今日は朝から、橋本市民マラソンのボランティアスタッフとして参加。
役は、ハーフマラソンコースの途中にたち、選手の安全確保と誘導だった。
9時15分に境原小学校に集合。
徒歩で担当場所まで行き、9時30分から13時過ぎまで3時間半立ちっぱなし。
通過する選手を拍手したり、声をかけたり。
橋本市少林寺拳法連盟理事長の安川先生と一緒だったので、話もしながらであっという間に3時間半が過ぎた。
何よりも天気がよく、立っていても気持ちがいいぐらいだった。
13時半に境原小学校に戻り、おいしい豚汁をいただいた。
寒いのを覚悟して上6枚、下4枚着込んでいった。(笑)
コンビニで手袋まで買ったし!
予想に反して、とても楽しい時間だった。
出場した人いるかな?
選手のみなさん、スタッフのみなさん、ありがとうございました!
NPO法人 こころとからだの総合教育 育夢学園 はぐくむ学童通信
電光石火
第52号
発行日 2012年12月17日(月) 発行者・文責 理事長 長坂徳久
【教える⇒できる⇒ほめる】
木曜日に、次のことを全体に話ししました。(長坂)
1,お楽しみ会の百人一首大会について
大会の説明や方法を説明しました。
2,あいさつについて。
あいさつの意義を説明し、補足として次のことを話しました。
「みんなあいさつがきちんとできるようになりましたね。とくに、とってもいい人が何人かいました。それは、手袋をはずして先生と握手をしたからです。」
真剣に聞いています。
「握手をするときは、手袋は外します。それが礼儀です。また、本当なら帽子も脱ぐのが礼儀ですが、それは、いまは細かくは言いません。
さらに、長坂先生と他の先生たちがいるときは、長坂先生に先にあいさつに来ます。これも礼儀です。少し厳しい礼儀です。」
長坂から先と言うのは、一つの「長幼の序」というものを教えることです。これは儒教に端を発しますが、日本人の美徳でもあります。
少林寺拳法の教えに、「長上を敬い、後輩を侮らず」というものがあります。
まさにこの精神が大切です。
さて、本日、月曜日。ほんんどの子ども達が、手袋をはずしてあいさつ・握手をしてきました。「よく覚えていたね。」とほめました。
また、Sくんは、帽子までとっていました。長坂が忘れていて、びっくりしたぐらいです。
3,黄色帽子について。
「はぐくむ学童の外遊びは、黄色帽子を持ってきていないと連れて行かないようになっています。黄色帽子をかぶっているとどんないいことがありますか?」
「わかりやすい。」(どこにいるのかが)
「頭を守る。」
「何から守るの?」
「こけたときとか。」
「うん、それもあるね。ほかに?」
「暑さから守る。」
「そう、それもあるよね。冬でも熱中症はあると思う人? ないと思う人? 冬に熱中症はあまりありません。それでも、帽子をかぶるには理由があります。
それは、はぐくむのルールだからです。ルールは全員が守るものです。だから、黄色帽子を忘れた子は、外には連れて行きません。それをルールにしているのです。
なかには、外に行きたくないからといってわざと帽子を持って来ない人がいるかもしれません。しかし、それも、はぐくむのルールを破っていることになります。ルールはみんなが守ります。」
たとえば、学校で先生が4月当初、
「○つけは、赤鉛筆でします。」
と言います。そんなとき必ず、
「先生、赤ペンでもいいですか?」
聞く子がいます。それを、
「いいですよ、同じ赤だから。」
と言ってしまったら、そのクラスはずっと荒れます。
次のようになるからです。
「赤ペンでもいい?」⇒「忘れたので青でもいいやろ?」⇒「○なんかせんでもええやん」
と子ども達はエスカレーションしていくのです。
この最初の「赤ペンでもいいですか?」というのは子ども達からのアドバルーンです。
