少子高齢社会に対する対策として外国人労働者の問題が議論されてるけど。それだけでなく、むしろ外国人よりもといった論調で女性と退職者(高齢者?)を活用することが少子化対策として適切だという感じで論じている人もいるけど。これまで何でそういった人たちが働こうという意志があったのに働かなかった/働けなかったのか考えないとあかんのちゃうかなぁ。そこへの考察もなく、国がかけ声かけて、うまくいくと思ってるんやったら、ひどいよなぁ。いろんな意味で。それにそういった人たちが、働く意志がなくて今働いていないのであれば、なおさら難しいわけやし。
ジェンダーとかエイジズムの問題に真正面から向き合うつもりはあるんやろか。ちゃんと向き合えるんやろか。
効率性や生産性を求める経済界と規範・均質性を求める政界とが、ほんまにできるんやろかって思う。これまで排除されてきた人たちをかけ声一つで動かせるんやろかって。
それに、結局いわゆる3Kと呼ばれるような職場で働こうとする人はいないわけで。結果、単純労働の現場に外国人を「入れる」んやろな。で、その人たちにたいして、金儲けに来た外国人って視線を投げ掛けるんやろか。金儲けに来た(=自分の意志で来た)ということで、あらゆる場面で自己責任の論理が出されるんやろか。
外国人ともちゃんと向き合えるんやろか。難しいんちゃうかなぁ。ある程度、言語や生活の支援、サポートの仕組みができれば終わりじゃなくって、きちんと向き合えるかどうか・人として受け止めることができるかどうかってことが大問題なのに。
多様性をきちんと受け止めるための土台が見えず、むしろ逆の方向に進んでいるような流れの中で、この議論って恐いよなぁと思う。
大きいことはできへんでも、何か地域でアンチとなるような実践を作りたいな。
ジェンダーとかエイジズムの問題に真正面から向き合うつもりはあるんやろか。ちゃんと向き合えるんやろか。
効率性や生産性を求める経済界と規範・均質性を求める政界とが、ほんまにできるんやろかって思う。これまで排除されてきた人たちをかけ声一つで動かせるんやろかって。
それに、結局いわゆる3Kと呼ばれるような職場で働こうとする人はいないわけで。結果、単純労働の現場に外国人を「入れる」んやろな。で、その人たちにたいして、金儲けに来た外国人って視線を投げ掛けるんやろか。金儲けに来た(=自分の意志で来た)ということで、あらゆる場面で自己責任の論理が出されるんやろか。
外国人ともちゃんと向き合えるんやろか。難しいんちゃうかなぁ。ある程度、言語や生活の支援、サポートの仕組みができれば終わりじゃなくって、きちんと向き合えるかどうか・人として受け止めることができるかどうかってことが大問題なのに。
多様性をきちんと受け止めるための土台が見えず、むしろ逆の方向に進んでいるような流れの中で、この議論って恐いよなぁと思う。
大きいことはできへんでも、何か地域でアンチとなるような実践を作りたいな。