無風老人の日記

価値観が多様化し、自分の価値判断を見失った人たちへ
正しい判断や行動をするための「ものの見方・考え方」を身につけよう。

「戦後レジュームからの脱却」批判

2007年09月07日 | Weblog
今日の言葉

◎蹟を以って人を観れば、即ち人を知るに足らず。蹟を以って古(いにしえ)を師とせば、即ち以って古(いにしえ)を願うに足らず。

出展は分からないし、私はこの文の出だしの文言「天地の先、我知らず…」の方が好きなのだが、その部分を紛失してしまった。

今日はこの言葉を踏まえて、政府が改革推進(美しい国へ)の思想的拠り所としていると見られる「国家の品格」(藤原正彦氏)について批判してみたい。

藤原氏の考えの基本に次の点がある。(インタビュー等より抜粋)

(1)「日本人はこれまでに、2回も過去を捨てさせられてしまっているんですよ。最初は明治維新。薩長が“封建制の圧政で庶民が抑圧されてきた”と大ウソを言って江戸時代までを否定した。
(2回目は)第二次大戦後です。今度はアメリカと日教組が、すべてが日米戦争につながったとして、戦前の日本を全否定した。」
(2)「たとえば江戸時代の日本は、260年もの間、世界最高の識字率を誇っていた。幕末、日本にやってきた欧米人が“一般の町人が本を立ち読みしている。こんな国はとても植民化できない”と驚いたぐらいだった。
(3)そうやって長い間をかけて培ってきた文化と伝統を、全部なかったことにしてしまったわけです
(4)(教育について)
「教育について日本人は昔から“読み書きそろばん”といって、読むことが最初に大切で、その次に書くこと、次に計算すること、この3つが人間にとって最も大切だとしてきた。これは本質中の本質。ところが、それも“ゆとり教育”だのと理屈をつけてなしにしてしまった。それどころか、最近では小学校や中学校で金融、株の教育をやろうと言っているでしょう。“読み書きそろばん”をまともに教えずに、金融だ経済だなどとやるのは本末転倒、甚だしい」
教育改革においてもっとも大切なことは、「不易」に充分の配慮をすることと考えます。これを怠り、その時々の流行に目を奪われていると、教育は時流に翻弄されることになります。人間の本質は時代とともにさほど変らないものですから、その結果、人間自身が時流に翻弄されることになります。
現在、国際化、情報化、グルーバル化・・・など様々な時流がありますが、少なくとも初等教育においては、その影響を極力排し、「不易」に徹すべきと考えます。
具体的には、時間数において大正時代の三分の一程度となった国語を飛躍的に充実し、国語を通して言語能力、論理的思考力、日本人としてのアイデンティティーなどをしっかり教えることが肝要と考えます。…抜粋終わり

私も(4)教育について、で藤原正彦氏の指摘されていることは正論だと思います。(近頃のTVのクイズ番組の国語関係の出演者の解答を聞いているととぼけてワザと言っているのではないか(やらせ)と思う「怪答」が多く、子供たちに訊くと「本当に答えを知らないんだよ」との返事。「学校で何を教えているのか!」と嘆かわしくなる)
又、(2)の江戸時代の文盲率の低さは私でなくても「日本に生まれて良かったと思っている90%以上の日本人」が知っている「日本の誇るべき点」(常識)である。それを藤原氏のように「敗戦により戦前の日本の伝統文化を全否定され、過去を捨て去られた結果、日本人に誇るべき過去がなくなってしまった。」と短絡的に結論付けるのは間違いである。

こうした「正しい見方」を基にして、間違った結論に導いているのが藤原氏の理論であるが、それを権力者は次の様に上手く利用することになる。

(1)と(3)をまとめて、権力者の主張と結びつけると、

「敗戦後、日本はアメリカと日教組によって戦前の日本を全否定され、『たゆまぬ努力によって築いてきた』伝統・文化を全部捨てさせられた(無かったものにしてしまった)」
          ↓
「日本人に誇るべき過去がなくなってしまった。」
          ↓
「愛国心を教育し、日本人としての誇りを持ち、伝統文化を重んじる『国家の形成者として必要な資質』を持った国民をつくる」

