スノーマン見聞録

ジャンルも内容も気の向くまま~“素浪人”スノーマンの見聞録

コーラン パートⅢ(ジハード)

2015年01月11日 | 雑感
異教徒との戦い・聖戦と言われるジハードは本来は < イスラムの道を歩むための努力 > のことを指すという。

ではなぜ。 戦いが戦いを生むのか。 人間の業なのか。

 『神の道のために、おまえたちに敵するものと戦え』
 『しかし、度を超して挑んではならない』  
  

 『おまえたちの出あったところで彼らを殺せ』             
 『敵のほうからしかけないかぎり聖なる礼拝堂のあたりで戦ってはならない』


 『迫害がなくなるまで、宗教が神のものになるまで、彼らと戦え』
 『しかし、彼らがやめたならば無法者にたいしては別として、敵意は無用である』


                           第2章(雌牛の章)メディナ啓示 190節・191節・193節

 『正当な理由がないかぎり、人を殺してはならない。それは神が禁じたもうたこと。不当に殺された者は、
  その相続人にわれらは権利を認めておいた。しかし、殺害を濫用してはならない。かならずお加護がある。』


                           第7章(夜の旅の章)メッカ啓示 33節に

神の道のために 戦え 殺せ とコーランはいう。

殺すな 度を超すな 敵意は無用 殺害を濫用するな ともコーランはいう。

コーランの一貫した根本精神は 人命尊重 だという。 コーランで人を殺してもよいとするのは、不信者・異教徒
に対してだけで、それも相手がしかけてきた場合のみ 彼らが戦いをやめたならば こちらもやめよと命ずる。

寛容も感じるが厳格・危険性もあわせもつ。 非常に難しい解釈を強いられる不思議な書物だ。  

第5章(食卓の章)メディナ啓示 45節にこんなのがある。

 『われらはあの中で「命には命 目には目 鼻には鼻 耳には耳 歯には歯 受けた傷は同じ仕返しを」
  と規定しておいた。 これをみずから棄権する者には それは 贖罪となる』


被害以上の報復を禁止している さらに、、。
報復の権利を行使するより、むしろその権利を放棄するを勧め、それが贖罪行為であるとさえ言っている。


コーランに記されている啓示は戦いの背景が大きく反映されていて、その時代の産物と思わずにはいられない。

ですが、イスラム教徒にとってのそれは時代の産物では決してない。
断固として神からの啓示・絶対的な聖典であり、一字一句が神の言葉そのものなのである。

信じることとは、宗教とは、、、。
以前当ブログでも記したことがありますが、そのことを見事に現している節がある。

 『信ずる人々よ、いろいろなことを尋ねてはならない。はっきりわかればかえってためにならないものだ。
  しかし、コーランが下されているときにものを尋ねるなら、おまえたちにはっきりさせてくだされるであろう』
                                            
                                  第5章(食卓の章)メディナ啓示 91節

ジハードで戦死した者は必ず神の赦しを得て天国に行くことができるともいう。

頭がぐらついてきた。 次のパートⅣでは、お酒の話でも少し取り上げることとする。



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