今日も「憲法改正問題」に入れるか分からなくなった。
それほど、毎日毎日、テレビ・新聞等マスメディアによる国民洗脳報道がなされている。国民は騙されるな!と、つい、報道の仕方を咎める方を優先してしまう。
私の最も共感出来る「天木直人のブログ」から、最近のブログ内容を少し借用して私の考えを述べたい。
(借用コメント開始)
天木直人のブログ5月25日~新聞の社説を批判的に読む事の薦め
天木氏は新聞の社説をみんなが批判的に読むことを薦め、次の様に言っている。
かつて外務省の某OBは、イラク戦争がはじまった頃に行われた東京大学のシンポジウムにおいて、北岡伸一や田中明彦といった御用学者が『イラク戦争を支持するしかない』といった言説を繰り返していた事に言及し「昔だったら、東大教授がそう言っている以上、それで世論は納得したのに、今は世論が言うことを聞かなくなった」などとぼやいていたことがあった。
この言で分かる通り、そこまで国民はなめられているのだ。
この「東大教授」の言うことだけではなく「新聞の社説」まで世論が「もっともだ」と従うようでは、ますます国民はなめられてしまう事になる。…要注意!
■無風注:マスメディアの世論操作はかなり効果を上げている。前に挙げた様に、「憲法を改正しなければならない=賛成多数の世論」「国際貢献・人道支援の為、イラクに自衛隊を派遣する=賛成多数の世論」「日本の国益だから無償給油活動を行なう=賛成多数の世論」「国際貢献になるから新テロ特措法必要=賛成多数の世論」「給油停止は国際的に悪影響ある=そう思うが多数」「日本でもテロが起きる=85%の多数」「北朝鮮に脅威を感じる=90%以上の多数」「自衛隊がいつでも海外派兵出来るようにする恒久法必要=賛成多数の世論」「後期高齢者医療制度は説明不足=94%と多数世論(制度そのものが悪い、としない)」「後期高齢者医療制度は見直しが必要(見直すだけでいい)と思う=多数の世論」(制度廃止、としない)等々、マスメディアの情報操作により国民世論が間違った方向に向けられている例を挙げたら切りが無い。…以上、無風注終わり
新聞記者たちは「自分たちはエリートだ」と自認しているに違いない。
ましてや社説を書く記者は幹部になるような人たちだ。その幹部記者たちが衆知をこらして書くのが社説であるから、社説は「もっともな論説である」と考えるのが普通の考えであろう。昔から国民が大新聞の社説を信じてしまっているのは、そんな背景があるのだ。
ところが社説には一つの大きな制約がある。
それはその新聞社の政治的スタンスを色濃く反映するものであるという事だ。
論説委員、編集委員の意見が「社の方針」と異なれば、変えさせられるのだ。
もう一つの留意点は、そしてこれは比較的新しい傾向であるのだが、なぜか新聞記者たちが、自分たちは「エリートである」「権力者と友達である」という自意識を持つようになったため、社説そのものが国民世論の認識とかけ離れ、権力者寄りのものになりつつあるという事である。
その格好の例が後期高齢者医療制度に関する社説である。
社説のほとんどが後期高齢者医療制度の廃止を訴える民主党を批判しているのだ。
国民の圧倒的多数がその廃止を求めているのにである。
産経新聞や読売新聞が「野党は無責任だ」と批判していたのには驚かない。
この二つは社是として自民党政権を擁護する役割を担っているからだ。
しかし、産経新聞や読売新聞と対極にあるとされている「リベラル紙の雄」とみなされていた朝日新聞までもが、野党は財源問題を逃げるな、といわんばかりに「制度を元に戻せと言うだけでは問題は解決しない」と、新制度の骨格は維持すべきだという自公政権が喜びそうな主張を展開していた。
■無風注:最近の社説を要約して載せる。(色を赤に変えた部分が、嘘であり、騙し言葉であり、国民の目を逸らしたり目隠しする目的の言葉)
後期高齢者医療 混乱を増すだけの廃止法案(5月24日付・読売社説)
後期高齢者医療制度はその呼称を含め配慮を欠く面が目立つ。
