ガンの手術を受けたあと、
知人への手紙にはこんなふうに書いてあったという。
『 やはり、生きようとする意志を積極的に肯定することが大切なのだと思う。
私は今まで生に対する執着がないから仏になれると思っていた。けれども、生きることを全うしない
と成仏しないのかもしれない、それに気づいてから前向きに病気と闘おうという気持ちになりました。』
成仏とは らしくないとは感じたが、これはこれでいい。
池田氏は、遺稿となったコラムの最後に、自分自身を
<一生涯存在の謎を追い求め、表現しようともがいた物書きである> と評していた。
やはり 人は どうあがいても この世から消える。 いや この世もあの世も ないのかも。
著者のいう通り ≪ 今を 腹を括って生きるしかない ≫ のだ。 あらためてそう思った。
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