無風老人の日記

価値観が多様化し、自分の価値判断を見失った人たちへ
正しい判断や行動をするための「ものの見方・考え方」を身につけよう。

ウヨクの考え方・・・①

2016年11月14日 | Weblog
前回の私の日記を読まれた方は後から重要な追加や編集を行なっていますので、もう一度読み返してください。

さて、今回からは今の安倍首相以下の極左思想団体「日本会議」に所属する人々が推し進めている考え方をアトランダムに書いていく。

①まず、憲法については、(ウヨク思想は戦争肯定なので話が「戦争」と重なってしまうが・・・)










小林よしのり氏の「戦争論」より

大東亜戦争に日本が負けるとアメリカGHQは自分たちが作った憲法を日本に押し付け、東京裁判と共に「戦争犯罪広報計画」(ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム)という日本人に戦争の罪悪感を植え付ける洗脳計画を実行した。
「日本は戦時中こんな残虐なことをした悪の軍隊だった。原爆を落とされても仕方のないくらい愚かな国だった。日本人は軍部に騙されていたのだ。」という情報を映画・ラジオ・新聞・書物などで徹底的に流し続けた。
日本国民はコロ~ッとこれに洗脳され「戦争は悪です」「軍隊もいりません」「平和が何よりです」となった。
アメリカの洗脳はキツかった。今の日本でこの洗脳を逃れている国民はほとんどいない。

大東亜戦争当時の軍部は「犯罪」をするために戦争を始めたわけではない。
欧米列強の東アジア植民地化におびえながら、経済封鎖され石油禁輸されハルノートで誇りを傷つけられ、日本の自存自衛のため「政策」の延長として戦争という策をとったのだ。


◎戦争は「悪」ではない、「政策」である

(無風注)今の大学では国際学等で「日本は戦争しなければ生き残れなかった」と教えている。
盧溝橋事件国連リットン調査団国連の日本非難決議日本の国連脱退日本に対する経済制裁、といった経緯を無視している。(注釈終り)


(さらに余談)
この石油禁輸の時の御前会議で天皇陛下は「アメリカとよく話し合いなさい。」と仰せられた。
この天皇陛下の意向に沿って、議会は「アメリカの言うことを聞く」方向でまとまり掛かっていた。
そこに「マスコミによって作られた『国民に大人気』の外相」(今でいえば小泉進次郎とか橋下徹と言ったところかな)がドイツから帰ってきて、その決定(天皇の意向)を一人で覆し、ドイツと軍事同盟を結ぶこととなった。(「私のいない間に何を勝手に決めようとしているのか!」と言う一人の国民的アイドルにより、日本は日独伊三国同盟を結び石油基地確保に向け真珠湾を攻撃し天皇陛下の意思に反しアメリカとの戦争に突入した。(余談終り)


小林よしのり氏の「戦争論」続きます。

そしてその大東亜戦争という政策には欧米人の人種差別意識を痛打し、アジアの独立をうながし、強国が力ずくで弱い国を植民地にする帝国主義時代の幕を引いた、という功績があるではないか。

大東亜戦争では「八紘一宇」「大東亜共栄圏」というスローガンが掲げられた。

「八紘一宇」は「天皇のもとで全ての民族は平等」ということで、当時同盟国だったドイツから「日本もユダヤ人を排除しろ」と再三圧力をかけてきたが日本政府は「全面的にユダヤ人を排除するのは八紘一宇の国是にそぐわない」とはねつけた。

民族差別をしないという八紘一宇の主張を日本は貫いていた!

ドイツから逃れるユダヤ難民6000人にビザを与えて国外逃亡を助けた日本人外交官杉原千畝は有名だが、もともと彼の行動は日本の「八紘一宇」の政治的主張のもとにやっていた訳だ。


この「戦争論」を読んでいくとアホらしくていやになってくる。こんな書物が若者に人気を博したとは世も末だと感じる。

もう少し、小林よしのり氏の「ゴーマンかましてよかですか」の部分を中心に列挙しておく。

戦争には正義も悪も複雑に顔をのぞかせる。罪ばかりが残るものでもなく功績を生み出すこともある。(アジアの国々の独立)戦争だから功績など認めぬというのでは脳のしわはもはや一本も増えまい。

戦争の中で愛と勇気が試され、自己犠牲の感動が生まれ、誇りの貴さを思い知ることもある。

今までの「何がなんでも戦争は全面的に悪だ」という論ではちっとも利口になれない。耳をふさいでおびえるバカ猿になる。

つらい戦争を堪えて堪えて死んでいった祖父たち。勇敢な戦闘で戦果を挙げた祖父たち。つらすぎたがゆえに戦後 日本軍をけなしたくなった祖父たち。軍隊内の理不尽な縛りにうらみを持った祖父たち。(無風注:ビンタは日常茶飯事)銃後で支えて戦時をくぐりぬけた祖母たち。日本兵を慰めてくれた慰安婦たち。すべてに感謝して戦争を語ろう。