不備や欠陥など問題点が多いことも確かだ。
しかし、新制度のすべてを否定して白紙に戻すというのは、混乱をさらに広げ長引かせるだけだろう。
野党4党が後期高齢者医療制度の廃止法案を参院に提出した。
ところが、新制度を撤廃した後にどうするのか対案がない。
とりあえず、従来の老人保健制度を復活させるという。
これでは、あまりにも無責任ではないか。
生じている混乱の原因は、厚生労働省や自治体の対応のまずさにある。
主に75歳以上が対象の大きな制度変更なのに、高齢者に配慮した説明や準備を怠ってきた。
そのため、感情的な反発が先行している。まずは冷静に、制度の長所と短所を検討の俎上(そじょう)に載せるべきだろう。
「ともかく廃止せよ、議論はそれからだ」という野党の姿勢は、拙劣の上に拙劣を重ねるようなものだ。…読売新聞社説引用終わり
■赤い部分を一つ一つ解説していく事は止めるが、社説の中で一番問題なのは後期高齢者医療制度がスタートして既に75歳以上のお年寄りの自殺・無理心中が27件も発生しているというのに「感情的な反発が先行」とこの制度に反対している大多数の国民を見下し「冷静に検討」するべき、として混乱の原因が“説明不足”にあり、廃止は「混乱をさらに広げ長引かせるだけ」としている点である。
「日銀総裁が1日たりとも空白になる事など決して許されない。日本経済が混乱し、世界の信用を失墜する」と“混乱”を持ち出した日銀総裁人事と同じである。
国民の反対を“混乱”といい、その原因を民主党に擦り付けている。
今日の訓示
「混乱・混乱と言って“混乱”を作り出しているのは政府・マスメディアであり、国民は少しも“混乱”していない」
国民は、75歳以上の老人から保険金を取る、のは悪い制度との「冷静な」判断から反対しているのであり、社説の論調が如何に高慢で国民から乖離しているか(国民側から見ていないか)が分かると思う。
新しい制度(強行採決した悪しき制度)が施行されて混乱が起きたのだから、一旦止めて(元に戻して)考え直そう、とすることが、なぜ、混乱を鎮める事ではなく混乱を広げることなのか!
「拙劣の上に拙劣を重ねるようなものだ」の意味もきちんと解説してほしいものだ。話し合いが無視され強行採決された法案に対し、民主党が参院で多数党になったから廃止法案を提出した、という一つの行為に“拙劣”が二つも登場するのか!
もう一度言うが、財源を何とかするのは政府の責任なのである。廃止するのに対案などいらない。他の方策(法案)を考えて国会に提出するのは政府の役割であり、国会の野党は賛否を審議すればいいのである。政策を出すのは政府であり、野党は「無責任」でもなんでもないのである。参院選前の「多数党の横暴」で野党との話し合い無しに強行採決され施行されてしまった悪法を廃止するのに遠慮は要らない。参院選前、与党が話し合い(歩み寄り)無しに強行採決を続けてきた時に、それを少しも批判しなかったマスメディアが、参院選以降「何故話し合いに応じないのか」と民主党を責めている。その報道姿勢を国民はおかしいと思わないのだろうか。
余談だが、後期高齢者が保険料を払えなかったら発行される「資格証明書」。
この言い方一つとっても、政府が色々な事柄を「言い方」で誤魔化しているのが分かると思う。
「資格証明」とは、あることをするのに必要な身分・地位・能力・権利・免許があることを証明するものである。
従って、この場合は「資格を剥奪する」のであるから「資格剥奪通知」か、少し言葉を和らげて言っても「資格喪失通知書」が正しい「言い方」である。
「あなたは保険料が払えなかったので、あなたに“資格証明書”を発行します。今後医療費は全額あなたの負担です」とは、国民を馬鹿にするのもいい加減にしてもらいたい。…余談終わり
(朝日新聞5月25日 社説引用開始)
高齢者医療―「廃止」の怒りも分かるが
4月に始まったばかりの後期高齢者医療制度の廃止法案が、民主、共産、社民、国民新党の野党4党から参院に提出された。…(中略)…
