ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

雑感。

2007年06月05日 00時36分48秒 | もろもろのこと
少子高齢社会に対する対策として外国人労働者の問題が議論されてるけど。それだけでなく、むしろ外国人よりもといった論調で女性と退職者(高齢者?)を活用することが少子化対策として適切だという感じで論じている人もいるけど。これまで何でそういった人たちが働こうという意志があったのに働かなかった/働けなかったのか考えないとあかんのちゃうかなぁ。そこへの考察もなく、国がかけ声かけて、うまくいくと思ってるんやったら、ひどいよなぁ。いろんな意味で。それにそういった人たちが、働く意志がなくて今働いていないのであれば、なおさら難しいわけやし。

ジェンダーとかエイジズムの問題に真正面から向き合うつもりはあるんやろか。ちゃんと向き合えるんやろか。

効率性や生産性を求める経済界と規範・均質性を求める政界とが、ほんまにできるんやろかって思う。これまで排除されてきた人たちをかけ声一つで動かせるんやろかって。

それに、結局いわゆる3Kと呼ばれるような職場で働こうとする人はいないわけで。結果、単純労働の現場に外国人を「入れる」んやろな。で、その人たちにたいして、金儲けに来た外国人って視線を投げ掛けるんやろか。金儲けに来た(=自分の意志で来た)ということで、あらゆる場面で自己責任の論理が出されるんやろか。

外国人ともちゃんと向き合えるんやろか。難しいんちゃうかなぁ。ある程度、言語や生活の支援、サポートの仕組みができれば終わりじゃなくって、きちんと向き合えるかどうか・人として受け止めることができるかどうかってことが大問題なのに。

多様性をきちんと受け止めるための土台が見えず、むしろ逆の方向に進んでいるような流れの中で、この議論って恐いよなぁと思う。

大きいことはできへんでも、何か地域でアンチとなるような実践を作りたいな。
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記憶。

2007年06月05日 00時13分35秒 | もろもろのこと
半年前くらいからmixiやってるんやけど、mixiって変な感じやなぁ。全然音信不通やった友達と急に連絡取れたりしておもしろい。連絡取れたからといって、急に何がかわるってわけでもないけど。色あせてた昔の記憶が妙にリアルに出てきたりする。mixiやる前はそんなんって盆と正月に誰かに会ったときくらいやったんやけどなぁ。直接会わなくても、誰かとつながることで記憶は生々しく立ち現れてくるもんやなぁと。それに昔のことも、もちろん全部じゃないけど意外に残っているもんやなぁと

みんな元気にしてるんやろうか。

で、普段あんまりドラマは見ないんやけど(とか言いながら、最近は年3つ4つは見てる...かな?)。主人公が現在と過去を行き来しながら歴史を変え、なんとか好きな人と結ばれようとするドラマで。

mixiやってもタイムスリップはできへんけど、生々しく日常生活に昔が入り込んでくる感覚って、ちょっとはかぶるものもあるのかなって。今まで盆と正月とかって本当に非日常の時にしかなかったり、mixiがなかったら絶対にコンタクト取れなかった人とつながったりってことが、日常的に起こるのがちょっとおもろい。思い出そうとして思い出すって感じじゃなく、記憶がうわっと溢れ出てくるのっておもろいなぁ。妙に細かいこと覚えてたり。

記憶って単なる情報の蓄積じゃないよなぁ。コントロールできるようなものでもないし、大げさな言い方になるけど、記憶の中を生かされるのかもな。思い出すというか溢れ出てくるタイミングも自分の意志とは別物やもんなぁ。



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