日本の歴史は、明治維新より飛鳥、奈良、平安時代が面白い。
当ブログ(2013/1付・日本文化不思議考1)で正月の起源など、日本の文化の源は、”古代ユダヤ教文化と繋がりが非常に深いと”の論点で紹介したことがあります。
せっかくだから、もうちょっと掘り下げてみたいと思います。
世界最古の文明はメソポタミア?シュメール?、、もっと古いのがあるかも、、日本もしかり。
文明の波は、シルクロードを経て北方・南方ルートで日本に入るのですが、併せて渡来人も波状的に押し寄せてきます。
663年白村江の戦いを前後した頃に唐・新羅・高句麗・百済等民族等、日本を交えた混乱期に多くの亡命貴族や民衆が渡来のピークを迎える。
京都の太秦(うずまさ)に秦氏の神社といわれる木島神社(蚕の社とも呼ばれる)があり、その三柱の鳥居の由来板には、、、。
『ここは景教が渡来し、秦氏と関連のあったことの名残りをとどめる遺跡として伝えられる』 とある。
このように日本各地にはユダヤ系神社が数多く存在します。
北九州の宇佐八幡宮・紀伊の伊勢神宮・熊野神社・愛知の熱田神宮・京都の八坂神社等など有名な神社しかり、、、。
この秦氏(はたうじ)一族とは一体何者?
○秦の始皇帝をルーツとされるユダヤ系東洋人。
○養蚕の機織技術に優れた技術集団。(ハタ織物、、、ご存知かと)
○後の藤原氏、天皇に多大な影響を及ぼす渡来人。
○日本神道・神仏習合・弥勒信仰・七福神信仰の基礎を。
○山岳信仰の粗~タタラ鉄・金・銅・スズ等鉱物を求めた集団。
○東大寺大仏造営へ絶大な財的・技術支援。
○道教から陰陽道を興した。
○能楽の始祖。
、、、等など日本文化に多大な影響を与えたとされる。
あの司馬遼太郎・梅原猛氏も『秦氏はユダヤの末裔』と論じているくらいです。
秦氏といえば聖徳太子の側近・秦河勝(ハタノカワカツ)が最も有名ですね。
広隆寺も秦河勝が太子から譲り受けた弥勒菩薩を祀るために建てた寺・太秦寺とも呼ばれ、京都太秦・木島神社のすぐそばにあります)
太秦(うずまさ)とは、中国の言葉で景教の発祥地・ローマ帝国領シリアを指すという。
ちなみにこの秦氏一族、、関連する名字に次のような名がある。
秦・羽田・松尾・松本・中村・石川・林・三上、、、などがあると言われ、秦氏には自らを秦の始皇帝の末裔とする系図も残っているという。
この名字は、北九州・瀬戸内・近畿・東海・南関東に多いとされ、これらの地域はあの徐福伝説が残る地域と重なっているに注目したい。
(徐福伝説は当ブログ『2011/10付・不老不死の妙薬』に)
こうして秦氏一族をを始め西文氏・東漢氏等渡来人(知識技術集団)が朝廷で重用され、重要な位置を占めるようになり日本文化の基礎を築いたと言われます。
○浄土宗・法然も秦氏一族渡来人。
○天台宗・最澄も近江国の渡来人豪族。
○真言宗・空海も渡来系地方豪族。(讃岐豪族佐伯氏の出身)
○桓武天皇母方も百済系渡来人。
○天武天皇も新羅系渡来人。
天皇の血脈までも、、、渡来系?
蘇我氏の始祖は蘇我石川宿禰(ソガノイシカワノスクネ)。その子が満智、韓子、高麗、稲目、馬子、蝦夷、入鹿、、と続く。
蘇我氏は秦氏の血脈、、、藤原氏は蘇我氏の血脈。
そして蘇我氏・藤原氏互いに融合・離反を繰り返し、あの壬申の乱に繋がり天皇及び藤原氏の律令国家が形成されていくのです。
(図をご覧下さい)
ユダヤの本拠地・イスラエルの紋章は、六芒星です。
上図~イスラエルの紋章
右図~京都市・滋賀県八日市市・滋賀県彦根市・兵庫県西宮市
左図~京都府・滋賀県近江八幡市・滋賀県大津市・京都府福知山市
イスラエルの紋章と極似している”六芒星を紋章”としている府及び市が多くあるのです。
これら府や市は、景教徒ユダヤ・ペルシャ・中国秦氏一族との関わりが見られる地域であるという。
日本文化の源とはなんなのでしょうか。
ユダヤ12支族~日本においても12という数字を用いたものが神道系に多くあります。
12祖神・12社神社・12単(ひとえ)・皇居御門の数も12あり、、等など。
ユダヤ古典によると、太陽を象った天日章の光のすじは12と16の二種あり。イスラエル神は12・全世界に関わるは16を用いるという。
日本の皇室の菊花紋章はその数16弁。
エジプトも16の菊花紋章。
近年ペルシャ(スサ)において石柱上部に彫刻された16弁の菊花紋章が発掘されたという。
となり同士で争っている場合じゃないですよね。
長い長~い人類のシルクロードに、、、乾杯!