廃止法案は、野党が多数を占める参院で可決されても、与党が多数の衆院では通る見込みがない。それでもあえて出したのは、この制度への不信や憤りを追い風に、福田政権を揺さぶることができると考えたからに違いない。
たしかに、新制度に対する反発はすさまじい。「うば捨て山のような制度だ」「ほとんどの人の負担が減るなどという政府の説明はうそばかりだ」という声がお年寄りだけでなく、多くの国民の間に広がっている。
年金が宙に浮いたり消えたりして不信感が高まっていたところへ、年金からの保険料の天引きが始まったのだから、怒りが爆発したのも無理はない。厚生労働省の担当者が解説書で「終末期の医療費を抑えることが大事だ」と無神経に書いたこともお年寄りの気持ちを傷つけ、怒りを広げた。
しかし、制度を「元に戻せ」と言うだけでは問題は解決しない。…(中略)…
(今までの制度では)お年寄りの保険料も現役世代の保険料もまぜこぜで、だれがどう負担しているのかが分かりづらかった。現役世代の負担が際限なく膨らみかねないという不満もあった。
こうしたあいまいな点をはっきりさせておこうというのが新制度だ。…(中略)…
(与党は)保険料が上がったり、治療が制限されたりするのではないかという お年寄りの心配を取り除く必要がある。…(中略)…
財源問題から逃げていては「うば捨て山」という批判がいつまでもつきまとい、制度が定着しない。…引用終り
■上記の2つの大新聞の社説は、国民の側に立っていない。政府政策(権力者)擁護の意見であり、国民の為を思っての意見ではない。目線は“国民”に無い。
民主党の反対=国民の反対を“政権取り”の為と民主党の党利党略に持っていき民主党を悪者にする論調もひどいが、朝日の社説で一番ひどいのは、制度廃止法案が「与党多数の衆議院で『どうせ』否決されるのに…」と多数党の横暴を全く批判しないどころか容認してしまっている点である。1年間で20件近い強行採決しかり、再可決しかり、『多数党の横暴だ』『民主主義の破壊行為だ』と国民に警告を発すべき新聞が、「問題をどうするのだ」と政権担当政党・政府に言うべき言葉を野党に押し付けている。
ガソリンの暫定倍取り税率は一旦廃止され、与党の手でもとに戻された。このときは廃止した野党が混乱を引き起こしたとされた。こんどの後期高齢者医療制度は、野党の手でもとに戻そうとするものだが、こちらは野党が混乱を引き起こしているとされている。
国民は気が付いてほしい。
暫定税率という倍取り税を30年以上も国民に黙ってとり続けていた政府を責めないマスメディア。それどころか国民の大多数がもとに戻すことに大反対していたのに、「財源はどうする、地方はどうする」と国民の意志そっちのけで民主党を責めるマスメディア。この言葉は国家の家計のやり繰りを任されている政府・政権政党に向けるべき言葉である。
830兆円の累積債務をつくったのは野党ではない。
暫定税率を復活させるときに福田首相は「(暫定税率復活の)大前提として、税金にムダがあってはならない。すべての支出で『ムダ・ゼロ』を目指し、公益法人の在り方や不透明な天下りを徹底的に是正する」と強調している。
大前提とは、それが行なわれて初めて(暫定税率の復活に)踏み切れる、ということである。色々やって見ましたが、どうしても2兆6千万円が捻出できませんでしたので、暫定税率を復活させてください、というのならまだ分かる。
暫定税率復活後、上記大前提の政策は打ち出されていない。マスメディアもそれを咎めないで国民の目から隠している。
色々な問題が山積みなのに、道路特定財源等を10年間継続させる法案が“再可決”で通った後、1ヶ月もある国会を“消化試合”と捉える政治記者たち。
上記大前提に対する政府対応等を追及せずに中国四川大地震の報道で国民の目から逸らし続けるマスメディア。新潟中越地震から見たら謂わば“他人事”の海外ニュースを、中越地震より長期間・長時間、より延々と毎日毎日報道を続けている。
国会が閉幕するまで続きそうだ。
