ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

分断と統治。

2006年06月21日 23時25分30秒 | いろいろ
昨日、日本で初めて外国人市民会議を作った人と出会った。




力のある人は、力のない者を支配しようとする。言い換えれば、発揮される力がより小さくなるように管理する。ついこの間まで、「外国人」ということで同じ立場に置かれていた人間の「一部」を味方に引き入れる。それによって問題が目の前に突き付けられる人と、問題を眺める人とが生まれる。

力のある者は、力のないものが反抗しないように、あらかじめ分断して統治する。


今回の入管法改正でなぜ特別永住者が指紋を押捺する義務がないか。なぜ、それ以外の外国人には指紋押捺を義務付けるのか。そもそもなぜ、外国人は指紋を押捺する義務があるのか。アメリカが照合の対象として把握しているたった500人のテロリストのために、年間500万人もの外国人の人権を無視し、指紋の押捺を義務化することの効率はどうして問われないのか。アメリカの企業の機械を導入して、本当に個人情報は守れるのか。海外旅行や帰省から日本に戻ってくる時、入管で一人だけ指紋を取られる親を子はどんな気持ちで眺めるのだろうか。東京の総人口における外国人の割合はだいたい3%で、東京の犯罪件数において外国人が犯す犯罪の割合もだいたい3%。日本人にも外国人にも、いいやつもいればどうしようもないやつもいる。それって普通じゃないの?

外国人は作られると同時に、日本人も作られる。そして、見えないところで外国人でもなく、日本人でもないという人も作られる。そういった属性だけでなく、気持ちも作られてしまうと言ってもそんなに間違いじゃないと思う。全部が全部じゃないだろうけど。

でも、作られているからこそ、何とかなるんじゃないかって思う。もちろん、自分の小さな仕事がそれだけで何かを変えるとは思えないけど、だからと言ってやめないことが大事なんだろうって思う。それも、ただ粛々と仕事をこなすのではなく、自分の仕事をもっと広い地図の中に位置づけて戦略的に粛々と仕事をこなすことで働きかけること。これを大事にしたいと思った。
コメント
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