無風老人の日記

価値観が多様化し、自分の価値判断を見失った人たちへ
正しい判断や行動をするための「ものの見方・考え方」を身につけよう。

破壊された日本の民主主義

2008年05月22日 | Weblog
60年前に作成された文部省の教科書を基に、今日の日記を書いて見たい。

※印が60年前の文部省の「民主主義」という教科書の内容(多少わたしの手が加わっています)、■印が私のコメントです。

※民主主義の根本精神=すべての人間を個人として尊厳な価値を持つものとして取り扱おうとする心。

※民主政治=「多数決主義」と「選良主義」との長所を取って、それを組み合わせたような具合になっている。

※民主政治の落し穴=民主政治は「多数の支配」である。多数で決めたことが国民全体の意志として通用するのである。(天動説の様に多数が間違っているときもある)
それなのに、なんでも多数の力で押し通し、正しい少数の意見には耳もかさないというふうになれば、それはまさに「多数党(長期政権担当政党)の横暴」である。多数決という方法は、用い方によっては「多数党(長期政権担当政党)の横暴」という弊害を招くばかりでなく、民主主義そのものの根底を破壊するような結果に陥ることがある。

■今回の3回にわたる参院における法案の“否決”または“みなし否決”に対する衆院で圧倒的多数を誇る長期独裁政権担当政党の“再可決”は、まさに60年前に文部省が指摘した「民主主義そのものの根底を破壊するような結果」と言える。

(引用開始)…昨年度1年間に20件近くの法案が「強行採決」され成立したことに対しての津久井弁護士のブログより

今,国会は,異常です。

国会は,日本の民主主義の中枢です。
だから,今,日本の民主主義は,異常状態に陥っています。

民主主義は,国民の幸福の根幹です。
だから,今,日本の国民の幸福は,異常事態にあります。…引用終り


※「多数決」の上記の様な“弊害”を防ぐためには、何よりもまず“言論の自由”を重んじなければならない。

■「2006年、世界言論自由指数」ランキングで日本は51番目と民主制を採る先進国の中では最も“言論の自由”が乏しい国となっています。世界から見た日本国の現状です。

(以前書いた私の日記より再掲)
最近の日本では、権力者による「悪法の乱立」(強行採決)により、内容の分からない(「おおむね」等、適用範囲の分からない)法律が作られ、国民は何で逮捕され牢に繋がれるのか分からない不安な状態に置かれている。

まだ適用されない国民投票法で平和講演の後援を断る自治体が出る、等、曖昧な法とそれによる刑罰規定は、国民を愚民から国家の奴隷に変え、独裁社会成立後は人間的感情を出せない家畜にしていく。

   「民主主義」にとって最も大切な装置は「表現の自由」

   「表現の自由」にとって最大の脅威は「萎縮的効果」

   「萎縮的効果」によって脆く崩れるのが「民主主義」

上記は津久井進の弁護士ノートより、引用させてもらったもの。

*サウンドデモでの権力者の弾圧…道交法違反で逮捕

*反戦ビラを郵便受けに投函したビラ配り者の逮捕・拘留及び有罪判決…住宅不法侵入罪

*正規に届け出たデモ行進のデモの人数より多い警察隊の警備

*そのデモ参加者を“挑発”し公務執行妨害で逮捕、その弁護士も署内に入れず(会わせず)に尋問。

*平和集会の会場に入る人達を私服警官が入り口で一人ひとりチェックし写真をとる。

*自衛隊によるデモ・集会の監視・報告

これらは、国民に萎縮効果を与えるに充分である。…再掲終わり


※言論の自由こそは、民主主義をあらゆる独裁主義の野望から守る盾であり安全弁である。

従って、ある一つの政党がどんなに国会の多数を占めることになっても、反対の少数意見の発言を封ずるということは許されない。
幾つかの政党が並び存して互に批判し合い議論をたたかわせ合うというところに、民主主義の進歩がある。
反対党の言論を禁じてしまえば、政治の進歩もまた止まってしまうのである。

だから民主主義は多数決を重んずるが、いかなる多数の力をもってしても言論の自由を奪うということは絶対に許さるべきでない。

何事も多数決によるのが民主主義ではあるが、どんな多数といえども民主主義そのものを否定するような決定をする資格はない。



(以下は参考までに引用)
言論の自由ということは、個人意志の尊重であり、したがって、少数意見を尊重しなければならないのは、そのためである。
もちろん、国民さえ賢明であるならば、多数意見の方が少数意見よりも真理に近いのが常であろう。しかし、多数意見の方が正しい場合にも、少数の反対説のいうところをよく聞き、それによって多数の支持する意見をもう一度考え直してみるということは、真理をいっそう確かな基礎の上におく所以である。
これに反して、少数説の方が本当は正しいにもかかわらず、多数の意見を無理に通してしまい、少数の人々の言うことに耳を傾けないならば政治の中に射し込む真理の光はむなしく遮られてしまう。
そういう態度は、社会の陥っている誤りを正す機会を自ら求めて永久に失うものであるといわなければならない。