その先生はどこまで許してくくるのかを試しているのです。すきがあれば、子ども達はそれを次々に崩そうとしてきます。少しでも自分の有利なようにしようとするのは、大人も子どもも一緒なのです。
黄色帽子をかぶってくる・・・これは、はぐくむ学童の決して曲げないルールです。
このルールを手段として、「はぐくむとしてダメなものはダメ」ということを徹底して、指導の軸にしているのです。集団を指導するにはこのようなことが必要なのです。
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電光石火
第54号
発行日 2013年1月10日(木) 発行者・文責 理事長 長坂徳久
【今年もよろしくお願いします】
《低学年体育の指導のポイント》
1.低学年の子どもの特徴
① 一時もじっとしておられず、動きたくてたまらない。それでいて相当運動しても疲労の回復が早い。
② 単一の運動を長く継続することができない。
③ 物事を自分中心に考え、指導者を一人じめにしたがる。
④ 競争して順番をつけたがる。
⑤ 筋力に比べて体重が軽いので身軽である。
⑥ 転びやすいが腰の位置が低いので、ころんだ時の衝撃が少ない。
⑦ 柔軟性が高い。
2.基礎感覚作り・・いろいろな種目で子どもの動きの素地を作る。
①位置感覚→自分の体を自分で操作(コントロール)する。
自分の姿勢(直立、逆さ、傾斜、回転)を知って体をあやつる。
②視覚調整力→体の外部からの刺激に対して体を操作する。目で物を捕らえ、
それに自分の体の動きを合わせる。目と筋肉の協応。
③聴覚調整力→体の外部からの刺激に対して体を操作する。耳で音を捕らえ、
それに自分の体の動きを合わせる。耳と筋肉の協応。
《位置感覚を養う運動例》
(1)逆さ感覚→ブリッジ、足打ち、倒立、こうもり(鉄棒)等の逆さになっている状態で、体をあやつる感覚。
(2)高さ感覚→ジャングルジム、跳び箱、鉄棒等の高さのあるものに恐がらないで、平気で登れる感覚。
(3)回転感覚→マットでの前転・後転、鉄棒での腕立て前転・後転がスムーズにできて、目がまわったり、ふらついたりしないで、体をあやつることがきる感覚。
(4)振りの感覚→こうもり振り、足かけ振り、懸垂振り等で、振りが最高点に達した点からおりてくる時は支点(鉄棒)から体の重心をなるべく遠ざけ、上がる時は支点に体の重心を近づけることがタイミングよくできる感覚。
(5)平衡感覚(バランス)→平均台歩き、片足ずもう等で、体の重心を上手に移動してバランスを保つ感覚。
運動は10歳までなら本当に誰でも伸びます。遺伝とあきらめないで!
少なくとも、子ども達はいまいろいろなことをやっていると、結婚して自分の子どもができたときにそれは「遺伝」していきます。みなさんからすれば「孫」ということになります。孫ほどかわいいものはないと言います。いまから、長い目でみて、お子さんにいっぱい運動させましょう。
とくに、柔軟性は、低学年の柔らかいうちから維持を!(毎日1分で維持できます。)
子ども達に年末年始にいつも教えること。
「元旦とは、1月1日の朝のこと。年が明けた12時の時点や1月1日の夜は「元旦」ではなく「元日」です。」
「旦の字は日の出を表します。地平線(水平線)から太陽(日)が出たところです。」
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電光石火
第57号
発行日 2013年1月16日(水) 発行者・文責 理事長 長坂徳久
【子どもの季節を感じていますか?②】
①春(入会、入部したとき)⇒ 緊張もするし、とけこむことで大変なこともあるが、最初なのでわくわくして何をしても面白い。楽しくて仕方がない。
②夏(熱中期)⇒どんどん熱中し、これこそが自分の天職(自分の求めていたものだ!)と思えるぐらい熱中する。意欲満々!