本当に政府・マスメディアの世論操作の例を挙げたら切りが無い。
国民は、全ての報道・娯楽番組を“批判的”に見てほしい。
もう一つ、天木氏のブログを引用して次回に続けます。
天木直人のブログ5月26日天木直人のブログ5月26日「国会で審議をつくせ」と主張することの嘘
ねじれ国会の弊害を強調する与党やその支持者は、決まって野党の審議拒否をなじる。(M:一院制を主張したりする)M=無風注
「なんでも反対するのではなく、対案を示せ」と要求する。
さらには「政局ではなく政策を語れ」と言う。
これらに共通する考えは、国会は審議をする場所であり、政治家は国会で論戦を行うべきである、という考えである。
空転国会を繰り返すような政治家は、政治家としての本来の責務を放棄することだ、という。
それは一見すれば正論に聞こえる。(M:各新聞の論調がこれである)
しかし今の日本の国会審議の実態を知っている者にとっては、笑止千万な主張である。
そういう事を主張する者やメディアは、知っていながらそう言っているのだ。
官僚を経験した者であれば、今の日本の国会審議の八百長振りを知ってる。
明治以来の国会審議の中で、かつてはどうであったかは知らない。しかし少なくとも私が官僚を経験した1970以降の国会は、すべて官僚の書いた答弁を大臣が読み上げるのが国会審議となっている。
大臣が答えに詰まると、官僚が出てきて替わって答弁するのが国会審議であったのだ。
国会会期中の官僚の主たる仕事は、質問する国会議員から事前に質問内容を聞いて、大臣のために答弁を書く事である。
そして、国会審議の直前に、大臣を交えて即席の勉強会を開き、そこでどう答弁するかを振付けることである。
難しい質問であればその野党議員のところへ押しかけて交渉をする。
どういう答弁をすれば野党議員に華を持たせることが出来るか。
そして納得して引き下がらせることが出来るか、そのシナリオまで野党議員と打ち合わせるのだ。
だから私は「国会答弁などすべて八百長だ」と言ってきた。
国会事務局の人たちが次のように述べていた。
「国会は議論の場であり、与野党が真剣な議論を闘わせて最善のものを作りだしていく、というのは幻想」である「与野党の議員の職責はいかに自分たちの主張が正しいかをアピールすること」である。
そう言われてみて、確かに「なるほど」と頷いた。
国会審議とは、テレビの政治討論番組と同じように、自らの政党の主張の正しさを宣伝する場でしかない。そこで(国会審議で)見られるのは、何が国民にとって正しい政策であるか、という事ではなく、屁理屈を並べ立ててもいいから、強引に自分の政党の立場を擁護、宣伝する事なのである。
テレビの政治番組がそうであるように、国会審議もまた、野次と言いっ放しの一方的な言説の応酬でしかないのだ。
このような国会審議に意味があるはずはない。…引用終り
次回に続きます。
それほど、毎日毎日、テレビ・新聞等マスメディアによる国民洗脳報道がなされている。国民は騙されるな!と、つい、報道の仕方を咎める方を優先してしまう。
私の最も共感出来る「天木直人のブログ」から、最近のブログ内容を少し借用して私の考えを述べたい。
(借用コメント開始)
天木直人のブログ5月25日~新聞の社説を批判的に読む事の薦め
天木氏は新聞の社説をみんなが批判的に読むことを薦め、次の様に言っている。
かつて外務省の某OBは、イラク戦争がはじまった頃に行われた東京大学のシンポジウムにおいて、北岡伸一や田中明彦といった御用学者が『イラク戦争を支持するしかない』といった言説を繰り返していた事に言及し「昔だったら、東大教授がそう言っている以上、それで世論は納得したのに、今は世論が言うことを聞かなくなった」などとぼやいていたことがあった。
この言で分かる通り、そこまで国民はなめられているのだ。
この「東大教授」の言うことだけではなく「新聞の社説」まで世論が「もっともだ」と従うようでは、ますます国民はなめられてしまう事になる。…要注意!