だから、多数決によるのは「多数の意見ならば正しいと決めてかかること」を意味するものではないのである。…参考引用終り

※要するに、有権者のひとりひとりが賢明にならなければ民主主義はうまく行かない。
国民が賢明で、物ごとを科学的に考えるようになれば、うその報道・プロパガンダ・デマはたちまち見破られてしまうから、だれも無責任なことを言いふらすことはできなくなる。
高い知性と、真実を愛する心と、発見された真実を守ろうとする意志と、正しい方針を責任をもって貫く実行力と、そういう人々の間のお互の尊敬と協力と、--立派な民主国家を建設する原動力はそこにある。
そこにだけあって、それ以外にはない。



■国民に対し問題提起をし、判断材料を与えて国民を啓蒙していくのがテレビ・ラジオ・新聞・雑誌等の使命であり、それによって国民(有権者)は賢明になり「真理に近い世論」を醸し出す事になる。
ところが、今のテレビ・新聞等マスメディアは政府協力機関となり、国民に目隠しをして世論操作を行ない、国民に「賢明な判断」をさせないように努めている。

今朝も舛添労厚大臣の「6月初めまでに後期高齢者医療制度の見直しを行なう」とのコメントを流し「骨子は変えずに批判の多かった低所得者層の負担軽減を考えている」と報道していたが、これはもう既に後期高齢者医療制度自体を認めた報道であり、「75歳以上の高齢者からカネを取る」制度そのものが間違いだ、廃止すべし、という野党の意見や国民の80%近い“制度反対”の世論を無視した報道でもある。

後期高齢者医療制度についても政府の「制度自体は良い制度」マスコミの「制度の説明不足」といったプロパガンダが功を奏し、廃止しろ=33%に対し見直せ!=53%と見直すだけでいいとの考えに国民を持っていっている。(そのままでいい、は7%)

2チャンネルは気持の悪くなる意見ばかりなので普段は見ないのだが、後期高齢者制度について「説明不足」で良く分からないという国民に理解できる説明がされていたので、2チャンネルから初めての引用をしてみる。

・・・つまり、後期高齢者医療制度とは、こんな制度。
①75歳以上(=後期高齢者)になったら強制加入!
②年金から保険料が天引きされる!
③保険料を滞納したら保険証をとりあげられる!
④保険で受けられる医療が制限される!
エライこっちゃ !!!

何も国民は政府の言うように「内容を全て理解」しなくても制度の本質を知ればいいのである。後期高齢者医療制度は上の通りの制度である。

年金制度改革の試算で「この場合、消費税換算で5%~13%のUpが必要」と単純に報道するのも、既に“消費税値上げも止む無し”と国民に刷り込んでいるのである。政府側の報道に徹している。
最近、少し身構えてテレビ・新聞を見聞きすると「もうマスメディアは“大本営発表”しかしていない」ことに気付く。

憲法改正賛成56%の人にも気付いてもらいたいと思う。


※議会(国会)といえども人間の集まりなのであるから、そこで制定した法律が常に必ず正しいとは限らない。
法律は憲法の趣旨に適ったものでなければならないのであるが、何らかの事情で憲法の規定に違反するような法律が制定されないとは限らない。
現憲法は、そういう場合を考慮して最高裁判所に法令が違憲であるかどうかを決定する権限を与えたのである。
これは、憲法の精神を守るために万全を期するための制度であって、その限りに於いては、
司法権の方が立法権よりも上の立場に立っているともいうことができる。

■日本国の現状はどうであろうか?

違憲立法審査権を持っている“司法”で「違憲判決」をした裁判官。

(1)長沼ナイキ基地訴訟で違憲判決を下した福島重雄札幌地裁裁判長は、違憲判決を言い渡した翌年、東京地裁の手形事件担当に異動。その後、福島と福井の家庭裁判所へ。裁判長として判決を書くことは二度となかった。
「…裁判官は憲法で身分が保障され、意思に反して免官、転官、転所されない、とされているが、そんなのは口先だけ。人並みの仕事もさせてくれない。ナイキ判決の後、ずっと辞めたかった…」
最高裁の長官や判事は、内閣に指名、任命される。「…その最高裁が下級審を操る。どうしても政府(行政)の意向に沿うような流れになります。誰だって冷や飯を食うのは嫌だし、流れに乗って所長にでもなったほうがいいと思う。そういう裁判所の体制にしてしまった…」

(2)大阪高裁竹中裁判官は、住民基本台帳ネットワーク運用をめぐる訴訟の控訴審判決の裁判長で11月30日、「拒絶している住民への適用は違憲」とする判断を示した。その後、首をつって死亡(自殺?)。

(3)イラク派兵違憲判決を下した青山邦夫名古屋高裁裁判長は、定年まで2ヶ月を残し依願退職。(依願退職しているから違憲判決が出来た?)

この判決に対し、福田首相は「傍論でしょう」、高村外務大臣は「大臣をやめて暇でもできたら読む」と暴論をはき、航空幕僚長は「そんなの関係ねえ」と暴言をはきました。
政府(行政)は「(違憲行為を)このまま続ける」と司法を無視。
又、「日本の法律で裁かれるなら、裁かれてやろう」と法律を無視する、法律を作る立場(立法の府)の人。

いづれにしても、日本の三権分立は無くなってしまっている。
立法の府で成立した法律を行政で「来年度からは適用しない」と決め付たように、政府(行政)の思うがままである。

憲法改正賛成の人に分かって貰えるような日記を書こうと思って、筆を執る(キーボードに向う)のだが、そこまで行き着かない内に終わってしまった。次回は書こうと思います。

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