③秋(飽きてくるとき)⇒同じことの繰り返しで、緊張感や刺激を感じなくなり少し飽きて、惰性になる。
④冬(倦怠期)⇒不満(自分が悪いとは思わないので他人のせいにする。)や嫌気が出てきて、辞めたくなる。また実際に足が遠のき、辞めてしまう。
当然、辞めずに続くこともあるでしょう。それは、③や④になっても、新たな刺激を感じ、次のレベルに自分自身が変化できたからです。 また、指導者や先生が変化のある繰り返しを意識した指導をして、子ども達が魅力を感じづけるように工夫していると言えます。
この①→④は何かに似ていると思いませんか?恋愛?確かにそうかもしれません(笑)。
実は次のように「新商品」を売る場合のライフサイクル(成長カーブ)と似ています。つづく
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電光石火
第56号
発行日 2013年1月15日(火) 発行者・文責 理事長 長坂徳久
【子どもの季節を感じていますか?】
人は誰もが「偉くなりたい」と思っています。これは人間の欲求であり、おとなも子どもも関係ありません。「偉くなりたい」というのは、勉強なら、かしこくなりたい。スポーツなら、うまく・つよくなりたい。仕事なら、成果をあげたい、出世をしたいということでしょうか。
そして、これらをもう少し突き詰めていけば、偉くなることにより、「他人(できるだけ多くの人に)に認めてもらいたい。」という人間の本能に結びつきます。
人はもともとこのような本能を持っているのですから、誰もがみんな「がんばろう!」という意欲があるのです。いや、あったはずなのです。しかし、どこかで「やる気」をなくしてしまった子どもたち、おとなたちはたくさんいます。そして、そのように「やる気」をなくさせてしまったのは、実は、その人たちと関わっている周囲のおとな、親、指導者だと長坂は思っています。(詳しくは紙幅の関係で割愛しますが、また機会があれば書いてみます。「最初から勉強の嫌いな子はいない。」が長坂の持論。)
さて、子どもたちは新しいことをはじめるとそのことにすごい関心を示します。しかし、この関心が「高いレベル」で長く続くことはまれです。みなさんもおとなになってから何かを始めたことがあるでしょう? それは今も続いていますか? もしくは始めた頃の高いモチベーションで続いていますか?多くの子どもたちは、なにかを「自分から進んで」始めた場合でも、長く続けていれば、きっと次のような過程を大なり小なり経るものだと長坂は考えています。(ここでいう季節は、実際の季節ではなく、「気持ち」としての季節、です。)
(続く)
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電光石火
第60号
発行日 2013年2月8日(金) 発行者・文責 理事長 長坂徳久
【教育技術 ほめる】
たとえば、子ども達が座っています。
姿勢の悪い子が目立ちます。
そんなとき、みなさんならどんな指導をしますか?
「○○くん、姿勢が悪いです、直しなさい。」
「なんどいったらわかるんだ。」
「◇◇くんみたいにちゃんとせえよ。」
これらは、素人の指導。近所のおっちゃんでもこの程度のことは言うでしょう。
たとえば、『姿勢が悪い』という言葉自体、「いい姿勢」というものをイメージできない子ども(特に低学年)は多いです。
せめて、「これがいい姿勢だ」という見本を見せなくてはいけません。
さて、姿勢の悪い子が目立ちます。そんなとき、姿勢のいい子を見つけて、みんなに聞こえるようにほめます。
「△△くん、とっても姿勢がいい。背中がピンとしている!」
このように、一人をほめるとどうなるでしょうか?