■無風注:マスメディアの世論操作はかなり効果を上げている。前に挙げた様に、「憲法を改正しなければならない=賛成多数の世論」「国際貢献・人道支援の為、イラクに自衛隊を派遣する=賛成多数の世論」「日本の国益だから無償給油活動を行なう=賛成多数の世論」「国際貢献になるから新テロ特措法必要=賛成多数の世論」「給油停止は国際的に悪影響ある=そう思うが多数」「日本でもテロが起きる=85%の多数」「北朝鮮に脅威を感じる=90%以上の多数」「自衛隊がいつでも海外派兵出来るようにする恒久法必要=賛成多数の世論」「後期高齢者医療制度は説明不足=94%と多数世論(制度そのものが悪い、としない)」「後期高齢者医療制度は見直しが必要(見直すだけでいい)と思う=多数の世論」(制度廃止、としない)等々、マスメディアの情報操作により国民世論が間違った方向に向けられている例を挙げたら切りが無い。…以上、無風注終わり
新聞記者たちは「自分たちはエリートだ」と自認しているに違いない。
ましてや社説を書く記者は幹部になるような人たちだ。その幹部記者たちが衆知をこらして書くのが社説であるから、社説は「もっともな論説である」と考えるのが普通の考えであろう。昔から国民が大新聞の社説を信じてしまっているのは、そんな背景があるのだ。
ところが社説には一つの大きな制約がある。
それはその新聞社の政治的スタンスを色濃く反映するものであるという事だ。
論説委員、編集委員の意見が「社の方針」と異なれば、変えさせられるのだ。
もう一つの留意点は、そしてこれは比較的新しい傾向であるのだが、なぜか新聞記者たちが、自分たちは「エリートである」「権力者と友達である」という自意識を持つようになったため、社説そのものが国民世論の認識とかけ離れ、権力者寄りのものになりつつあるという事である。
その格好の例が後期高齢者医療制度に関する社説である。
社説のほとんどが後期高齢者医療制度の廃止を訴える民主党を批判しているのだ。
国民の圧倒的多数がその廃止を求めているのにである。
産経新聞や読売新聞が「野党は無責任だ」と批判していたのには驚かない。
この二つは社是として自民党政権を擁護する役割を担っているからだ。
しかし、産経新聞や読売新聞と対極にあるとされている「リベラル紙の雄」とみなされていた朝日新聞までもが、野党は財源問題を逃げるな、といわんばかりに「制度を元に戻せと言うだけでは問題は解決しない」と、新制度の骨格は維持すべきだという自公政権が喜びそうな主張を展開していた。
■無風注:最近の社説を要約して載せる。(色を赤に変えた部分が、嘘であり、騙し言葉であり、国民の目を逸らしたり目隠しする目的の言葉)
後期高齢者医療 混乱を増すだけの廃止法案(5月24日付・読売社説)
後期高齢者医療制度はその呼称を含め配慮を欠く面が目立つ。
不備や欠陥など問題点が多いことも確かだ。
しかし、新制度のすべてを否定して白紙に戻すというのは、混乱をさらに広げ長引かせるだけだろう。
野党4党が後期高齢者医療制度の廃止法案を参院に提出した。
ところが、新制度を撤廃した後にどうするのか対案がない。
とりあえず、従来の老人保健制度を復活させるという。
これでは、あまりにも無責任ではないか。
生じている混乱の原因は、厚生労働省や自治体の対応のまずさにある。
主に75歳以上が対象の大きな制度変更なのに、高齢者に配慮した説明や準備を怠ってきた。
そのため、感情的な反発が先行している。まずは冷静に、制度の長所と短所を検討の俎上(そじょう)に載せるべきだろう。
「ともかく廃止せよ、議論はそれからだ」という野党の姿勢は、拙劣の上に拙劣を重ねるようなものだ。…読売新聞社説引用終わり
■赤い部分を一つ一つ解説していく事は止めるが、社説の中で一番問題なのは後期高齢者医療制度がスタートして既に75歳以上のお年寄りの自殺・無理心中が27件も発生しているというのに「感情的な反発が先行」とこの制度に反対している大多数の国民を見下し「冷静に検討」するべき、として混乱の原因が“説明不足”にあり、廃止は「混乱をさらに広げ長引かせるだけ」としている点である。
「日銀総裁が1日たりとも空白になる事など決して許されない。日本経済が混乱し、世界の信用を失墜する」と“混乱”を持ち出した日銀総裁人事と同じである。
国民の反対を“混乱”といい、その原因を民主党に擦り付けている。
今日の訓示
「混乱・混乱と言って“混乱”を作り出しているのは政府・マスメディアであり、国民は少しも“混乱”していない」
国民は、75歳以上の老人から保険金を取る、のは悪い制度との「冷静な」判断から反対しているのであり、社説の論調が如何に高慢で国民から乖離しているか(国民側から見ていないか)が分かると思う。
新しい制度(強行採決した悪しき制度)が施行されて混乱が起きたのだから、一旦止めて(元に戻して)考え直そう、とすることが、なぜ、混乱を鎮める事ではなく混乱を広げることなのか!
「拙劣の上に拙劣を重ねるようなものだ」の意味もきちんと解説してほしいものだ。話し合いが無視され強行採決された法案に対し、民主党が参院で多数党になったから廃止法案を提出した、という一つの行為に“拙劣”が二つも登場するのか!
