スノーマン見聞録

ジャンルも内容も気の向くまま~“素浪人”スノーマンの見聞録

コーラン パートⅡ(ムハンマドの時代背景)

2015年01月11日 | 雑感
メディナに移住した預言者・ムハンマドは、この地にイスラム教徒の教団国家建設を計画すべく
メッカの隊商を襲撃し戦利品を獲得するなどして、徐々に経済基盤を強めていく。


同時に同じ一神教であるユダヤ教やキリスト教なら自分を預言者として認めてくれるだろうと、特にユダヤ教に対し
友好的な態度を示し経済援助も期待した。が逆に拒まれ、偽預言者と呼ばわりされ対立していくことになる。


(この時、礼拝の方向をエルサレムと決めたり、ユダヤ教徒が行っていた断食制度を取り入れたり、礼拝の仕方まで
 採用するなど、、現在のイスラムの形に繋がるのは、この時代のユダヤ教への友好な態度の名残りともいえる)


その後ムハンマドは、624年のパドルの戦いや625年ウフドの戦いなどでメッカのクライシュ族の大軍に勝利するなどを経て
自信を深め、ユダヤ教徒との対決をも決意する。メディナでのユダヤ教徒の追放も果たし、ついにはメッカをも征服し
(無血征服とも言われるが)イスラムの教えを拡めていった。

これらの出来事は千数百年前のこと、しかもムハンマドの生きた数十年を簡単にまとめるなど所詮は無理。
ではあるが<戦いの時代>であったことは、まぎれもない事実のようだ。


以前当ブログでも、いかに世界は途切れなく愚かなる戦争を繰り返されてきたかということを
<過去1000年間戦争勃発地域をビジュアル>で紹介したことがありますが、それ以前も同様だったのですね。
過去1000年の戦争ビジュアル(クリック)

イスラム教徒は異教徒との戦いを、いわゆる聖戦・≪ジハード≫と称している。これも戦いの時代の名残りとして哀しいかな 現代でも消えていない、、、否 益々。 

メディナ初期くらいまでは、このジハードは重要な義務でもあったのですが、ウマイア王朝が成立すると共に
(メディナ後期)武力による征服も落ち着き、その必要性も薄れていったという。


その証拠に後世の(7世紀後半)イスラム教徒の重要な務めに≪五柱≫というのがあるが、この≪五柱≫に
ジハードは含まれていないのである。
(五柱とは<信仰告白(シャハーダ)・礼拝あ(サラート)・喜捨(ザカート)・断食(サウム)・巡礼(ハツジ>をいう)

この五柱が確立された頃には、ジハードそのものの重要性が失われていたとの事情が反映されていたようです。

しかし21世紀の現代でも≪ ジハード = イスラム ≫というレッテルがまかり通り、一部で更に過激化されている。

本来のイスラムは決して過激ではないのにかかわらずだ。 

このジハードについて次のブログ・パートⅢ(ジハード)で、コーランからその文言を列挙し、考えてみたいと思います。


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