更に悪いことに、藤原氏は取り戻したい過去を江戸時代の文化・武士道精神にまで遡らせており、その結果、封建制度からの脱却=「万機公論に決すべし」や独裁政治・戦争を否定し「主権在民」をうたった現憲法も「戦後レジュームからの脱却」の対象にされ、権力者の改憲による独裁政治を目指すための強力な思想書となってしまった。
もっとも、これは藤原氏の考えと一致しているのかも知れないが…。

(藤原氏のこの『国家の品格』を批判しているブログを引用)

著者は階級制度を支持するようなことを主張していますが

そんなものは、とうの昔に否定されたものです。

他にも、絶対王政を説いたホッブズまで支持しています。

いったい、どんな社会を理想だというのでしょう?

国家の安定や、安全、発展のために、個人の自由を失った社会でしょうか?

著者は、自由の価値まで否定していますが…

著者が望む国家というのは、『国家の品格』のために、個人の幸福を犠牲にした国のようです。

著者は、論理というものの限界を指摘し、(ディベート社会の)欧米を批判する態度をとっています。

それによって、日本の良さを再認識させるような論調です。

特に武士道を道徳の規範として、世の中の秩序を回復しようとしているようです。

現在、強固にある、欧米の価値観を否定するために書いていますので

多少、いきすぎたことを主張している部分もありますが

そういうものだと思って読んでみると、なかなか鋭いことを言っているとも感じられます。…引用終わり

藤原氏は、「日本人が古くから持つ精神性――別の言い方をすると“情緒と形”を見直すことが重要になります。情緒は豊かな自然や文化がはぐくんだ感受性、形のほうがモラルですね。形=モラルとは、簡単に言ってしまえば武士道精神のことです。慈愛、誠実、正義、勇気、忍耐、惻隠(そくいん)、名誉と恥、卑怯を憎む心、公の精神。これが武士道精神であり、日本人の原形を成すメンタリティなんですね。ところが、さっき言ったように、戦後になってアメリカと日教組が、日本がもっていた素晴らしい武士道精神を戦争に結びついたとして捨てさせた。忠君愛国の部分が戦争に結びついたのは事実だが、ほかは関係ないんです。忠君愛国を除けば、ほとんどイギリスの紳士道(ジェントルマンシップ)と変わらない」といっていますが、愛国心教育をうたう権力者が「忠君愛国」も除かずに教育に取り入れようとするのは目に見えています。

確かに私の子供の頃から「民主主義」が一番良い制度か?という政治体制に関する議論はありました。聖人君主による首長制・コンピュータによる公正な政治(判断)等々、ただ色々な制度も官僚主義で見られるように「権力は集中したり、長期化すると腐敗する」というのが現実のようです。

従って私は現在のところ下記の言葉を正解としています。(もう何回目かな?)

◎「民主主義とは悪い制度だ。しかし、ほかのあらゆる制度のうちでは最もましである。」(W・チャーチル)

◎「専制国家があるかぎり、私は民主主義を批判する気にはならないだろう。」(ジャン・ロスタン)

偉大な小説家三島由紀夫が偉大な政治指導者ではなかったように、偉大な数学者が必ずしも偉大な政治思想家・社会学者とは限らないのである。

詳しくは、「国家の品格」批判1~4 http://www8.ocn.ne.jp/~washida/colum060406.html

上記ブログは「戦争廃絶はフィクション」「民主主義はキライ」等、私と「ものの見方・考え方」で根本的な違いはあるが、藤原正彦氏の「国家の品格」批判ではかなり鋭い見方をしているので、参考にされたい。

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