もう一度言うが、財源を何とかするのは政府の責任なのである。廃止するのに対案などいらない。他の方策(法案)を考えて国会に提出するのは政府の役割であり、国会の野党は賛否を審議すればいいのである。政策を出すのは政府であり、野党は「無責任」でもなんでもないのである。参院選前の「多数党の横暴」で野党との話し合い無しに強行採決され施行されてしまった悪法を廃止するのに遠慮は要らない。参院選前、与党が話し合い(歩み寄り)無しに強行採決を続けてきた時に、それを少しも批判しなかったマスメディアが、参院選以降「何故話し合いに応じないのか」と民主党を責めている。その報道姿勢を国民はおかしいと思わないのだろうか。
余談だが、後期高齢者が保険料を払えなかったら発行される「資格証明書」。
この言い方一つとっても、政府が色々な事柄を「言い方」で誤魔化しているのが分かると思う。
「資格証明」とは、あることをするのに必要な身分・地位・能力・権利・免許があることを証明するものである。
従って、この場合は「資格を剥奪する」のであるから「資格剥奪通知」か、少し言葉を和らげて言っても「資格喪失通知書」が正しい「言い方」である。
「あなたは保険料が払えなかったので、あなたに“資格証明書”を発行します。今後医療費は全額あなたの負担です」とは、国民を馬鹿にするのもいい加減にしてもらいたい。…余談終わり
(朝日新聞5月25日 社説引用開始)
高齢者医療―「廃止」の怒りも分かるが
4月に始まったばかりの後期高齢者医療制度の廃止法案が、民主、共産、社民、国民新党の野党4党から参院に提出された。…(中略)…
廃止法案は、野党が多数を占める参院で可決されても、与党が多数の衆院では通る見込みがない。それでもあえて出したのは、この制度への不信や憤りを追い風に、福田政権を揺さぶることができると考えたからに違いない。
たしかに、新制度に対する反発はすさまじい。「うば捨て山のような制度だ」「ほとんどの人の負担が減るなどという政府の説明はうそばかりだ」という声がお年寄りだけでなく、多くの国民の間に広がっている。
年金が宙に浮いたり消えたりして不信感が高まっていたところへ、年金からの保険料の天引きが始まったのだから、怒りが爆発したのも無理はない。厚生労働省の担当者が解説書で「終末期の医療費を抑えることが大事だ」と無神経に書いたこともお年寄りの気持ちを傷つけ、怒りを広げた。
しかし、制度を「元に戻せ」と言うだけでは問題は解決しない。…(中略)…
(今までの制度では)お年寄りの保険料も現役世代の保険料もまぜこぜで、だれがどう負担しているのかが分かりづらかった。現役世代の負担が際限なく膨らみかねないという不満もあった。
こうしたあいまいな点をはっきりさせておこうというのが新制度だ。…(中略)…
(与党は)保険料が上がったり、治療が制限されたりするのではないかという お年寄りの心配を取り除く必要がある。…(中略)…
財源問題から逃げていては「うば捨て山」という批判がいつまでもつきまとい、制度が定着しない。…引用終り
■上記の2つの大新聞の社説は、国民の側に立っていない。政府政策(権力者)擁護の意見であり、国民の為を思っての意見ではない。目線は“国民”に無い。
民主党の反対=国民の反対を“政権取り”の為と民主党の党利党略に持っていき民主党を悪者にする論調もひどいが、朝日の社説で一番ひどいのは、制度廃止法案が「与党多数の衆議院で『どうせ』否決されるのに…」と多数党の横暴を全く批判しないどころか容認してしまっている点である。1年間で20件近い強行採決しかり、再可決しかり、『多数党の横暴だ』『民主主義の破壊行為だ』と国民に警告を発すべき新聞が、「問題をどうするのだ」と政権担当政党・政府に言うべき言葉を野党に押し付けている。
ガソリンの暫定倍取り税率は一旦廃止され、与党の手でもとに戻された。このときは廃止した野党が混乱を引き起こしたとされた。こんどの後期高齢者医療制度は、野党の手でもとに戻そうとするものだが、こちらは野党が混乱を引き起こしているとされている。
国民は気が付いてほしい。
