唐茄子はカボチャ

映画と音楽と・・・

ロッッキー・ザ・ファイナル

2007年04月26日 | 映画 ま・や・ら・わ行
何でいまさらロッキーなの?というところもありますが・・・スタローンにとっては自分にファンの目をもう一度向けさせたいというのもあったのかもしれませんが、そんな思いはともかく、あのロッキーが帰ってきたことはうれしい限りです。ただ、エイドリアンの死は、出演拒否された?もう俳優やってない?死んでないよなあ・・・なんて、変に勘ぐっちゃいますけど・・・

そして、お話としては、1.2の流れのまま345を飛び越えてきたようなファンとしては案外入り込みやすい内容になっていて、その懐かしさをロッキーとともに振り返るような内容にもなっています。そこに頼りすぎている面もありますが、それはまあ・・・ロッキーだからいいでしょう。

セリフの一つ一つや映像が12に忠実にしていることは感じることはできますが、もうちょっとなんだよなあ・・・ロッキー本人じゃなくて、ロッキーのまねを本人にさせているような・・。声優が変わったルパン三世みたいなもんでしょうか。なんとなく違和感がありました。わるくはないんだけど・・・

ロッキーや、その子ども、ポーリーなど、いろんな心の葛藤も描こうとしています。その狙いはわかるけど、もうちょっと深く入っていかないと良くわからないところもあります。ちょっと残念です。ポーリーとロッキーのぶつかり合いも、急に感情が出てきたけれど、何がそうさせたのかがいまいち良くわからなかったりして・・・でも、そのやり取りを観れただけでも良しとしましょうか。盛りだくさんにしすぎたのかもしれません。

バランスとして、復帰してから試合までのトレーニングが短かったのが残念でした。体をつくっていく間の苦労と合わせてみんなの思いが結集していった方が最後の試合に向けての気持ちがぐんぐんあがってきたような気がします。

そして試合です。これも、34を通り越して昔のロッキーみたいな戦い方です。3でアポロに足を使うことを教えられましたが、今の年齢では足はつかえないから重いパンチで勝負ということらしいです。話の流れは1の流れに似てますね。チャンプに「80年代のセリフか?」ときかれて、「70年だ」と答えたのも、作品をつくる側がどの時期のロッキーに照準を当てていたのかを感じるセリフです。パンツもそうです。

で、結局試合ではもうむちゃくちゃなんだけど、映像の迫力と音楽なのかなあ・・・涙がこぼれてきちゃうんです。ロッキーががんばっている姿に。
試合後も印象的でした。ロッキーにとっては試合の結果は問題ではなかったわけで、自分の心に秘めた思いをすべて吐き出すことができるかどうかだけだったのですから。判定の最後までリングにいなかったのはチャンピオンには失礼な気もしますが・・・

というわけで、期待通り過ぎて違和感があるくらいの昔のロッキーが戻ってきました。これがみんなからどう評価されるか・・・・判らないところもありますが、自分は、ロッキーが今の時代に見れて、そのロッキーへの思いというか、期待に添った形で復活してくれたことがうれしかったです。

ロッキーの復帰をまわりは冷ややかに見ている中で、ロッキーは、自分が何をしたいか。それだけに忠実に道を歩もうとしましたが、それって結局、スタローン自身の思いとも重なる部分があるような気がします。
何でいまさらロッキーを撮影するの?第一線で活躍できなくなったから最後の悪あがきか?これ以上ロッキーを汚さないで!みたいな思いをもった人もたくさんいるでしょうしね。・・・というか、おれはそう思いました。でも、まわりがどうかではなく、自分が一番してみたいこと。それがロッキーをスクリーンに蘇らせることだったのかもしれません。

ロッキー・ザ・ファイナル (特別編)

20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン

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