それにしてもスケールのデカい戦争をやってくれたものだ。この胸に秘める誇らしい気持ちはだれにも消せはしない。


押し付けられた憲法の話を書こうとして「戦争」の話になってしまったが、ここまで書いたので、このまま戦争の話を進める。

今度は水木しげる氏の戦争話。

戦前の日本には隣国と仲良くする、という考えはなかった。俺は強いから「支配」するのだ、という考えだった。
その頃は中国人を「チャンコロ」と言い、朝鮮半島の人を「チョーセン」と呼んで差別し、馬鹿にしていました。


(一言)どこに人種差別をしないという八紘一宇の精神があるというのか!ドイツのユダヤ人迫害同様に日本では「朝鮮人」を差別迫害していたのだ。

当時の教育は小学校の時から『教育勅語』とか『修身』という学科で鍛えられた。
※『教育勅語』=1890年に発布され、天皇に対する忠誠と服従を強制する教え。全国の学校で厳しく指導された。
※『修身』=今の道徳にあたる教科で、教育勅語の精神を徹底させるための科目。


中学に入ると『軍事教練』というのがあり、各中学(現在の高校)には軍人が配属され教練(軍事訓練)が行われた。

以下、漫画から声だけ再生。

軍人(教官)「わかったかー!大和魂を持ったやつが人間で、あとは虫けらだーっ!」

生徒「はーい」「わかりましたっ」

軍人(教官)「わかったら、ほふく前進!!」

※『ほふく前進』=這って進むこと

(余談)私の親戚の人が軍隊の訓練で鉄条網を潜り抜けるための訓練なのだろう、「背中を引きずって進む訓練をやらされて背中がすり傷だらけになった」と当時の訓練の苦しさを話していた。(余談終り)

(続けます)
こういったあんばいで軍人精神を叩き込まれ、「今日も学校へ行けるのは、兵隊さんのおかげです」という歌を子供の頃から歌わされた。

ちょっと年上のものには「精神訓話」といって本居宣長の歌『大和心を人問わば、朝日に匂う山桜花』を出し、「死ぬときはあの桜の花の様にパッといさぎよく死ぬのだ」「天皇陛下の為に命を羽毛よりも軽く捨てるのが良い国民なのだ」と訓示した。
あれやこれやで人の命を粗末にするのがいい、とされる時代だった。

特に「大和民族」すなわち日本人以外の者を殺すのは平気だった様です。

漫画から言葉だけ、

兵隊さんA「俺、いま『新刀の試し切り』で5・6人やってきたよ。」
兵隊さんB「ははは、おれはいま、百人斬りの記録を作ったところだ。」
兵隊さんC「ははは、俺は百十人斬りだ。」

こういった様な武勇伝が当時の新聞に大きく出たりした。

とにかく「人命軽視」の時代で、特に中国の東北地方を占領し、そこに日本が満州国を誕生させると、満州の人たちを奴隷のように扱い、強制労働させたため、満州の人たちはどんどん死んでいき、その死体を捨てる穴「万人坑」と言うのが各所にできたほどだった。


小林よしのり氏の「八紘一宇は天皇のもとで全ての民族は平等という思想」「八紘一宇は民族を差別しないという政治政策」が当時の現実と如何に乖離した考えであるかが分かってもらえただろうか。
「八紘一宇」は「天皇を中心にした皇国日本による世界統一・世界支配」を目指すスローガンだったのだ。

もう一つ、あなたに知っておいてもらいたい事実がある。それは『戦陣訓』について。水木しげる氏の話に戻る。

日本軍は捕虜になる事を禁じていた。

漫画の言葉だけ、

東条英機首相「諸君、これは軍人の模範とすべき『戦陣訓』である。このなかに『生きて虜囚(捕虜)の辱めを受くるなかれ』とある。全軍人が守らねばならぬ鉄則である。」

※『戦陣訓』=当時陸軍大臣だった東条英機の名で告示された。戦場ではこうすべき、といった教え

当時、ジュネーブ条約と言うのがあって、それは「お互いに捕虜をいじめないようにしよう」という協定だったが、日本はそれに加入しなかった。

日本はそんなものはいらない。日本軍は捕虜になるより死を選ぶ。だから日本軍は強いのだ。

といった考えだったから連合軍や中国軍の捕虜をいじめた。

「日本はジュネーブ条約に入っていないから、捕虜を殺していいんだ。」とした。

とにかく、若くて元気のいい兵隊にとって「日本人以外は人間じゃない」といった教育を受ければ、いつ死ぬかわからぬ戦場でムチャクチャするのは分かり切ったことだ。

当時の人々は「日本の国と天皇様しか世界にはいないと思え」と言い「とにかく、日本だけよければ良い」という行き過ぎた考え方だった。

従って、隣の朝鮮半島の人々を国家のためと言って、強制的に連行し、苦しい労働に従事させた挙句、栄養失調でどんどん死んでも「穴掘って埋めとけ。」といった具合だった。


長くなるので、まとまらないが、小林よしのり氏の「戦争肯定論」と水木しげる氏の「戦争体験」を読み比べてほしいものだ。

続きます。またね。


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