暫定税率という倍取り税を30年以上も国民に黙ってとり続けていた政府を責めないマスメディア。それどころか国民の大多数がもとに戻すことに大反対していたのに、「財源はどうする、地方はどうする」と国民の意志そっちのけで民主党を責めるマスメディア。この言葉は国家の家計のやり繰りを任されている政府・政権政党に向けるべき言葉である。
830兆円の累積債務をつくったのは野党ではない。
暫定税率を復活させるときに福田首相は「(暫定税率復活の)大前提として、税金にムダがあってはならない。すべての支出で『ムダ・ゼロ』を目指し、公益法人の在り方や不透明な天下りを徹底的に是正する」と強調している。
大前提とは、それが行なわれて初めて(暫定税率の復活に)踏み切れる、ということである。色々やって見ましたが、どうしても2兆6千万円が捻出できませんでしたので、暫定税率を復活させてください、というのならまだ分かる。
暫定税率復活後、上記大前提の政策は打ち出されていない。マスメディアもそれを咎めないで国民の目から隠している。
色々な問題が山積みなのに、道路特定財源等を10年間継続させる法案が“再可決”で通った後、1ヶ月もある国会を“消化試合”と捉える政治記者たち。
上記大前提に対する政府対応等を追及せずに中国四川大地震の報道で国民の目から逸らし続けるマスメディア。新潟中越地震から見たら謂わば“他人事”の海外ニュースを、中越地震より長期間・長時間、より延々と毎日毎日報道を続けている。
国会が閉幕するまで続きそうだ。
本当に政府・マスメディアの世論操作の例を挙げたら切りが無い。
国民は、全ての報道・娯楽番組を“批判的”に見てほしい。
もう一つ、天木氏のブログを引用して次回に続けます。
天木直人のブログ5月26日天木直人のブログ5月26日「国会で審議をつくせ」と主張することの嘘
ねじれ国会の弊害を強調する与党やその支持者は、決まって野党の審議拒否をなじる。(M:一院制を主張したりする)M=無風注
「なんでも反対するのではなく、対案を示せ」と要求する。
さらには「政局ではなく政策を語れ」と言う。
これらに共通する考えは、国会は審議をする場所であり、政治家は国会で論戦を行うべきである、という考えである。
空転国会を繰り返すような政治家は、政治家としての本来の責務を放棄することだ、という。
それは一見すれば正論に聞こえる。(M:各新聞の論調がこれである)
しかし今の日本の国会審議の実態を知っている者にとっては、笑止千万な主張である。
そういう事を主張する者やメディアは、知っていながらそう言っているのだ。
官僚を経験した者であれば、今の日本の国会審議の八百長振りを知ってる。
明治以来の国会審議の中で、かつてはどうであったかは知らない。しかし少なくとも私が官僚を経験した1970以降の国会は、すべて官僚の書いた答弁を大臣が読み上げるのが国会審議となっている。
大臣が答えに詰まると、官僚が出てきて替わって答弁するのが国会審議であったのだ。
国会会期中の官僚の主たる仕事は、質問する国会議員から事前に質問内容を聞いて、大臣のために答弁を書く事である。
そして、国会審議の直前に、大臣を交えて即席の勉強会を開き、そこでどう答弁するかを振付けることである。
難しい質問であればその野党議員のところへ押しかけて交渉をする。
どういう答弁をすれば野党議員に華を持たせることが出来るか。
そして納得して引き下がらせることが出来るか、そのシナリオまで野党議員と打ち合わせるのだ。
だから私は「国会答弁などすべて八百長だ」と言ってきた。
国会事務局の人たちが次のように述べていた。
「国会は議論の場であり、与野党が真剣な議論を闘わせて最善のものを作りだしていく、というのは幻想」である「与野党の議員の職責はいかに自分たちの主張が正しいかをアピールすること」である。
そう言われてみて、確かに「なるほど」と頷いた。
国会審議とは、テレビの政治討論番組と同じように、自らの政党の主張の正しさを宣伝する場でしかない。そこで(国会審議で)見られるのは、何が国民にとって正しい政策であるか、という事ではなく、屁理屈を並べ立ててもいいから、強引に自分の政党の立場を擁護、宣伝する事なのである。
テレビの政治番組がそうであるように、国会審議もまた、野次と言いっ放しの一方的な言説の応酬でしかないのだ。
このような国会審議に意味があるはずはない。…引用終り
次回に続きます。