実は、他の姿勢が悪い子たちも、背中をピンと伸ばすのです。
みんなの前でほめるというのは、その子のためだけではなく、他の子たちのためにもなるのです。
人は誰でも、認められたい、存在を大切にしてほしいのです。つまり、ほめられたい・・・これを「自己の重要感」といいます。デール・カーネギーは「人を動かす」という世界的大ベストセラーの中で説明しています。
NPO法人 こころとからだの総合教育 育夢学園 はぐくむ学童通信
電光石火
第59号
発行日 2013年2月7日(木) 発行者・文責 理事長 長坂徳久
【体罰はなぜ起こる?】
世間の問題として取り上げられている「体罰」。
是非について、様々な考えもあるでしょう。
家庭での教育、学校での教育、社会教育での教育、スポーツの場での指導、スポーツや芸事のトップクラス(日本代表など)での指導によっても違うかもしれません。
長坂の考えは、「体罰」は必要ない、害はあっても益はないということです。
ほめたり、励ましたりすることで子どもを動かしたり、やる気にさせることができる指導者がいます。(長坂もそれを心がけています。)
その反面、叱ることでしか、子どもを統率できない人もいます。また、そのように指導することがいいと勘違いしている人もいます。叱って聞かなくなると、次には怒鳴るようになります。怒鳴っても聞かなくなると、次に手が出ます。そして、それが日常化するのでしょう。
つまり、怒鳴る指導、叩く指導は、その指導者や先生のレベルの低さの表れであるということです。
狭い部屋や教室で、笛を吹いて子どもの注意をこちらにむけさせたりするのも、明らかにレベルが低いと言えるでしょう。(運動させる合図として使う場合は別です。)
教育には、「愛情」と「教育技術」の二つが必要です。
愛情がないものは、指導に携わるべきではありません。そして、教育技術を持たない指導者は子ども達を荒らし、結果自分もしんどくなるのです。
NPO法人 こころとからだの総合教育 育夢学園 はぐくむ学童通信
電光石火
第58号
発行日 2013年2月6日(水) 発行者・文責 理事長 長坂徳久
以下は、お迎え時に見てもらうホワイトボードへ書いたものです。私が知ったのは、フェイスブックからです。最初、ツイッターで話題となったようです。
性格は顔にでる。
生活は体型にでる。
本音は仕草にでる。
感情は声にでる。
センスは服にでる。
美意識は爪にでる。
清潔感は髪にでる。
落ち着きのなさは足にでる。
作文宿題(日記)
5分間だけやること。それ以上はやらない。
・2/8(金)
「今日の作文教室」
・2/11(月)
祝日のためなし
・2/12(火)
「どんなケーキがすき?」
・2/13(水)
「明日は特別スペシャルデー♪♪
~バレンタインデー♡♡~」
・2/14(木)
「わあー、あしたで地球(ちきゅう)滅亡(めつぼう)だ!」
橋本西で、2月から
「N-パラダイス」(略して、N-パラ)
を開催することにした。
月一回の拳士お楽しみ会。
Nは、西のN、長坂のN。
以前やっていた支部内大会「N-1チャレンジ」からとった。
ただし、拳士たちには次のように事前に言っておく。
「必ず毎月するとは限りません。大会があったり、試験の稽古があったりすることもあるからね。」
「この最中に、稽古する拳士もいるかもしれません。たとえば、試験が近い拳士などです。」
このように「絶対やるわけではない」ということをきちんと伝えておく。
それをやっておかないと、
「先生は約束を守ってくれない。」
と思う拳士がいたり、それを口にする拳士も出てくる。
そう思われたり、言われるだけで、指導者は、
「かすかに」権威を失うことになる。
そして、そんなことの積み重ねで、拳士との信頼関係は崩れていく。
途中で言ったり、その会の最中にいうと、反感をかうが、事前に言っておくとなんの問題もなく、すんなりと受け入れられる。
よく言う、
「先に言えば説明。あとになればいいわけ。」
と同じこと。
今日の稽古の学科として、この「N-パラ」の企画を考えて板書させていった。
最初は、
「ドッヂビー大会」「バスケ大会」「百人一首大会」などが出る。
ここで、長坂があおる。
「お前ら、もっと大志をもて! もっと大きなことを考えろ。たとえば、AKBを呼んでほしいとかな。」
すると、まあ、いろいろ出てきた。
ちなみに、これも最初に言っておく。
「これを全部やるのではありません。みんなの意見を参考にするだけです。決めるのは先生が決めます。」
・TOKIOを呼ぶ
・ユニバへ行く
・バイオハザードがまん大会
・バイオハザード4大会
・バイオハザード6大会
・サーキット選手権
・お台場旅行
・北海道旅行
・AKBを呼ぶ
・サッカーパーティー
・しむらけんパーティー
・くりはらるいを呼ぶ
・焼き肉パーティー
・映画を見に行く
・エグザイルを呼ぶ
・旅行に行くこと
・沖縄に行くこと
・ゲームをする
・キムチパーティー
・リンカーンを呼ぶ
・ゾンビを呼ぶ
・ビツグバンを呼ぶ
・木刀大会
・映画会(トラとひょうりゅうした265日)
・笑ってはいけない24時大会
・ドッヂビー大会
・少林寺拳法かるた大会
・カラオケ大会
・有名人を全員呼ぶ
・紅白歌合戦
・お笑い大会
・けんか大会
・しりとり
・ドッヂボール大会
・お手玉大会
・きらくゆに行く
・バスケトーナメント
・5千メートル競争
・ドッヂビーベースボール
・ランドリ大会
・ルーレット大会
・ルフィーを呼ぶ
・キックベース
・百人一首大会
・なわとび大会
・うでずもう大会
まずは、このようにブレスト形式でいろいろ企画させる。当然、不可能なものもある。それでもいい。
スポーツ少年団だから、こんなのもありじゃなーい?
少林寺拳法 橋本西道院・橋本西スポーツ少年団 道場通信
ドリーム №722
発行日 2013年2月4日(月) 文責・発行 長坂徳久
☆なかなか通信ドリームが発行できない(ブログに書いてしまうので)ので、大車輪発行時に同時発行(月1回)することにしました。
【友・・他人を思いやることを教えてくれた仲間たち】
長坂が通っていた橋本高校には金剛登山があった。各学年(1年、2年)の2月ごろにあった。長坂が高2の時の登山のことを書こう。
長坂の家は、親の離婚⇒母親、弟、妹、私の4人暮らし⇒母親の蒸発により、残されたのは、私(高二)、弟(中二)、妹(小5)の3人という、なかなか難儀な家庭事情だった。市の生活保護施策を受けて暮らしてきた。バイトもした。
弟や妹が病気になると看病や病院へ連れていくためにに学校は休まなくてはいけない。当時、母に捨てられたショックで妹は不登校状態になっていたので、
特に気がかりだった。ときには、長坂が期末テストのときに、弟か妹が病気になり、テストを休んで病院へ連れて行ったこともある。
そして、同時に、将来の夢も希望もまったく持てる状態ではない長坂自身。学校の授業はさぼりがち。というか、進級できるのか? というぐらいさぼっていた。朝は、学校へ向かわずに、喫茶店に向かう・・それが日常化していた。
話しを戻そう。金剛登山。
長坂は行きたくなかった。お弁当がいるからだ。学校には食堂がある。しかし、登山には弁当を持参さなくてはいけない。作ってくれる人はいない。自分で作るしかない。弟、妹には毎日ごはんを作って食べさせていたから、料理はてきる。しかし、多感な年頃、自分でつくった弁当をもっていき、それを友達に見られるのはたまらなくいやだった。
だから、私は、
「おれ、登山やすむわ~」
と友達たち(ほとんどが少林寺拳法部員)に言っていた。理由は誰にも言わなかった。
しかし、長坂は授業をさぼり過ぎているため、登山を欠席すると6単位を落とすことになり、本当に進級が危うくなる。友達たちは、それを知っていたのだろうか・・・。
登山、前日に、みんなが集まっているとき、一人がこう言いだした。
「明日さぁ、みんなでパン持って行けへんか? 昼飯、パンにしようや。」
長坂はびっくりした・・「なんで? パンなんて冬山でうまくないやん。」と思った。しかし、友達たちの心遣いはわかった。
パンなら、長坂でも持っていける。みんなと同じになる。友達たちは、長坂のためにそれをみんなで相談してくれたのだろう。しかし、そのことを友達たちは、当時、なにも長坂には言わなかった。長坂も聞かなかった。今もそのときのことを聞いたことはない。
ただ、そのとき、長坂がどれだけ救われたのか、うれしい気持ちになったのか・・それはしっかりとしっかりと覚えている。
登山当日、雪の積もるなか、食べてもパサパサしておいしくもないはずのパンをみんなが一緒に食べてくれた。そのときの味は正直覚えていない。
しかし、そのときの友達たちの「パン持って行けへんか」の言葉はいまもなお心に大きく残っている。
人を思いやること・・・それを友が教えてくれた。だから、いまの長坂がある。
※これをさきにフェイスブックに載せました。みんなコメントありがとうございました。
長坂としては、拙著ドリームで自分のことはすべてに書いてあるので、とくに気にしていなかったのですが、当時の同級生や友達にも家庭のことは一切なにも話さなかったので、はじめて聞いた人はびっくりされたようです。
長坂としては、不幸を売り物にしているととらえられるのが一番本意ではありません。事実を書くのは、それを読んだ人にいま以上の感謝の気持ちをもつことを教えたいから、そして、長坂自身が過去がありいまの自分があると心から思えているからです。
過去にあるのは事実だけで、それをよいようにとらえるのも、悪いようにとらえるのも、それはその人の心の持ち方次第です。
過去は変えられます。考え方次第で。
過去が変わると未来も変わります。
うちのはぐくむ学童から11名が出場。
3種目で優勝。
青札で優勝したAちゃん(4年生)。
昨年の秋にお母さんをガンで亡くした。
「Aちゃん、メダルを取って、お母さんに見せてあげよう。」
「うん、かあちゃんのためにがんばる。」
と言っていた。
しかし、おしくも四位。
そして、今年、激戦を制して、見事に優勝。金メダル。
お父さんも観戦していた。
お母さんが亡くなり、お父さんは孤軍奮闘していた。
報われた瞬間だったかもしれない。
Aちゃんの双子の弟Yくん。
橙札で3位に入った。銅メダル。
Yくんは、1年生のころは、勝負ごとでは負けたらいつも切れていた。
しかし、百人一首や名句カルタを通じて、負けを受け入れるようになっていった。
お母さんが亡くなってから、随分精神的に成長もした。
しかし、今年はかなりかしこく観れるようになっていた。
うちの学童保育(民設民営)では、毎日百人一首を1試合だけ行っている。
それで、安定してきている子どもたちも多い。
ルールを通じて、社会性が養われたり負けを受け入れられるようになるのだ。
たかが五色百人一首、されど五色百人一首である。
亡きお母さんに贈られた二人からのメダルだった。
本日、五色百人一首和歌山県大会。
県立橋本体育館で開催。
はぐくむ学童から11名参加(当日は、インフルエンザと不幸事で3名欠席)。
一人2種目出場できるので、のべ60名の参加。スタッフ、観戦者約150人。
はぐくむの子どもたちは大活躍。
5種目中、3種目に優勝!
毎日、こつこつと取り組んでいる甲斐があったなー。
青札の部
優勝 えなちゃん4年
準々決勝進出
ゆうほちゃん4年
りくとくん2年
緑札の部
優勝 ゆうほちゃん4年
橙札の部
優勝 つばさくん3年
二位 えなちゃん4年
三位 ゆうやくん4年
四位 みくちゃん2年
以上の子どもたちは、3月に開催される近畿大会(兵庫県姫路市)への出場資格を得ました。
朝日新聞のインタビュー記事。サッカー指導者へのインタビュー記事。
この記事には、違和感を感じます。内容よりも、朝日の編集の意図に。
記事のなかで、
・楽しむためのスポーツが日本に入ってきたときに、武道精神と結びつき、礼節や厳しさを重視して、勝利至上主義になった。
・グランドに礼をするなどしても、グランドは礼を返してくれない。「使ったグランドをきれいにしよう」でいいのではいか。
とある。
まず、大見出しで「武道精神との決別」などとかかると、読者に武道に対して誤解を与え、さも体罰の原因が武道精神にあるとの書き方にも取れる。
記事への仕方へ、マスコミの武道への悪意を感じる。
日本はグランドや土俵にも道場にも礼をする。それは、コミュニケーションとしての礼ではない。日本人の美徳である。敬虔なる感謝の念を表しているのだ。つまり、自己を見つめるための行為。
世界中に日本人が尊敬されるのは、このような美徳と礼節があるからである。
何でも、西洋文化に毒される必要はない。
スポーツと日本人古来の武道精神(武士道精神)の共生を大切にしているスポーツ指導者も多いと思う。
日本には日本のスポーツの発展の方法があっていいだろう。