ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

研究。

2007年06月03日 22時42分31秒 | リサーチ
友達というか仲間というか、仕事でいろいろと一緒にやってる人と飲んでた。

土日、学会に行っていたらしく、その話を聞いたんだけど。やっぱり研究って大変やなぁと。

研究ってそもそもそれまでの研究の課題や問題点から出発することが多いんだけど。そこと社会との擦り合わせってなかなか難しい。社会って言ったら、大げさかもしれないけど、それで結果、誰が元気になるのかなって思う。外国人を対象にする研究で現場でがんばっている人が励まされたり、元気が出たり。元気が出なくっても刺激を受けるような研究だったら、それはそれで意味があるけど。どうやらそういう研究って少ないみたい。人が存在していること、そしてその人とどう向き合うのかってことがすっぽ抜けてたり、むしろそういう態度を取りにくくなってしまうような「人が存在しない研究」。人が存在してても、出会う相手ではなくって、対象としてしか存在しない研究。なんだかなぁって思う。

本当に大事にしたいもの、大事にせなあかんものって研究で見えるんやろか。もちろん、それが見えないものだとしても、研究の目的にはなり得ないものだとしても、研究には研究でちゃんと意味があるし、研究の存在自体を否定するつもりはないんやけど。ただ、何を前提として、何を目的として研究するのかってことは、ちゃんと考えてもええんちゃうかなと思う。

外国人や外国人の子どもは食い物ちゃうで。




コメント (2)
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