当ブログ(2013/1付・日本文化不思議考1)で正月の起源など、日本の文化の源は、”古代ユダヤ教文化と繋がりが非常に深いと”の論点で紹介したことがあります。
せっかくだから、もうちょっと掘り下げてみたいと思います。
世界最古の文明はメソポタミア?シュメール?、、もっと古いのがあるかも、、日本もしかり。
文明の波は、シルクロードを経て北方・南方ルートで日本に入るのですが、併せて渡来人も波状的に押し寄せてきます。
663年白村江の戦いを前後した頃に唐・新羅・高句麗・百済等民族等、日本を交えた混乱期に多くの亡命貴族や民衆が渡来のピークを迎える。
京都の太秦(うずまさ)に秦氏の神社といわれる木島神社(蚕の社とも呼ばれる)があり、その三柱の鳥居の由来板には、、、。
『ここは景教が渡来し、秦氏と関連のあったことの名残りをとどめる遺跡として伝えられる』 とある。
このように日本各地にはユダヤ系神社が数多く存在します。
北九州の宇佐八幡宮・紀伊の伊勢神宮・熊野神社・愛知の熱田神宮・京都の八坂神社等など有名な神社しかり、、、。
この秦氏(はたうじ)一族とは一体何者?
○秦の始皇帝をルーツとされるユダヤ系東洋人。
○養蚕の機織技術に優れた技術集団。(ハタ織物、、、ご存知かと)
○後の藤原氏、天皇に多大な影響を及ぼす渡来人。
○日本神道・神仏習合・弥勒信仰・七福神信仰の基礎を。
○山岳信仰の粗~タタラ鉄・金・銅・スズ等鉱物を求めた集団。
○東大寺大仏造営へ絶大な財的・技術支援。
○道教から陰陽道を興した。
○能楽の始祖。
、、、等など日本文化に多大な影響を与えたとされる。
あの司馬遼太郎・梅原猛氏も『秦氏はユダヤの末裔』と論じているくらいです。
秦氏といえば聖徳太子の側近・秦河勝(ハタノカワカツ)が最も有名ですね。
広隆寺も秦河勝が太子から譲り受けた弥勒菩薩を祀るために建てた寺・太秦寺とも呼ばれ、京都太秦・木島神社のすぐそばにあります)
太秦(うずまさ)とは、中国の言葉で景教の発祥地・ローマ帝国領シリアを指すという。
ちなみにこの秦氏一族、、関連する名字に次のような名がある。
秦・羽田・松尾・松本・中村・石川・林・三上、、、などがあると言われ、秦氏には自らを秦の始皇帝の末裔とする系図も残っているという。
この名字は、北九州・瀬戸内・近畿・東海・南関東に多いとされ、これらの地域はあの徐福伝説が残る地域と重なっているに注目したい。
(徐福伝説は当ブログ『2011/10付・不老不死の妙薬』に)
こうして秦氏一族をを始め西文氏・東漢氏等渡来人(知識技術集団)が朝廷で重用され、重要な位置を占めるようになり日本文化の基礎を築いたと言われます。
○浄土宗・法然も秦氏一族渡来人。
○天台宗・最澄も近江国の渡来人豪族。
○真言宗・空海も渡来系地方豪族。(讃岐豪族佐伯氏の出身)
○桓武天皇母方も百済系渡来人。
○天武天皇も新羅系渡来人。
天皇の血脈までも、、、渡来系?
蘇我氏の始祖は蘇我石川宿禰(ソガノイシカワノスクネ)。その子が満智、韓子、高麗、稲目、馬子、蝦夷、入鹿、、と続く。
蘇我氏は秦氏の血脈、、、藤原氏は蘇我氏の血脈。
そして蘇我氏・藤原氏互いに融合・離反を繰り返し、あの壬申の乱に繋がり天皇及び藤原氏の律令国家が形成されていくのです。
(図をご覧下さい)
ユダヤの本拠地・イスラエルの紋章は、六芒星です。
上図~イスラエルの紋章
右図~京都市・滋賀県八日市市・滋賀県彦根市・兵庫県西宮市
左図~京都府・滋賀県近江八幡市・滋賀県大津市・京都府福知山市
イスラエルの紋章と極似している”六芒星を紋章”としている府及び市が多くあるのです。
これら府や市は、景教徒ユダヤ・ペルシャ・中国秦氏一族との関わりが見られる地域であるという。
日本文化の源とはなんなのでしょうか。
ユダヤ12支族~日本においても12という数字を用いたものが神道系に多くあります。
12祖神・12社神社・12単(ひとえ)・皇居御門の数も12あり、、等など。
ユダヤ古典によると、太陽を象った天日章の光のすじは12と16の二種あり。イスラエル神は12・全世界に関わるは16を用いるという。
日本の皇室の菊花紋章はその数16弁。
エジプトも16の菊花紋章。
近年ペルシャ(スサ)において石柱上部に彫刻された16弁の菊花紋章が発掘されたという。
となり同士で争っている場合じゃないですよね。
長い長~い人類のシルクロードに、、、乾杯!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます